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(旧 「防水屋台村」建設中)
*武生余話  話の前のはなし
キーワードは「越の国 越前」、「武生蔵軍団の志」、「秋の田のーーー」、「竹」、「紫式部」
gakuhi  700
「楽飛」
今回、越前 武生(たけふ)行きを誘ってくれたのが、本「ルーフネット」サイトの「ミュージックフォーラム」で紹介している中国清華大学招聘教授の紺野大介さん。号が「楽飛」。これは甲骨文字。越前が生んだ幕末の先覚 橋本左内は南宋の将軍「岳飛」を景慕し、自ら「景岳」と号した。
紺野さんは母方の祖母の遠縁にあたる橋本左内が15歳の時著した「啓発録」に感銘、自ら「樂飛」と号し、これを英訳して世界に発信し、絶賛された。
武生余話ー国府
「越前国府」
かつて「越の国」は敦賀から新潟以遠に及ぶ広い範囲であった。この越の国は、7世紀末には越前、越中、越後の三国に分割されたが、当時の越前はのちの加賀、能登を含んでいた。大国「越前」の国府が置かれた「武生」は永く政治、経済の中心として栄えてきた。
越の国と言えば、あの日本書紀の記載。7世紀末、越の国が分割される前、668年天智天皇7年に、この越の国から「燃える土(瀝青・アスファルト)と燃える水(原油)が天地天皇に献上された」という防水の(アスファルトの)起源を思い出さずにはいられない。


防水の祖神天智天皇ここにも在り
武生余話 かるた
「秋の田のかりほの庵の苫をあらみ わが衣手は露に濡れつつ」。
は百人1首の第1首 。雨露をしのげない屋根に心を痛める、防水の祖神 天智天皇の歌。 
 蔵ギャラリーのコレクション。次も。
武生よわ指揮部
「紫式部」
蔵の街の蔵はカフェになり、バーやレストラン、ギャラリーとして生きている。
美術品には紫式部にかかわるものも多い。式部の父藤原為時が996年越前の守として武生に赴任、式部もその生涯で唯一都を離れ、この地で暮らしたからである。
shikibu マンション
式部は996年、24歳で父について行ったが、翌997年には京に帰っている。このマンションに住んでいた訳ではない。

jinnja neko
総社大神宮(おそんじゃさん)

失われた地名「武生たけふ」
武生市(たけふし)は、福井県中部にあった市。福井市に次いで福井県第2の都市であった。 2005年10月1日、今立町と合併し越前市の新設に伴い廃止となった。「越前市」という新市名については、隣接する自治体に元来より存在する越前町、越前市以前に設立された南越前町と紛らわしく、旧武生市民・旧今立町民および隣接自治体住民の反発を買っているという。古くは市街地の町名に「源氏物語の各巻名」が使われ、その後の地名変更に際しても「能の演目名」から命名される(蓬莱、堀川、住吉、御幸など)(ウィキ)

こう嘆く「武生人」も少なくない。: H17.10.1の合併により、平安時代からの「たけふ」という地名を失なったことで、全国的な知名度とまちの求心力が失われていることを危ぶんでいます。明治2年に先人達が知恵を絞って「武生・たけふ」と命名しました。歴史を認識しない一部の合併協議会の者たちでよくも簡単に変更できたものかと嘆いています。市民としてまぬけの状態でした。私はいつも「武生」人です。
 
              
蔵軍団のSPコンサート
武生蔵軍団のSPコンサート。
電気を使わない蓄音器はトライボロジーのエッセンス。全国一のメガネ生産地で、丸メガネ作りにこだわるオヤジは紺野大介教授の著した「ミュージックトライボロジー」の本を手に、いまだデジタルオーディオが再生しきれない濃密な音を楽しむ。
「ものづくり」の心を語り、蔵のオーナーが手塩にかけて調整し、作りだした蓄音器で軍団が世界中から集めたSPを聴く。蔵の中心に橋本左内に因んで甲骨文字の「啓発」の書。落款にはホツマ文字。(つづく)

kamiokannde
スーパーカミオカンデの防水
(取材中)


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