
ポスター手前のシダが昨年の黒川燃水祭の後、山で採集し育てているリョウメンシダ・「カグマ」です。
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黒川燃水祭(くろかわ ねんすいさい)
開催日時:平成24年7月1日(水)10時30分~
会場:シンクルトン記念公園 (新潟県胎内市下館1622)
主催:越の国黒川臭水遺跡保存会
事務局:胎内市黒川支所
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天智天皇7年(668年)「越の国より燃える土と燃える水を献上する」という日本書紀第27巻の記録をもとに、毎年7月1日に、古式にのっとった伝統儀式「黒川燃水祭」が地元保存会と市により黒川石油公園で開催されている。保存会のメンバーは、かつて地元で採油に関わってきた人々が中心である。この黒川燃水祭には、石油業界関係者、地域住民、市内小学校など毎年100名以上が参加し、「採油の儀」、「点火の儀」、「清砂の儀」など一連の伝統儀式を実施したあと古代装束をまとった保存会メンバーが街中で献上行列を行う。また黒川で採油された燃える水(原油)は、7月7日に天智天皇が祀られている滋賀県の近江神宮に献上され、引き続き近江神宮で燃水祭が執り行われる。

昨年も当日夜、7月1日NHK新潟午後6時45分のニュースで約1分間にわたって、採油の様子や、子供たちへのインタビューが放映された。
油壺とよばれる右側の池に石油が湧きだしている。それを昔ながらの、カグマ(リョウメンシダの一種を)乾燥させて束ね、吸い取る。神事の後、小堀鞆音の「燃土燃水献上図」の図柄を模した装束で、献上行列を行い、7月7日の近江神宮燃水祭で奉献する。(実際は市役所まで行列し、近江神宮から参列した神官に託す。7月7日の「近江燃水祭」では黒川の関係者が装束を着け奉献する。) 小学生にとっては、地元の産業史を学ぶ貴重な体験授業になっている。新聞やテレビの取材も多い。
新潟県では海底油田や天然ガス開発が進められており、その関係者や市の関係者が直会(なおらい)に参加し、5年前から参加している日本防水の歴史研究会JWHAとも交流する。
黒川燃水祭の詳細は↓
http://www.roof-net.jp/index.php?cmd=read&page=2012%E9%BB%92%E5%B7%9D%E7%87%83%E6%B0%B4%E7%A5%AD%28ROOF-NET%E7%B7%A8%29&word=%E9%BB%92%E5%B7%9D%E7%87%83%E6%B0%B4%E7%A5%AD
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ルーフィング+銅板屋根を間近で見る

東京・六本木ヒルズに建てられる祇園祭の大船鉾(写真は2014年7月24日大船鉾保存会撮影)

見せ場の辻回し(つじまわし:方向転換)の作業中(写真同)
昨夏、150年ぶりに復活し、京都市中心部を巡行した祇園祭の大船鉾が、東京・六本木ヒルズにお目見えすることになった。京都市、市観光協会とJR東海は、5月28日、「京の夏の旅」を毎年主催している3者で実行委員会をつくり、「京の夏の旅」の40回記念として鉾の組み立て実施する事を発表した。首都圏で京都観光や伝統行事の魅力をアピールするのが狙い。
全長約7・5メートル、幅約3・3メートル、高さ6・3メートルの巨大な鉾が市外に建てられるのは、1970年の大阪万博に菊水鉾が登場して以来、45年ぶりとなる。翌日の5月29日の夕刊でこれを「大船鉾出航 東京へ」という見出しで大きく報じた京都新聞によれば、山鉾が市外に「出張」して建てられるのは、古くは月鉾が33年に東京・高島屋に、55年に東京・八重洲口広場に建てられた例がある。また、56年に長刀鉾が名古屋市、59年に菊水鉾が札幌市に、大阪万博では菊水鉾や浄妙山などが建てられた。近年では2003年に長刀鉾が東山区の京都国立博物館に、11年には綾傘鉾が仙台市に出現した。

