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(旧 「防水屋台村」建設中)
RNY294 わが国 シーリング工事の歴史 がここに 2
わが国シーリング工事の歴史 がここに 2

資料第四號
マサル 40年の歩み と 50年の記録
 (2)「マサル40年の歩み」 
40年史

野口部長



第1章の目次
ルーフネットのアーカイブ・防水の歴史資料館の資料第四號として、「マサルの歴史が我が国シーリング工事の歴史である」と言われる㈱マサルの40年史を取り上げている、2回目の今回は昭和32年頃の記録である「第1章創業期」のあらましを紹介する。





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昭和30年、日本はまだ戦後復興途上であった。住宅の大量供給を目的に日本住宅公団が設立された。2階建てPC住宅が試作され、外壁目地に油性コーキングが、屋根防水にはゴムアスが使用された。

油性コーキングはすでに昭和20年代後半に米国製の「バルカテックス」が輸入されていた。最初に国産化に成功したのは昭和化工(エバーシール)で、後発メーカが続き、油性コーキング全盛の時代が訪れる。マサルはまさに高度経済成長と新しい技術が次々現われる時代に旗揚げした。
「マサル設立前夜」の章では創業者苅谷勝氏の独立、いとこの苅谷廣見氏とのかかわり、中外商工での技術習得の様子が書かれている。

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苅谷廣見氏の写真、昭和化工の下請け時代、昭和32年資本金50万円、29歳の苅谷勝社長の出発。創業時の経営基盤となった公団住宅の補修工事、モルタル防水からアスファルト防水への屋根防水の転換、創業時の経営状況など。

当時の50万円の価値も書かれている。昭和化工の油性コーキング一缶の卸値が8,900円で、マサルの大卒初任給とほぼ同じ。昭和32年度の公務員の初任給が9,200円。銀行の大卒では12,000円。国鉄初乗り10円だった。

創業時の社員。昭和29年操上弘昌氏の入社、㈱マサルの最大の特徴である、職方の協力体制。そして会社設立直後の苅谷勝氏の緊急入院による危機と、社長代行を務めた山本三郎氏の奮闘などが記録されている。
(続く)


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