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(旧 「防水屋台村」建設中)
* 屋根工事関係者のための百人一首 3  式部 めぐりあいて・・・の歌碑は京都 蘆山寺に
57番 めぐり逢ひて 見しやそれともわかぬ間に
 雲がくれにし夜半の月かな


ろざん寺歌碑
この歌碑があるのは京都。御所の前。ルーフネット編集長が通った高校のすぐ隣の蘆山寺。紫式部はここで夫藤原宣孝との生活を送り、一人娘の賢子(かたこ)を育て、源氏物語を執筆したとされています。



式部が一時住んだ[越]前武生には紫式部の住まいの跡が公園になっていて、次の3つの歌碑がある。

ここにかく歌碑
「ここにかく 日野の杉むら 埋む雪 小塩の松に けふやまかえる」  谷崎潤一郎揮毫
日野山は越後富士といわれている。その美しい杉林に雪が積もっているのを見ると京都の小塩山に降り乱れる雪を思い出し

はるなれど歌碑
「はるなれと しらねのみゆき いやつもり とくへきもとのと いつときなきか」
後に夫となる藤原宣孝との贈答歌。当時、敦賀に来ていた宋の国の人たちと会うことを口実にしてでも、越前に下向してプロポーズしたい、という宣孝に対して紫式部は、加賀の白山に積もる雪を読み込んで断る。白山は越前武生からも眺められる。


 身のうさは歌碑
「身のうさは 心のうちに したひきて いま九重に 思ひみだるる」 円地文子揮毫(絶筆)
宮仕えに出ても、心の中についてきて、今宮中であれこれと、心が幾重にも乱れることだ。
夫藤原宣孝に先立たれた式部は、娘賢子を育てながら人気作家となってゆく。 そして一条天皇の中宮彰子のもとに女房として召しだされる。その栄華のさなかで読んだ歌である。