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(旧 「防水屋台村」建設中)
みぞれ降る夜のお別れ
最後は苦労をともにした仲間が




P1000524伏見葬儀祭壇
雪混じりの雨の中、伏見雅光さんの通夜に200名。2日の告別式には東京は2年ぶりの積雪で交通機関が大混乱したにも関わらず遠来の人も含め40名が参列。
P1000525伏見通夜:小池.iwasaki
左端は東京工業大学小池名誉教授。告別式の後、鶴田裕さんと「岩崎一さんにピッタリと寄り添っていましたね。真面目、誠実としかいいようの無い人でした」と声をそろえていました。

P1000535伏見通夜:岩崎

元三星産業社長の岩崎崇さんも通夜式の後、防水関係者と故人の思い出話に華を咲かせつつ「私が何かの原稿や、挨拶の原稿を書くと、親父(岩崎一氏)が、必ず〔伏見君に見せたか?〕としつこく言ったものです。私はいつも「はい」とは言ってましたが、実は見せていませんでした。私の文体とは違いますからね。親父は故人に全幅の信頼を寄せていましたね。」と話していました。

友人代表・丸山 功さんの挨拶
丸山 功氏の挨拶

故人との出会いは昭和30年半頃ですから半世紀にわたるお付き合いでした。偶然にも同じ歳、故人は昭和4年7月27日に仙台で生まれ、私は12月1日に東京の下街で生まれました。
同年のせいか、共通の話題も多く、小・中学校の頃のことなど、地域の差こそあれ、お互い苦労した戦時中の勤労動員の思い出など、泊りがけの旅行の時など、夜の耽るのも忘れて話し込んだこともありました。故人は東北人らしく真面目で穏やかな性格で、多くの人から尊敬される存在でした。話口も一言一言言葉を拾いながら、丁寧に話す人でした。
「血は争えないな、防水よりも学校の先生のほうが向いているよ」と冗談を言ったこともありました。確か故人の父君は仙台で教鞭をとられていた、と伺っていました。その血は二人の息子さんに、立派に引き継がれています・
故人は縁あって防水大手の三ツ星産業に就職し、一貫して技術部門にあり、取締役技術部長の地位にまで登りつめました。退職後は水彩画の世界に没入し、いかにも自分の性格を表現したような繊細な筆致で素人はだしの絵を描き、多彩な一面を見せ、悠々自適の羨ましい余生を送っておられた。
一期一会の人生でこのような友を得たことを、私は誇りに思っています。