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(旧 「防水屋台村」建設中)
RNy268 筑波大学 安藤邦廣名誉教授に聞く (3)
第3回 屋根屋はアーティスト
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なぜ茅葺き職人たちはこんなに元気なのだろう?老職人が尊敬され、若い人たちが各地の中堅リーダーへの弟子入りを希望するのはなぜ?  昨年2014年8月19日、民家研究、茅葺き屋根研究の第一人者で、日本茅葺き文化協会を主宰する、筑波大学安藤邦廣名誉教授を、つくば市北条の事務所に訪ね、その秘密を聞いた。 今回はその3。
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左から3人目が安藤邦廣先生。2015年10月12日、山形県川西町竹田家住宅。



結局ね 今の茅葺屋さんはある種のアーティストなんだよ。


今の茅葺の価値はアートなんだと思いますよ。
昔の経済の競争原理の中での技術(もちろん技術はあるんだけど)とは違って、彼らが目指しているのはアート。アートの背景はエコロジーだと思う。
現在は社会の中で経済が最優先でしょ。経済的な価値から落ちこぼれるのはエコロジーとアートだと思います。なんの金にもならんもん。でも社会的に必要だから、企業にその分担を課したりするけど、本来自発的な物ですよ。
茅葺きというのは、そんなところに位置しているから、ある種、「正しさ」があるんでしょう。間違ってない正直なものがあるってことで、嘘を言わない。茅葺は嘘を言わない。悪いものは何もない。そこは日本人が大事にしてきたものなんだ。万物が宿っている
自然の素材を借りて屋根に置く。役割を終えたら土に返す。住まいは「仮の住まい」という思想が日本人の根底にある。茅葺きは仮の住まいという本質を持っている。人間は永遠を求めて、ステンレスや、銅板、チタンなんてものを使ってきたけれど、本来は仮の住まいという考えに帰結すると思う。
茅葺きは日本人の仮の住まいという価値観に添った素材である。その上で現代の新しい価値観、アートとしての表現を可能にする素材。そういう茅の持つ性能に光を当て、みんなに知らしめる必要がある。いま、茅葺きであることをアピール・表現しなきゃならない時代だ。

茅葺きが当たり前の時代は、静かで、簡素でいいんです。合理的で。余計なものは要らない。 民家というのはそういうものです。昭和30年代までの茅葺きはそうだったんです。無駄はないし、エコロジ―そのものだし。循環して清く正しい世界だよね。
だけど茅葺が無くなった時には、「これが茅葺だ、見てくれ!」と言わないといけない、存在すら忘れられている時には、主張しなければならない、アートが必要なんだ。

少数派。絵、詩、芸術はすべて少数派から生まれる。文学、音楽しかり。滅びる寸前に素晴らしい表現が生まれる。
建築だって同じだよ。茅葺きっていう建築は絶滅危惧種だからこそアートとして表現し、アピールしていかないと生きてゆけない。そこに彼らは自分の生き方を重ねて、この世界に入ってきた。 だから彼らはアーティストですよ。中野だって塩沢だって、みんなアーティストだと思うよ。そんな顔してるもん。金儲けする人の顏でもないし、いわゆる職人の顏でもない。無口でもない。

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山道を車椅子で分け入り、滋賀大学の学生達の再生した民家の屋根を見る。


昔は無口な職人が茅葺きの屋根を作った。今は大いに語り、表現して、着るものも他人(ひと)より目立つ格好してね。伊達というか、屋根屋さんは、傾奇(かぶ)いているんだよね。」傾奇かないとこの茅葺きは生まれ変われない。そんな状況に茅葺きはあるから傾奇くのは必要なことなんだ。 多数派がやったらおしまいだけどね。
多数派は黙々と静かににやってればいいんだよ、少数派はおおいに声を上げて、困難に立ち向かい、本来持ってる素晴らしさを表現し主張しなくちゃいかん。

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キース・ヤネット。 フォーラムの後の見学会。昼食をとった公民館の片隅に置かれたピアノを見つけ、即興演奏を始めたヤネ屋。


