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(旧 「防水屋台村」建設中)
*「土木遺産になった地下鉄銀座線」の防水工事
「日本アスファルト物語」が語る地下鉄防水の歴史

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旧新橋駅の鉄鋼框(かまち

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浅草ー新橋区間は、国内で初めてH型鋼を大量に採用したトンネルや、末広町駅ー神田駅間の神田川の川底を通過するトンネルなど、貴重な土木構造物が多く存在することから、社団法人土木学会より推薦土木遺産として登録された。
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幻の新橋駅。

日歴化学工業の創始者故池田英一氏は著書「日本アスファルト物語」(1981年発行日瀝化学工業㈱創立35周年記念出版)の中で、こう語っている。
 

地下鉄と駅高架ホームの防水に尽くした人

 昭和初期の大きなアスファルト工事に記録しておきたいものが二つある。一つは地下鉄の防水工事であり、一つは駅高架ホームの防水工事である。
 東京に地下鉄が初めて開通したのは昭和二年である。国鉄上野駅前から浅草雷門まで約五キロ、上野―稲荷町―田原町―浅草の四駅である。
 この地下鉄にアスファルトが大量に使用されて、その防水工事は、当時東京で最も大きな、また初めての地下に埋設されるアスファルト工事であった。
材料は、印度ジュートにアスファルトを加工したヘッシアンクロスを使い、ブローンアスファルトでクロス三層を張り付ける高級なアスファルト防水であった。浅野物産アスファルト部が一手に引受け、アスファルトをアメリカから輸入して施工を行った。
 この工事を施工したのは、当時浅野物産道路部のABC舗装工事を担当していた高野組の高野政造氏である。工事が大きかったので、市内に在住するアスファルト防水工は総出で参加したといわれている。
 高野氏は早くからアスファルト工事に携わり、防水、舗装に活躍した人であり、戦後はアスファルト舗装に大きな貢献した高野建設株式会社の創始者で、今の前田道路株式会社に継承されている。
 地下鉄防水と並んで、駅高架ホームで当時最も大きな工事は、国鉄名古屋駅の工事であった。駅改築のトップを切って、大理石貼りの円柱の高架に改良された現在の駅舎、東海道線、中央線、参宮線の各ホームの工事で、稲沢駅まで続く大工事であった。
 この防水工事は、地下鉄とは反対に全部国産品が採用されて、日本石油のブローンアスファルト、日本麻をかや地のように織った麻糸アスファルトシーチングが使われた。
 工事は大倉、銭高組など五社が請負い、防水工事は田島応用化工、岡田建材が引受け、現場監督は保園源三氏が担当して昭和八年に二年がかりで完成した。当時保園氏は、印度ジュートをアスファルトに浸漬して被覆してしまうと、タンニンが糖分化して繊維が破壊されると主張して、日本麻を使うように勧めていたが、その通りであって、今では印度ジュートは殆ど使われていない。
 当時は、アスファルトの研究が熱心に行われ、官庁におられた西川栄三氏、日本石油の村山健司氏、その他大勢の人々が先輩の後を受けて、アスファルトとアスファルトを応用した製品を改良開発していた時代である。

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