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(旧 「防水屋台村」建設中)
「今のしゃぶしゃぶコンクリートでも、やり方次第で百年持たせる事はできますよ」
穴沢 葬儀P1000503

通夜の後、酒をこよなく愛した故人を偲んで、杯を傾けながら、コンクリート打設や改修工法の技術論に花を咲かせる参列者たち。改修工事と樹脂注入施工会社の組織化に全力で取り組んだ人の通夜に相応しい、という気がしました。
 樹脂注入工事の施工者団体である、日本樹脂施工協同組合やATS協議会の理事を務め、エポキシ樹脂の低圧注入工法ミクロカプセル工法の普及と組織化に尽力した穴澤邦重氏(テクノポール)の通夜・告別式が1月21・22日東京・板橋区の戸田橋斎場で行われました。
 「穴澤氏は、面倒見のよい、周囲への気配りを忘れない人でした」。と参列者は一様に語ります。工事仲間、メーカー、ゼネコン、設計者はじめ、多くの人がお別れに集いました。
 斎場から浮間船渡の駅に付いた後、たまたま故人と親しかったS設計事務所の所長、コンクリート技術者のグループと同席しました。熱燗を頼んだ後故人の仕事ぶり、思い出を語り合った後、話した後はついつい今の建物の問題点に。

 80年前のコンクリート製の煙突の保存方法についての相談を発端に、コンクリート住宅を100年持たせる、いや200年だ。今のシャブシャブコンクリートでも、施工管理次第でそれは可能ーーーと、話題は展開。S氏は最近の現場で、でもそれを実施したそうだ。
 コンクリートの個人住宅で施主から100年以上持たせて欲しいと、求められた。で、どうしたかと言うと。

100年住宅実現のための施工管理

  
まず施主に、最適次期に型枠をはずすので、工期の多少の延長を求めました。
 高度成長期前まで(つまり新幹線が出来る前、東京オリンピック前ですね)、建築工事の中で、コンクリート打設はちょっと特別な工程でした。大きな現場でも、このときだけは現場作業員(当時はまだドカタと言う言葉が生きていました)に混じって設計者や現場の事務方、管理職まで全員が竹ざおを持って、型枠に流し込まれたコンクリートを突き固めたそうです。
 このときの現場では、コンクリートが回りにくい場所、というのはわかっているから、その部分に流し込む時、「竹ざおを持って来い」といった。竹ざおが無いから、と角材を持ってきたらしい。 ところが角材では折れてしまう。竹なら裂けるだけで、折れることは無い。なるほど、だから竹じゃないといけない訳だ。その竹でしっかり突いて、そっと抜く。隅々までコンクリートがしっかり回っているのを確かめるために、ドリルで型枠に穴をあけ、ドロッと流れ出てくるのを確認して塞ぐ。もう一つ。開口部回りなどの型枠は内側外側、縦横同時にはずさねばならない。時期がずれると強度に差が出てバランスが崩れる。全体としての強度は落ち、ひび割れも発生する等等。当たり前のことなのだが、キチンとされることはほとんど無いのでは?こんな調子で工事を進めると、「現在の効率第一微粒子シャブシャブコンクリートでも、100年持たせられるんだ!」と言う話でした。

その他、コンクリートは生きている。どういうことかというとーーー、などと言う話が続きます。

次男で喪主の穴澤 洋さんの挨拶

このように大勢の人に見送っていただき、賑やかなことの好きだった父はさぞ喜んでいることと思います。
父は防水工事の業界で長年仕事をしてきました。仕事一筋の人間でした。仕事以外では気の合った仲間と飲むことを何よりの楽しみにしていました。過度な飲酒がもとで15年前に肝硬変を発症しましたが、その後10年間は元気に仕事をしていました。しかし数年前から症状が悪化し、このたび治療の甲斐なく,逝ってしまいました。直前まで熱心に仕事の話をしており、我々も驚いていますが、本人はさぞ無念だったと思います。
父は性格的には豪放磊落にみえて、太っ腹な反面、非常に涙もろく繊細な部分がありました。また頑固で偏屈なところもありましたから、皆さんにご迷惑をかけたことも多々あったと思います。このような父に対して、生前皆様から寄せられたご好意に深く感謝します。
私は数年前から父と一緒に仕事をし、仕事に対する心構えを教わってきました。これからはその教えに添って、父の熱意を引き継ぎ仕事に取り組んでいきたいと思います・