上にのる屋方は16のパーツに分解される。屋根は0.3ミリの銅板で葺かれ、その下には改質アスファルトルーイング。

銅板屋根の施工中。(写真は田原板金提供。下も。)

銅板の下で御神体の神功皇后、住吉明神を守るルーフイング。
大船鉾は幕末の1864(元治元)年の大火で焼失し、昨年に復興、後祭(あとまつり)の鉾として巡行した。 6月19~21日の3日間、六本木ヒルズアリーナに建てられる。鉾建ての過程が見られるほか、祇園囃子(ばやし)の演奏も予定されている。

大船鉾保存会 http://www.ofunehoko.jp/
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総会で挨拶する中坂会長。
㈱東邦建材が製造する外壁タイル剥落防止システムの施工団体であるタイルフィックス工業会は5月22日、東京・九段下のホテルグランドパレスで、通常総会を開催、施工技術講習会の開催および技術指導などの事業計画を決めた。

湯浅昇 日本大学生産工学部教授 の記念講演

懇親会で挨拶する工学院大学難波蓮太郎名誉教授。乾杯の発声は元建設省建築研究所所長の上村克郎氏。
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「環境、省力化、長寿命への対応に一層注力して需要伸ばしたい」と挨拶する三浦吉晴会長。
日本ウレタン建材工業会(NUK)は5月21日、東京・麹町のホテルルポール麹町で第32回定時総会を開催、環境対応型ウレタン防水システムの普及と拡大、労働安全衛生の普及などの事業計画を決定した。また任期満了に伴う役員改選では、三浦会長を再選した。
総会前に行った活動報告・交流会では、鈴木博技術委員長が、活動計画とJASS8 改定内容を会員に説明した。続いての交流会では、千葉工業大学石原沙織准教授が石原研究室における研究内容を紹介した。

乾杯デビューの千葉工業大学石原沙織准教授。: 研究室でウレタンを扱うことが多いのだが、学生の間で、「ウレタンマン」という言葉がはやっている。ウレタン防水がうまく塗れるようになったら「ウレタンマン」になれたといい、どうも「かっこいい」イメージを持っているようだ。若い人がこんなイメージを持ってくれることはうれしい。
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昨年の燃水祭(防水の祖神に感謝する祭り)での舞楽奉献。滋賀県近江神宮にて。(写真は記事とは関係がありません)
アーキヤマデ(株)( 山出満社長)が製造する塩ビシート防水材・リベット―フの責任施工団体である日本リベットルーフ防水工事業協組は5月19日、京都駅のホテルグランヴィア京都で平成26年度通常総会を開催した。
今 年度の出荷量は401万8千272平米で前年比100.8%、初めて400万㎡の大台に達した。
前年の25年度の出荷量は 398万2,668㎡。目標360万㎡に対して、対前年比112%の大幅増であったことから見れば、微増にとどまったといえるが、メーカーでは「作業員不足に苦しめられ、プラス要因の少ない中、目標を達成できたことに感謝する」として、来年度も作業員育成講座の充実、工法改善などに努力し、400万㎡の達成を目指す。
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総会終了後の新入会員紹介。
NPO法人リニューアル技術開発協会( 望月重美会長)は平成27年5月19日(火)東京都江東区古石場の古石場文化センター2階 大研修室 で、第23回通常総会と報告会を開催した。
報告会では、人材養成委員会と技術研究委員会が、リニューアル研修・新技術検討・超高層リニューアル・施工技術 ・シニアライフサポートなどの活動状況を報告したほか、ボランティア活動や奈良・歴史建造物視察研修結果も発表された。
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こんな新聞広告も。前期展示は5月17日(日)まで。
![20140625-3[1]](https://blog-imgs-71-origin.fc2.com/r/o/o/roofnet/20150516002716f64.jpg)
数ある絵巻の中でも最も親しまれ、世界的にも知られる国宝「鳥獣人物戯画」(高山寺蔵)。
朝日新聞文化財団の助成による修理が完成したことを記念して、昨年 京都国立博物館で全4巻展示甲巻から丁巻までの4巻すべてが公開された。東京では現在(6月7日まで)、東京国立博物館で展示されている。国宝「鳥獣人物戯画」の全巻公開は2007年11月のサントリー美術館での展示以来。
![20140625-2[1]](https://blog-imgs-71-origin.fc2.com/r/o/o/roofnet/20150516002715ed2.jpg)
防水関係者にとって「鳥獣戯画」といえばこれだ。
この絵と防水との関係は、本サイトで以下のように紹介している。
![20140625-5[1]](https://blog-imgs-71-origin.fc2.com/r/o/o/roofnet/2015051600271827e.jpg)
小堀鞆音・こぼりともと「燃土燃水献上図」JX日鉱日石エネルギー所蔵。大正3年(1914年)
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「越の 国」(現新潟県)で産出したアスファルト(燃土)と石油(燃水)を天智天皇に献上したという『日本書紀』の記述を絵画化。日本石油株式会社(当時)の依頼 により制作、業界の歴史を語る絵として複製等を通して愛されてきたが、長い間行方不明だった。2011年その原本(本物)が発見されました。鞆音の画業としてはほとんど知られてい なかった作品で。佐野美術館での展示が初の一般公開となった。(本邦初の一般公開に際して行われた記者会見でのプレスリリースより)」
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毎年7月1日新潟県胎内市、それを受けて7月7日滋賀県大津市の近江神宮で、この小堀靹音(ともと)の絵を摸したお祭りが斉行されている。
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![n_11-15[1]](https://blog-imgs-71-origin.fc2.com/r/o/o/roofnet/201505151754249ed.jpg)
(一社)日本金属屋根協会のホームページに「あの屋根!この屋根!」」というコーナーがあります。日本の板金工事を支えた第1級の職人や技術者が自らの経験や仕事への思いを語り、先人の言葉を伝えています。これまでの掲載記事を見やすく再構成して、アップされています。
今回、「祇園祭大船鉾の銅板屋根 150年ぶりの復活に板金職も一役」が掲載されました。屋根にかかわる方は是非ご覧ください。なんとアスファルトルーフィングも登場します。
(一社)日本金属屋根協会「あの屋根!この屋根!~祇園祭大船鉾の銅板屋根 -150年ぶりの復活に板金職も一役-
http://www.kinzoku-yane.or.jp/feature/n_11/n_11-03.html