少数民族の問題があるでしょ、中国だって、日本でもアイヌなど。それらが素晴らしく評価されているのは、その中にある、多数派が忘れた価値があり、失ってはならないものがあるから、それをみんなが絶賛するわけですよ。同じように多数派が忘れ、失ったものを表現するから茅葺き屋根は、みんなを楽しませている。現代の工業材料が失った自由な造形、手仕事の素晴らしい世界が表現されている。
比較的自由度のある銅板でも、茅葺のような自由な表現はできない。瓦はもっと不自由だ。
茅葺きの自由度は無限。そこに彼らは直感的にやりがいを感じている。偉いのは勝手にやっているんじゃないんだ。技術はきちんと継承しているんだ。技術は我流では絶対ダメだ。きちんと継承した上で、修行に出て、親方から学んだうえで、自分のものにした上での表現だ。

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本殿、庫裏、渡り廊下まで一体化した、大きな茅葺き屋根の寺。茅葺きにこだわるヒッツメ髪の住職とオシャレな職人の茅葺き談義が弾む。


設計者が屋根の細かな納まりまで図面描いて、このとおりやれなんて言ったら、建築は死んじゃうんだ。それが現代の建築の限界ですね。図面で表現できるのは基本的な部分のみ。部分の造形は委ねないとダメなんだ。デザイナーは全体の関係性、他との関係性をコントロールして、細部の造形は現場に委ねるべきだ。今の建築家はそれを細かく書いて、この通りやれ、というのが多い。 それはエゴだし、大した建築にならない。
茅葺きというのは茅を使用する限り、何をやったっていいわけだし、茅は弱い材料でしょう。害がない材料でしょう。廃棄されても害がない。 そういうものは無限の表現がOKですよ。無制限に許されるべき。そこに彼らは面白さを感じていて、自分の責任で何やってもいい。はさみ一丁で自由にできる仕事。ある種の彫刻だよね。

彼らに「なぜ茅葺きやってるんだ」と聞くと、誰もが「材料の集めから、最後の仕上げまで、たった一人でできるのはこれしかない」という。あらゆるものつくりの世界で、一人でできるのはこれしかない。道具や材料だって、誰かに頼らないとできないんだけど、これは一人でできる。

もちろん中には「傾奇く」連中だけでなく、人とのかかわりが苦手で、ひとりでコツコツやりたいという人もいる。茅葺きはそれができる。いろんなやり方を受け入れる懐の深さがある。ひとりでコツコツ茅をあつめて、ひとりで葺いていけばよい。茅葺きはそれができる珍しい技術です。材料は自分で刈ってきて、束ねて、葺いて仕上げて、全部自分だけでできるのは茅葺だけだと思いますよ。
茅を刈って来たら喜ばれ、普通だったら「盗まれた!」といわれるところを「ありがとう」といわれ、どこでも感謝される。職人不足だから葺きに行ったら、「屋根屋さんよくきてくれた」、「おかげで先祖に顔向けできる」、と喜ばれる。職人の数が少ないから競合はない。あまり増えたら儲からないけどね。仲間同士喧嘩嘩しない。

茅葺きの置かれた現状を見れば、社会的環境としては最悪なんですよ。職人数が絶対的に不足している、少数絶滅危惧種であるという現状において、ハンディキャップを持っている。でも、だからこそ先ほどから言っている茅葺が本来持っている利点を生かして、その悪条件をひっくり返してやろうという、エネルギーが生まれている。
(続く)



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2015年10月11日・12日、日本茅葺き文化協会の第4回茅葺きの里見学研修会は蔵王・吾妻山麓の茅葺きを巡りました。余談ですが、米沢の街は傾奇者(かぶきもの)慶次・こと前田慶次が晩年を過ごした地です。平成21年には「米澤前田慶次の会」が設立されました。

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葉は3枚でも実は4対。

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壁面緑化にお勧め。欠点は実の落下だが、やむを得ない。

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