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(旧 「防水屋台村」建設中)
*日本書紀と瀝青 (2)
土瀝青を天智天皇に献上した故事を再現する「燃水祭」は「防水祭」?

7月1日「燃水・燃土」を新潟県黒川で採取。7月7日献上を模し滋賀県近江神宮に奉納。

献上
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防水関係者から高い評価を受けた「アスファルト防水のルーツを探ねて」の扉にはこの「燃土・燃水献上」の絵(日本石油30周年記念)が納められている。




 新潟滋賀県人会の市井康三氏によると、http://www.n-shigaken.com/nensuisai.html
献上当時の天智天皇を祀る滋賀県の近江神宮では昭和58年時点で、毎年7月7日に「燃える水のお祭」が行われていました。 昭和58年、近江神宮から献上地の黒川村に燃水祭の招待がありました。当時の伊藤孝二郎村長は、油坪で採油の式を催し、採油した原油を油坪の研究者で地元の錦織昇平さんと中村鉄雄公民館長に託して派遣し献上したのが始まりです。 その後、毎年7月1日に黒川燃水祭を催し、7月7日に近江神宮の燃水祭に油を献上しています。
とのことです。

採集
乾燥させたカグマ(シダの一種)に付着させ臭水(くそうず)坪から採集
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燃土を担って献上行列
この燃土・燃水は7月7日、滋賀県大津市の天智天皇を祀る近江神宮に奉納される。
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近江神宮のホームページhttp://www.bbweb-arena.com/users/oumijing/トップに「燃水祭 7月7日齊行」として以下の通り燃水祭の内容が紹介されています。

 
越の国 燃ゆる土 燃ゆる水をたてまつる

 『越の国』は、現在の新潟県。なかでも現在の胎内市(旧黒川村)であったといわれます。黒川村は、昔、川の流れが黒くなるほど燃水が湧き出したことから、「黒川」の地名がついたと伝えられています。
 その7月、越の国より採掘された燃水と燃土が天智天皇の都に献上されたのでした。科学技術を駆使され国づくりを推進された改新政治を象徴する記事といえます。
 毎年7月1日、新潟県胎内市黒川において燃水祭が行われ、その折採油された原油が、6日後の7日、近江神宮燃水祭において、黒川からの使者により燃水献上の儀が、往時のままに厳修されています。さながら日本書紀の記述を再現するがごとくに。
 そして全国石油関係者多数の御参列の中、石油業界の代表者の手により、ランプに灯をともして献灯の儀を行い、現代文明の基盤である石油に感謝します。
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平成22年4月、近江神宮御鎮座70年を期して改装し、「時計館宝物館」が新装開館した。近江神宮時計博物館は、わが国最初の時計博物館として、昭和38年日本の時刻制度発祥の地に設けられた。同館の解説によると、わが国の時刻制度は、天智天皇の御代に大津の都に漏刻(ろうこく)を設置し時を知らされたことに始まる。漏刻とは水時計のことであり、日本書紀には、鐘鼓を鳴らして時を知らされた、と記録されている。

漏刻(ろうこく)

 三層に別れた枡より漏れ落ちる水の量により時間を計るわが国最初の時計。近江朝より平安朝末期まで全国の国府・鎮守府などに置かれ時間を知らせた。 垂揺球儀(すいようきゅうぎ)


防水の原点とされる燃土といい、漏水で時間を計る日本最初の時計といい、近江神宮は、いや天智天皇は「防水」と縁の深い天皇ですね。
おっと、もう一つ。

秋の田の かりほの 庵の苫あらみ 我が衣手は 露に濡れつつ

 この百人一首の最初の歌。尾崎雅嘉著、岩波文庫「百人一首夕話」の解釈によると

稲の実りたる秋の田を、鳥獣に荒させじと、仮庵とて仮屋を建てて守り居るが、その庵を葺きたる苫の目があらき故、中にいる我らの袖が朝も夜も露に濡れつつして、苦労なる事ぞといふ心なり。

とある。尾崎氏によれば、天皇は雨漏りで、自分の衣手=袖が濡れて、嫌だなあ、というのでなく、「土民になり代わりて」、詠んだ「百姓の苦労をいたはらせ給う叡慮の有難きなり」と解釈している。

天智天皇は「雨漏りして大変だね」、と心配してくれていたのだ!!

これは防水と縁が深いどころか、防水神社にお祀りせねばならぬかもしれない。 

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