京都市無形文化遺産展示室で展示されている大船鉾の屋形。

京都府板の理事長も務める田原板金製作所の田原社長。本体の製作を担当する竹田工務店の竹田社長と、16分割される屋根の接合部と雨仕舞について、屋根の接合部を被せ物なしで納める方法など、入念に検討した。

大工が作ったパーツに銅板を貼ってゆく。0.3ミリの一文字葺き.

銅板を貼る前に防水のために、改質アスファルトルーフィングを 下張りする。

公益財団法人四条町大船鉾保存会の事務局を預かるのが、四条町で「新しいきもの屋」・のぶ真㈱木村商店の木村宣介さん(左)。保存会で業務執行理事を務めている。真中は「祇園祭命いのち」の幹事・鈴木辰規さん。右は宣介さんの父で社長の木村忠夫さん。

祇園祭大船鉾友の会会報「凱旋」。大船鉾は凱旋船鉾とも呼ばれる
でじっくりご覧ください。(一社)日本金属屋根協会「あの屋根!この屋根!~祇園祭大船鉾の銅板屋根 -150年ぶりの復活に板金職も一役-
http://www.kinzoku-yane.or.jp/feature/n_11/n_11-03.html
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>以下はこれまでの日本金属屋根協会公式ホームページ「あの屋根!この屋根!」掲載記事です
http://www.kinzoku-yane.or.jp/feature/index.html
茅葺き屋根の缶詰は
タイムカプセル?
●美山茅葺きの里を目指し、周山街道をゆく
●京街道の良質の缶詰を求めて
●金属も数ある茅葺き屋根様式の一つ?

