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(旧 「防水屋台村」建設中)
奥山化工業 創業100周年記念誌
「水を理解し、水を味方とし、敵としてはならぬ」を社是に100年

奥山100年P6240035


防水メーカであり防水工事店でもある奥山化工業㈱(奥山岩孝社長)は2018年6月15日、創業100周年記念誌を発刊した。
A4版163ページ。


目次
奥山目次2 (1)
奥山目次2 (2)

強い信頼関係で結ばれた日本防水総業や、防水メーカー日新工業トップとの座談会「カッパー防水帯を磨き抜く」や
カッパー防帯を磨きぬくDSC07190

建築学会の会長を務めた吉田享二氏との結びつきなど、 防水の歴史上、貴重な記録である。
吉田享二教授を紐解く

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奥山化工業と日本防水総業・吉田享二氏との関係は、2010年6月にルーフネットで紹介している。以下はその一部。
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奥山化工業と日本防水総業のルーフネット
BOUSUI デジタル アーカイブ 人物編
我が師は菊五郎。≪ルーフネット広場≫


北海道と東京を結ぶ職人の心意気
60年前の建築学会会長がこれほど防水を重視していたとは…。

吉田享二の防水談義
吉田享二の防水談義

これは1957年昭和32年、奥山化工業の会社案内「奥山式総合防水層の栞」の第7ページ。
このページは情報量が多い。昭和31年奥山菊五郎の黄綬褒章。菊五郎と吉田享二教授、十代田三郎教授の合作によるキャッチフレーズ。十代田教授の防水コラム。そして次のページには、21代日本建築学会会長 吉田享二早稲田大学教授の、に対する次のようなメッセージが掲載されている。

吉田享二先生談
なぜここまで

防水工事は如何なる建築に於いても最も重要視すべきである。而して材料と構造と相俟って完成し得るものである。自己取扱いの材料が建築の一部となって永く其の目的を達する迄、材料製造者及施工者は責任を持つ覚悟をして貰いたい。其為めには熟練者を採用して自己の監督できる法をとって社会を満足せしめてほしいと思う。材料と施工との分かち得ない責任のあるのは防水工事の如きものである。熟練せる監督と現場従業員の必要は無論として、材料選定に関しては次の如きものは実施に際して先ず注意すべき事であろう。
以下略。

吉田享二氏は明治20年(1887)に兵庫県但馬生まれ。明治45年(1912)東京帝国大学工学部建築学科卒業。同時に早稲田大学建築学科講師。助教授を経て大正5年(1916)教授。専門は「建築材料学」であったが、大正14年(1925)から「都市計画」の講義を担当するようになる。東大や京大などに先駆け、大正11年から早稲田では「都市計画」の講義が開設された。当初、内務省官僚の笠原敏郎が講義を担当していたが、翌年におこった関東大震災の後、笠原は復興局へ異動したため、吉田享二が受け継いだ。
建築家として代表的作品、「日本民藝館本館」(登録文化財/昭和11年[1936])、竣工東京工業試験所(1922)、小野田セメント本社(1917-26)、第一菅原ビル(1934)など。

吉田享二氏に関しては、鳥取環境大学浅川研究室のブログが詳しい。
http://asalab.blog11.fc2.com/blog-entry-962.html

なぜ建築学会会長で建築材料学の大御所が防水工事にここまで肩入れしたか。
「奥山-片山のルーフネット」座談会での古谷氏の発言を見てみよう。

わが師は菊五郎


古谷:前に僕の先輩で秋山という取締役がいた。あの方は新制高校と旧制高校の境目だから。今生きていれば82歳くらいかな。昭和25年か26年の卒業ですよ。早稲田の大学院を出ているんですよ。あの当時は珍しいですよ。
片山: その秋山さんは奥山さんにはどういうきっかけで?
古谷: 大学院までいかれたのに。就職がないご時世だった。
片山: 僕もお会いしたことがあるはず。 確か小柄な方で。
古谷: 私が早稲田で、十代田先生から「奥山へ行って来い」と言われたのと同じように、吉田先生から「奥山に行け」って言われたそうですよ。
編集長: 十代田先生の先生が吉田先生。吉田先生と奥山の関係があれば、十代田先生が古谷さんに「奥山へ行け」というのはわかります。でも、その前に吉田先生が秋山さんに「奥山へ行け」というからには、さらに以前から、吉田先生と奥山とは、かなり親密なつながりがあったということですね。
以下略。

