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(旧 「防水屋台村」建設中)
「日本最初のアスファルト舗装の話」に寄せて
黒沢利八土瀝青が米国帰りの由利公正の眼にとまった 

昭和町教育委員会による看板
昭和町教育委員会による看板
ルーフネット96号中・5月11日の記事に、 日本最初のアスファルト舗装の新聞記事を紹介しました。明治11年(1878年)初代東京府知事由利公正によって神田昌平橋のアスファルト舗装工事が行われた、というものです。「実は日本初のアスファルト舗装」のタイトルを巡って長崎グラバー邸にある橋とこの昌平橋とが激しい「日本初」論戦を繰り広げていたのです。紹介した5月9日付け東京新聞の記事にあるように、長崎の橋はアスファルトではなく石炭乾留物質であるタールを利用した物であることがわかり、黒沢利八が施工した昌平橋が「本邦初」のタイトルを勝ち取ったわけです。
黒沢利八がこの舗装で使用したのはもちろん秋田・豊川の土瀝青(天然アスファルト)です。
 豊川の独特の地質と近代産業遺産としての価値を広く知らしめようとしている佐々木榮一さん(NPO豊川をヨイショする会理事長)は、天然ガス協会の機関誌「天然ガス・2011年NO.3に「日本最初のアスファルトと舗装の話」 という記事を連載しました。タイトルは舗装ですが、きめ細かい取材を通じて天然アスファルト活用の歴史や防水工事への関わりについても、触れられていて、防水の歴史を知る上で、きわめて貴重な記事や写真が掲載されています。ルーフネット98号より4回にわたって、それを紹介します。



そしてまたしても驚いたのは由利公正が(ルーフネットを支援してくださる多くの方が敬愛する)橋本左内から大きな影響を受けていた」ということです。アスファルトの話に橋本左内が出てくるとは、びっくりです。とはいっても幕末から明治にかけて、事を成したひとで、左内の影響を受けなかった人はいない、というだけの事かもしれませんが。

橋本左内(紺野本より)
橋本左内( 紺野大介清華大学招聘教授による「啓発録」英完訳より)

録啓発

橋本左内と紺野大介に関しては
本サイト、トップページメニューから「紺野大介の音楽随想」第1回目をご覧ください。紺野さんの書いたものは単なる技術的知見、経験ではなく、その行動の原動力となった「志」。橋本佐内の「啓発録」を、続いて吉田松陰の「留魂録」を英訳し、世界に発信し、海外で講演するのは、世界が驚嘆したかつての日本人の人格と心を、現代の日本人に伝えるためだと思います。

紺野大介(こんのだいすけ)氏略歴
1945年(昭和20年)2月20日満州奉天市生まれ。65歳。東京大学大学院工学系研究科修了、工学博士。1994年以来中国北京の清華大学に教授とし て招聘され現在に至る。同国立トライボロジー研究所終身教授。特定非営利活動法人創業支援推進機構理事長。日中科学技術交流協会常務理事。2000年まで セイコー電子工業(株)取締役事業開発本部長'00年7月に創業支援推進機構をNPO法人として立ち上げ(略称 ETT)理事長に就任。
【専門分野】流体力学、流体工学、流体機械、流体精密機械、トライボロジー。

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