旧き、よき職人の世界
鴨下松五郎氏に聞く
●"火消し"の度胸
●職人同士の礼儀
●板金は"ハイカラ"で嫌

銅板屋根とともに(上)
お話:斉木益栄氏
●木羽からトタンへ
●人様には言えない
●銅板保険
銅板屋根とともに(下)
お話:斉木益栄氏
●命名、村野藤吾
●天眼鏡で復元する
●職人冥利

金属加工の可能性を求めて
宮村浩樹氏に聞く
●個人企業だからこそ
●技能五輪がきっかけ
●ネットでの受注が9割

板金いま、むかし
鴨下松五郎氏に聞く(下)
●義理と「げんこつ」
●一坪何枚いるんだい?
●板金屋になってよかった
板金いま、むかし
鴨下松五郎氏に聞く(上)
●銅板を厚くみせる
●銅板は昔のほうが丈夫?
●あか板、くろ板、銅板……
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屋根・外壁の安全向上目指す

懇親会であいさつする右田裕之会長。
(一社)日本金属屋根協会は平成27年5月14日、東京・茅場町の鉄鋼会館で、平成26年度通常総会を開催し、27年度事業計画などを決定した。
来年度の重点事業は次の通り。①新しい技術資料作成 ②新たな屋根30分耐火構造認定の取得と認定内容の羞恥徹底 ③MSRW2014 ほか技術情報発信の強化。
また、技術・技能向上事業については、会員企業からの要請により、社内講習会等の講師派遣を行うほか、全国6会場での「金属屋根工事技士更新講習会」も予定している。
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防水の歴史を探る*「ルーフネット」は日本の世界の防水に関する記録の初見を求めて日本書紀や聖書などを調べています。「日本の防水歴史研究会」

ダイフレックスが製造するウレタン防水材「コスミック」の施工団体であるコスミック工業会(渡辺光会長)は平成27年5月13日、東京都練馬区豊玉の野口興産本社会議室で、会員を対象に、新たな講習会を開催した。各種防水工法の一般知識から、不具合事例と対策、防水関連規格と仕様などを、1日じっくり学ぶもので、渡辺会長が講師を務めた。
同工業会では、ウレタン防水を得意とする会員が多数を占めるが、今後改修工事マーケットの一層の拡大に的確に対処するためには、ウレタン以外のアスファルト防水、シー防水、その他の防水についても、正確な知識を持つほか、建築学会使用、公共建築標準仕様などに関しても理解を深めなければならない、として、かねてより「寺子屋」的な勉強の場つくりを検討していた。

61ページの資料。
このほど、そのテストケースとして「コスミック・プチ寺子屋」を開催した。講師は自ら作成したテキストに沿って、多彩な経験談を交えて参加者と対話しながら、幅広い内容を解説した。参加者したNさんは「ウレタン防水以外の知識があまり無かったのだが、話が分かりやすく、全体像をつかめたし、学会やユーザーの考え方が、理解できた」と話していた。

講師を務めた渡辺光会長
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第1回「燃水祭」は 昭和48年8月15日斎行