北海道と東京を結ぶ技術屋の心意気。


BOUSUIデジタルアーカイブ 人物編
(予告編) 我が師は菊五郎。
≪ルーフネット広場≫
北海道と東京を結ぶ技術屋の心意気。
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…久しぶりに、奥山さんの事務所に顔出したら、菊五郎先生がちょうど居たんですよ。こう入り口に立ったら、目と目があって、挨拶したら「来い、保、来い」って、席へ手招きするんですよ。行ったらね、厚紙でエクスパンションを作って、防水の納まりを考えているんですよ。折り紙のようにね。で、僕はそれを見ながら、いろいろと昔話をしました。僕は帰りの飛行機にのって、座席であの楽しそうな顔を思い出しました。あそこまで防水に徹していたんだな。そうすると、僕も懐かしく現場での苦労を思い出し、ああ、こうやって仕事っていうのは、晩年は、自分の仕事に誇り持って楽しく、後輩に何かを残してやれるようだといいなぁと。僕も将来ね、菊五郎先生にこれだけ仕事教わったんだから最後は楽しみながら仕事やるっていうのはいいなぁとしみじみと感じました。私、楽しみながら足場上がったりしているんですけど。
古谷:まぁ、勝手なことやってましたからね、菊五郎先生は。
斉藤:いや、私も今好きなことやらしてもらって… (座談会より)

我が師は菊五郎。

 斎藤保(たもつ)75歳(写真左上)。北海道の名門にして最大手防水工事店・日本防水総業株式会社取締役工事担当。昭和25年「給仕」として入社。防水工事現場に魅力を感じ、すぐに現場担当へ移動を願い出る。爾来、現場一筋。かつてスーパーゼネコンの所長その前でが震え上がり「天皇」とも称された三菱地所の星野氏も、防水工事関しては斎藤に絶対の信頼を寄せる。60歳を過ぎても指名が掛かり、「私はもう歳で、現場作業はできません」といっても「いや、とにかく『居るだけ』でいいから」と譲らなかった。
 斎藤さんは今も毎日出社し、作業員から現場の様子を聞く。「会社に何かあったとき、斎藤は体を張って会社を守ろうとするだろう。あれはそういう男」(日本防水総業片山社長)。多くの人が、「何が大事か」を見失っている中、トップと技術屋のこの堅い信頼関係は眩しい。職人の誇り、技術屋のプライドとそれをしっかり受け止めるトップの志。ある時、片山英男社長と話していて「今生き残る会社が持っているもの、建築業界、大きく言えば日本を救うのは、そんな信頼関係ではないか」と意見が一致した。「斎藤さんに是非会いたい」と思った。
 さらに片山氏は「斎藤には師匠がいる」。それが、創業大正7年の奥山化工業、創業者の兄で技術屋の名物男「奥山菊五郎」だという。取材が決まって、斎藤さんに「奥山菊五郎さんとのことでーーー」と言いかけたとき、「あっ菊五郎先生ですか!」電話の向こうで居ずまいを正す気配を感じた。
 北海道と東京の名門防水工事店。技術一筋の奥山菊五郎と斎藤保。なぜ斎藤氏は菊五郎を師と仰ぐのか? 奥山化工業と日本防水総業の浅からぬ因縁とは?
 先日、奥山岩男・片山英男両社長と菊五郎をよく知る奥山化工業古谷隆司前常務、渡辺寛司常務を交えて懇談した。結果は順次掲載予定。 乞うご期待。
2010/06/10(木) 08:25:08|ARCHIVES|
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以上

防水の歴史を探る*「ルーフネット」は日本の世界の防水に関する記録の初見を求めて日本書紀や聖書などを調べています。「日本の防水歴史研究会」
2018年の近江神宮燃水祭は7月5日。 黒川燃水祭は7月2日です。