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(旧 「防水屋台村」建設中)
斉木さんの銅板屋根のお話 最終回
若い人たちは「この仕事は楽しい」と言いますよ!!(斉木さん談)

ボランティアの茅葺指導員
金属屋根ではありませんが、写真は都内の民家園で、茅葺きを指導する若いボランティア。

このインタビューは平成15年7月に㈳日本金属屋根協会編集委員長の大江源一さんが斉木さんから聞き出したものです。最終回のお話のキーワードは「職人冥利」、「若い人への期待」。締めくくりにあたってもう一度斉木さんを紹介しておきましょう。

昭和の初め、神社仏閣や公共建築を除くと、都市圏の一般住宅の屋根は瓦、山村では茅葺き、板葺き屋根の家が一般的でした。斉木益栄さんは、昭和7年、新潟県の十日町から3里ほどの山村で木羽(こば)葺きの職人の家に生まれました。昭和23年に尋常小学校高等科を2年で終えて親方に弟子入り、ルーファーとしての歩みを始めます。

昭和27~8年ごろになって、やっとトタンが市場に出回わってきました。木羽と比べてトタン葺きの作業効率は5倍以上。さらに木羽に割れるような良い木も減ってきたので、屋根は急激にトタンに変わっていきました。

そんな時期に出稼ぎで上京、板金の仕事を覚えてゆきます。屋根を葺くという作業を知りつくした斉木さんは、長年にわたり(株) 小野エ業所の技術部門の責任者をつとめてきただけでなく、日本銅センターや日本建築学会において銅板屋根に関するマニュアルや仕様書の作成も担当してきました。小野工業所は多くの板金技能士を育成し、また同社が最も得意とする社寺建築の新築屋根をはじめとし、歴史的重要建築物の史実に基づいた屋根修復、改修エ事にも数多く携わってきました。


このインタビューは長時間に渡るものでした。限られた紙面に収めるには、かなり大胆にカットせざるを得なかったはずです。斉木さんはまだお元気だそうですから、改めて質問攻撃を仕掛けていきたいと思います。

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防水の歴史を探る*「ルーフネット」は日本の、世界の防水に関する記録の初見を求めて日本書紀や聖書などを調べています。「日本の防水歴史研究会


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