左から近江神宮40年史(昭和55年11月発刊)、50年史(平成2年11月)、70年史。中下は創建50周年にあたって、新人物往来社から発行された「近江神宮―天智天皇と大津京―」。この編纂には近江神宮の神職3名(権禰宜、近江神宮機関誌「志賀」編集責任者、近江神宮責任役員)が当たっているため、信頼できる資料と判断した。
40周年史、50周年史を踏まえて平成22年11月7日に発行されたのが「近江神宮70年小史」。その中から燃水祭に関する記載を拾い出したのが以下である。
昭和47年(1972年)8月15日 「原油奉献祭」
昭和48年8月15日 「燃水祭」。
昭和49年(1974年) 燃水祭。この年より7月7日斎行。午後魚介類安鎮祭
昭和51年3月12日 大協石油㈱より前田青邨「燃える水献上の図」大日本印刷による高精度複製画が奉献される。原画は昭和44年、大協石油創立30周年にあたり描いたもの。
昭和55年7月7日燃水祭、魚介類安鎮祭。避雷針完成奉告祭。
平成2年(1990年)7月1日 新潟県黒川村燃水祭参列。職員及び岡田晴夫世話人出向。この後毎年職員交代で出向参列。
同 5日 燃水祭。日本書紀奉唱 全石連会長浪田哲雄、原油献納・黒川村商工観光課長布川陽一。横井名誉宮司卜占。240名参列。
* 平成2年からは7月7日または7月5日で斎行されており、平成22年まで詳細に記載されている。
* 石油商業組合の本格的な奉仕が始まって以来、7月7日が土曜・日曜にあたる場合は7月5日に斎行されることになった。
そしてこの70年史の編集後記に次のように書かれている。
「30年前(昭和55年1980)、「40年小史」を刊行した。また50周年の折にはその後の10年間の分が当時の「志賀」に掲載された。本冊子(70年小史)はそれに続くものである。今回(*注:70年史のこと)も社務日誌の抄録を中心にした年表程度のものにならざるを得なかった。いくらかは他の資料にも当たって、40年祭までの分も増補訂正することができたところもあるが、社務日誌全体を点検し直すのも、時間が許さず、ごく粗雑な掲載のままとなった年代も多いのが残念である・・・・」
「近江神宮70年小史」はこれまで発刊された周年記念誌の中では最も詳細な年表だが、
記載のない年は、燃水祭が斎行されなかったわけではない。少なくとも昭和47年は「原油奉献祭」として、また昭和48年以降は「燃水祭」が毎年斎行されている。そして平成22年には、初めて「燃える土」関係者として、防水業界から日本防水の歴史研究会の参列、平成24年には燃える土関係者が日本書紀奉唱を奉仕、26年には、「燃える土」すなわちアスファルトのルーフイングメーカー団体会長による日本書紀奉唱が実現し、今日に至っている。
さて昭和46年以前の「原油奉献祭」斎行を調べるには社務日誌をたどるしかないのだが、現時点で確実に言えることは
「燃水祭」の初出は昭和48年8月15日。
7月7日斎行は昭和49年以降
ということである。
鎮座50年を記念して平成2年11月7日に発刊された「月刊 志賀 」特別号「近江神宮 御鎮座 50周年式年大祭特集」に燃水祭の世話役を務め、当時オルシード㈱の社長であった岡田晴夫氏が「燃水祭と私」というタイトルで寄稿している。

「神社シリーズ近江神宮」。「昭和53年の燃水祭」として写真が掲載されている。参列者はもちろん日本書紀を奉唱しているのであろう奉仕者もまだ平服である。
岡田氏が初めて参列した昭和53年の燃水祭において「業界人は約10名参加」、と自ら書いている。昭和53年は、近江神宮からの案内を見た岡田氏が初めて参列した年であり、石油業界としては、それ以前から参列していたのである。
昭和51年から燃水祭に関わり、現在、燃水祭を取り仕切る大木権宮司によれば、この数年前から(おそらく燃水祭と名称が変わった昭和48年頃からであろう)石油関係者の名鑑を頼りに案内を出していたという。
昭和53年以前から、石油業界が参列していた証が、昭和51年の大協石油による前田青邨の「燃える水献上の図」(精密模写・写真)の奉献である。この原画は昭和44年、大協石油創立30周年にあたり前田青邨が描いたものだ。同じく大木権宮司によれば、近江神宮の近隣で商いを行っていた馬場石油の馬場友次社長が、大協石油のトップと親交が深く、青邨の画の存在を知った馬場氏が大協石油に対して「燃える水献上の図」の奉献を奨めたという。
昭和51年に奉献されたということは、馬場氏は51年から遡って燃水祭に参列しており、かつ燃水祭に対して、大協石油に画の奉献を奨めるほどの賛同の意識を持っていた、ということだから。
またこの時、馬場氏とともに燃水祭を支えたのが、前田利文氏(協同石油社長)、山本浩一氏(東亜興産)、そして、現役最長老で現在燃水祭代表世話人を務めている芝野桂太郎氏(滋賀石油社長)といった人達である。

