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(旧 「防水屋台村」建設中)
(174 yomimono)施工と管理 銅屋根クロニクル8
銅屋根クロニクル第8回は「聖堂の楷書の樋」

黒と緑青に夏の緑が映える

写真5の代わり  


銅屋根の美しさ、施工技術のすごさを紹介するために「銅屋根クロニクル」という記事を連載させていただいています。媒体は(一社)日本金属屋根協会が発行する機関誌「施工と管理」です。前月10月号では、湯島聖堂の漆黒の壁と緑青の銅屋根のコントラストの美しさを、11月号では屋根に劣らず魅力的な樋を取り上げました。端正かつ力強い聖堂の樋です。

銅屋根クロニクル 8 
「施工と管理」2013年11月号
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銅屋根クロニクル 8   湯島聖堂(東京)後編
湯島聖堂の楷書の樋~漆黒の壁面を貫く緑青の縦ライン~
1写真


寛政11年(1799年)、老中松平定信の寛政の改革で、朱子学は官学となり、その象徴である湯島聖堂も重視された。拡張改築が進み聖堂は開設以来最大規模となった。同時に建物全体が黒漆塗となる。
元禄時代の朱塗りがなぜ黒になったのか。その理由として、寛政の改革の引き締め、火を連想させる赤を避けた、隣接する神田明神との明確な区別、さらには徳川家の重要施設を表す黒にした、など諸説があるものの、どれも決め手に欠けるようだ。

写真2
湯島聖堂は黒と緑青の世界。 屋根の上の鬼犾頭(きぎんとう)と鬼龍子(きりゅうし)などの聖獣動物園は関東大震災で罹災し焼け落ちた。

写真3 手前が入徳門  P2190109

写真3 入徳門P2190214 (2)
この時、唯一焼失を免れたのが入徳門。伊東忠太の設計によりRC、銅屋根で湯島聖堂は再建された。焼け残った木造の入徳門に先月10月、黒漆が施された。光沢のある黒を銅の緑青が引き立てる「聖堂内で唯一の木造建造物だ。この門には、他のコンクリート建造物に塗られたエナメルではなく、寛政11年(1799年)と同様に黒漆が塗られている。

写真5-3 ほとんど構造体の様相を呈している
「孔子樋」「聖堂樋」と名付けたくなるほどの一体感。楷書感のあふれる聖堂になじみます。

写真4 これに変更
伊東は同じ時期に築地本願寺を手掛けている。築地本願寺でも樋は存在感を持ちつつ建物のデザインに溶け込んでいた。ここ聖堂ではより頑丈な樋が取り付けられ、軒樋には落ち葉除けの蓋までついている。「こんなところ誰も掃除できないでしょう。大雨の時は溢れたっていいわけだから」という伊東の配慮だ。

追加

どんな雪でも壊れなかったこの樋、「ぶら下がっても平気」そうな産業機械を思わせる頑丈な取り付けも金属フェチをうならせる。
20131202-10.jpg

スリムライン
20131202-11.jpg

リズミカルな縦線
20131202-12.jpg

楷書のような樋

写真10-2

写真10 

縦樋に詰まったごみや葉っぱを掃除しやすいように設けた点検口。
単なる妖怪好きではありません。伊東忠太の建築家としての優しさが感じられる縦樋の点検口。メンテナンスを専門業者がするのか、建物の使用者が行うのか、それを考慮してこうした細部に気を配ったという。


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