FC2ブログ
(旧 「防水屋台村」建設中)
縄文時代のアスファルト利用
企画展「えっ!縄文時代にアスファルト?」展 
岩手御所野縄文博物館で開催

スクリーンショット (35)

11月18日(土)より、御所野縄文博物館を会場に、企画展「えっ!縄文時代にアスファルト?」が開催される。
アスファルトの研究家・佐々木榮一氏よりの情報です。

スクリーンショット (36)

主催者:「今回の企画展では、縄文時代のアスファルト利用の地域性とその変遷や、北東北におけるアスファルトの流通からみえてくる縄文社会の交流や集落間のネットワークなどについて紹介します。また、11月23日(木・祝)には一戸町コミュニティセンターホールにてシンポジウムも開催いたします。縄文時代にはすでに利用されていたアスファルト。ぜひこの機会を通してアスファルトの面白さを知っていただき、少しでも興味を持っていただけると嬉しいです」

11月23日にはシンポも
スクリーンショット (34)

詳細は以下
http://goshono-iseki.com/news/7777


↓ ほぼ週刊ウェブマガジン「ルーフネット」最新号 はこちらへ。
ホムペはこちら



防水の歴史を探る*「ルーフネット」は日本の世界の防水に関する記録の初見を求めて日本書紀や聖書などを調べています。「日本の防水歴史研究会

中学生教科書と日本書紀

中学生の社会の教科書には、こう書かれている。


見開きDSC02892



かつてアスファルトの用途は縄文以来、接着・塗装・ライニングであり、防水機能が主たる要件でした。このことは洋の東西を問わず共通しています。そのアスファルトと石油に関する、わが国最古の記録が日本書紀なのです。防水・石油関係者にとって、日本書紀は自らの生業の起源にかかわる極めて大事な資料です。そこでルーフネットは、様々な視点から何度も取り上げてきました。

今回は社会の教科書です。
帝国書院の社会科。中学生の歴史では。以下の通り。
」部分DSC02895


又中学生用の歴史副読本「見て読んで考えようビジュアル歴史」では、日本書紀の第2巻の巻頭部分が紹介されています。
nihonnshokiDSC02901.jpg

↓ ほぼ週刊ウェブマガジン「ルーフネット」最新号 はこちらへ。
ホムペはこちら



防水の歴史を探る*「ルーフネット」は日本の世界の防水に関する記録の初見を求めて日本書紀や聖書などを調べています。「日本の防水歴史研究会
屋上動物園

kiginntou.jpg
伊東忠太が思う存分散りばめた聖獣・霊獣たち。

元禄3年(1690)、5代将軍徳川綱吉によって建てられた孔子廟であり、後に幕府直轄の学問所となった。
湯島聖堂の解説によると、湯島聖堂は、上野忍ヶ岡にあった幕府儒臣・林羅山の邸内に設けられた孔子廟(先聖殿)を元禄3年(1690)、五代将軍綱吉がここに移し、先聖殿を大成殿と改称して孔子廟の規模を拡大・整頓し、官学の府としたのが始まりで、以後この大成殿と附属建造物を総称して「聖堂」と呼ぶようになった。
さらに寛政9年(1797)十一代家斉のとき規模を拡大し「昌平坂学問所」を開設、官学のとしての威容も整った。当時の設計は、かつて明朝の遺臣朱舜水が水戸徳川光圀のために製作した孔子廟の模型が参考にされた。その際、これまで朱・緑・青・朱漆などで彩色されていたものを黒漆塗りとなった。
taiseidenn.jpg
大成殿

現在のものは、大正12年(1923)9月1日関東大震災により、罹災、入徳門・水屋を残し全て焼失した。現在の大成殿は、関東大震災で焼失後、昭和10年(1935)に伊東忠太の設計、大林組の施工で再築された。 復興に際してはすべて寛政9年当時の旧聖堂に拠り、木造であったものを、耐震耐火のため鉄筋コンクリート造とした。祀られる孔子像は、朱舜水亡命時に携えて来たものが大正天皇に献上されていたものが下賜された。