前田青邨「燃える水献上の図」。原寸大の複製画は100号。54センチ×79センチの一部 紙本淡彩。中央前の甕が「燃える水」。後ろの荷が恐らく「燃える土」。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
始めに述べたように、燃水祭の経緯を辿るうえで重要なのは、40年史、50年史、70年史、50周年で発刊された神社シリーズ「近江神宮」、そして月刊志賀である。これらの資料から、燃水祭に関する記載を拾い出してみた。
月刊「志賀」のうち燃水祭に関する記事は、近江神宮公式ホームページのトップにバナーがある「ルーフネット」から」見ることができる。
「近江神宮40年小史」 昭和55年11月1日「志賀」148号・号外として発刊。
昭和51年 3月12日 大協石油㈱より「燃える水献上の図」奉献さる。
昭和55年 7月7日 燃水祭、魚介類安鎮祭、避雷針完成報告祭
*「志賀」の発行人は近江神宮佐藤宇祐権宮司。
「近江神宮御鎮座50年式年大祭特集」平成2年11月7日 「志賀」特別号
年表に燃水祭の記載はないが、
昭和51年 3月12日 大協石油㈱より前田青邨「燃える水献上の図」奉献さる。
の記載のみあり。
P21-22 に「燃水祭と私」オルシード㈱代表取締役・岡田晴雄氏の記事あり。
編集後記に「志賀」に関する説明がある。以下関連部分のみ。
・・・昭和14年より奉賛会では会報「近江神宮」を発行し、昭和16年までに4号を数え、御造営の時の様子をほぼ掌握することができる。御創建の後、本部を近江神宮内に移した奉賛会は、昭和22年12月より会報「あふみ」(後「近江」と改名)を発行し、さらに昭和43年8月より、志賀発行所が設立され、月刊「志賀」誌が創刊され今日に至っている。
*この時の「志賀」編集責任者は吉田健一氏、編集人は岩崎謙治氏。
神社シリーズ「近江神宮」 人物往来社 平成3年4月20日発行
年表に
昭和49年(1974)7月7日 本年より、燃水祭をこの日とする。(前年まで8月15日)
昭和51年 3月12日 大協石油㈱より前田青邨「燃える水献上の図」奉献さる
とあり。
p110-113に
新潟県黒川村村長・伊藤孝二郎氏が「近江への油の道―燃ゆる水献上地より」寄稿。

防水工事の部分を担当した鶴田裕氏。の説明。
日本建築学会 司法支援建築会議運営委員会は平成 27 年5月8(金)14:30~16:00東京都港区芝の建築会館ホールで、「修補工事費見積り方法検討報告書」報告会を開催した。
司法支援建築会議は会員を対象として、2008 年に建物の瑕疵に伴う不具合の修補費用を算出するさいの指導的 な役割を担う参考書を作成する委員会として「修補見積り検討小委員会」を立ち上げた。
6 年にわたる検討を経て、当初計画していた、さまざまな修補工事について画一的な方法で見積ることを前提にして、統一された修補費用の 見積り方法を作成することは、実情にそぐわないことが判明した。修補に関する裁判の内容が 多種多様であり、修補の目的、修補すべき個所、修補の方法とその範囲、および要求される修補後の品 質が判例によって大きく異なるからで、さらに基礎工事、防水工事、設備工事などの修補 の見積りについては、規模によってやや事情は異なるが概して見積書に示す施工細目が複雑になり、見 積りを業とする専門の第三者に見積りを依頼することが不可欠である場合が多いことが確認された。
そこで、報 告書では 1 編 1 章で通常的に生じる数編の修補事例について基本になる修補の見積り方法を計算例で示 し、1 編 2 章では修補の見積りの計算例のほかに、基礎工事、防水工事、設備工事などの事例について は見積書などを例示して、修補の見積りをするための参考書を作るという方向に転換した。
このほど、報告書がほぼまとまったため、鑑定人、調停委員、専門委員を務める司法支援建築会議 会員ならびに法曹関係者を対象にしてその概要を報告ことになった。
当日の司 会は 池永博威氏。(修補工事費見積り検討小委員会主査/元・千葉工業大学)。
上谷 宏二 氏(司法支援建築会議運営委員会委員長/摂南大学)の挨拶に続いて、各章を次の各氏が報告した。
1.序章・池永博威
2.Ⅰ編 1 章「修補費用の見積り概要」・山本康弘(元・東京都立大学) ・岩松 準(建築コスト管理 システム研究所総括主席研究員)
3.Ⅰ編 2 章「部分別修補工事費用の算出方法」、
Ⅱ編・橋本真一(建設物価調査会総合研究所主席研究員、 経済研究部長)
4.防水工事と雨漏り・鶴田 裕(元・大成建設技術研究所)
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「あきのたの かりほの庵(いほ)の とまをあらみ わがころも手は 露にぬれつつ」

