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(旧 「防水屋台村」建設中)
*日本書記と防水 そのその 防水関係者のための美術講座 彫金
撚土(瀝青)献上図 彫金作品鑑賞の前に

nenndo choukinn
10月16日~12月12日 東京六本木泉屋博古館で天智天皇・燃土燃水献上花盛器(彫金)展示
塚田秀鏡: 銀地赤銅朧銀素銅象嵌片切彫
直径42.8センチ。高さ39.3センチ。清水三年坂美術館所蔵

作品につぃては9月17日の以下の記事を見て下さい。
>>日本の防水の原点「日本書紀~燃土燃水献上図」を見に行こう!
http://www.roof-net.jp/index.php?%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E9%98%B2%E6%B0%B4%E3%81%AE%E5%8E%9F%E7%82%B9%E3%80%8C%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%9B%B8%E7%B4%80%EF%BD%9E%E7%87%83%E5%9C%9F%E7%87%83%E6%B0%B4%E7%8C%AE%E4%B8%8A%E5%9B%B3%E3%80%8D%E3%82%92%E8%A6%8B%E3%81%AB%E8%A1%8C%E3%81%93%E3%81%86%EF%BC%81

 
塚田秀鏡(つかだしゅうきょう)    嘉永元年~大正7年12月29日(1848-1918)
江戸(東京都)出身。号は真雄斎。 明治大正期の彫金界の巨匠。父、上州館林秋元藩の藩士で和泉流鞘巻の大家(彫金家)土肥義周(よしちか)(二男)。東京神田出身。養父、鐸師塚田直鏡(つかだなおかね)。幕末に近世金工界に賛嘆たる足跡を遺した加納夏雄に師事。絵画を柴田是真(しばたぜしん)に学ぶ。26歳で天皇太刀の彫刻。明治14年(1881)第2回勧業博に鉄地に蟹を彫った作品でセントルイス博覧会で金賞。明治23年(1890)に皇室による美術作家の保護と制作の奨励を目的として制定された「帝室技芸員」の工芸分野の一人に選出。湯島の自宅で没。71
代表作に「鶺鴒躑蠋図煙草箱」など。
tsukada haka
塚田秀鏡の墓地は谷中にある。

彫金て何?
 彫金(ちょうきん)は、宗教関係の金工品をはじめ、室内の飾(かざり)金具や襖(ふすま)の取手(とって)金具などの建築関係、装身具、家具などの金具、鎧(よろい)や兜(かぶと)などの武具等、に用いられてきた。江戸時代には、彫金技法は高度に発達し、特に刀装(とうそう)金具は、幕府や藩の手厚い庇護のもと優秀な工人が育ち、複雑で多彩な技法による繊細で優れた作品が生み出された。
 明治になると、これまでの庇護者層が没落し、彫金界は大きな変革を迫られた。鐔(つば)や目貫(めむき)、小柄(こづか)などの刀装金具は、廃刀令(はいとうれい)などによって彫金家たちの主要な活躍の場であった需要がなくなったからである。

「片切彫」について白石和己 山梨県立美術館長の解説です。
明治の困難な時期に、新しい表現を開拓して活躍した彫金家に加納夏雄(かのう・なつお)がいる。彼は江戸から明治にかけての第一の名工といわれ、片切彫の技法を得意とした。片切彫は肥痩(ひそう)のある線が表現できる技法で、円山四条派風(まるやましじょうは)の図を、筆跡よく金属に表し、花瓶(かびん)や額(がく)などの大作から帯留(おびどめ)、煙草(たばこ)箱などの小品にいたるまで各種の作品を制作した。1890年(明治23)には初の帝室技芸員となった。塚田秀鏡(つかだ・しゅうきょう)、香川勝廣(かがわ・かつひろ)ら明治の代表的彫金家は、ともに彫金を加納夏雄に学び、絵画を柴田是真(しばた・ぜしん)に学んだ


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