光琳かるたのとり札に画かれた「仮庵(かりほ)の苫(とま)」。天智天皇を濡らした苫屋根です
実った稲を鳥獣から守るために、仮の小屋を作り、見張っている。その屋根が粗末な草葺き=苫(とま)なので、雨露がしのげず衣が濡れてしまう、という歌。雨漏りの歌です
百人一首巻頭のこの歌を詠んだ天智天皇を祀る近江神宮は、「かるたの聖地」といわれています。その歌が雨漏りの歌だった。ルーフネットと日本防水の歴史研究会は、天智天皇は、日本書紀に記された「燃える土」=アスファルト(当時の用途は防水・接着剤だった)を献上されたこと、そしてこの雨漏りの歌を詠んだこと、この2点において、「天智天皇は防水の祖神である」と主張しています

日本茅葺き文化協会の会報「茅ふきたより」第2号に、西日本茅葺き民家保存研究会の上田進氏が、茅ボウトウのイメージから展開したモニュメントを紹介していました。
カヤボウトウに足を付け、大きくしたら、こうなりました、という感じです。
6月6日に開催される今回の茅葺きフォーラムでは、これを見ることができますb。・

稲の実りを心配し、粗末な屋根の雨漏りに心を配る天智天皇はRC建築のメンブレン屋根防水・瓦・板金・桧皮・杮葺き・茅葺きなどすべてのルーファーにとって大事な存在であり、その天智を祀る近江神宮は特別な存在であると思いませんか。今、近江神宮の本殿は茅葺、拝殿その他は銅板葺、この歌にちなんで、小さくとも良いからかるたに係わる施設に茅葺の屋根が欲しいところです。近江の茅葺き職人の皆さん、いかがですか?
「謳え(うたえ)、踊れ、驚異のハイブリッドたちよーーー

2006年にパリ、セーヌ河岸にオープンしたフランス国立ケ・ブランリ美術館。建築家ジャン・ヌーヴの設計でも世界の注目を集めている。 今回の展覧会は、アフリカ、アジア、オセアニア、アメリカから集められたマスク(仮面)をテーマに開催さ れる、日本国内における同館初の大規模なコレクション展。

オープニングで挨拶するケ・ブランリ美術館ステファヌ・マルタン館長。

新館のショップには仮面に関する書籍やグッズが。後ろはアール・デコの邸宅美術館の側面が見える。4月25日からは庭園の整備が終わった部分の一部が公開されている。

OC16 大棟にかける仮面。パプアニューギニア。植物繊維、顔料、ヒクイドリの羽。135.0×69.5×47.0㎝。

「セピック川流域には通過儀礼を受ける男たちと精霊を守ってくれる美しい儀式の家がある。そのファサードと切妻にかけられる仮面は建物の一部をなしており、仮面は大昔の女性の顔をあらわしており、建物はその女性の体を象徴している(解説より)」という。

マスクの裏側。 (写真はいずれもプレス事前公開で撮影。
「人は動物や精霊や神々、そして物語の登場人物を模(かたど)った仮面を纏い、 時に音楽やリズムとともに踊り、舞い、それと一体化することによって、我と仮面(=他者)という両 者の力を併せ持つ存在(‘ハイブリッド’)となって、未知なる時空の扉を開こうとしたのです(リリースより)。」
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