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(旧 「防水屋台村」建設中)
絵日記:
横浜開港記念館のステンドグラスの窓からキング(神奈川県庁本庁舎塔)を望む

横浜開港記念館のステンドグラスの窓からキングを望むR2131489


横浜ン開港記念館R2131354
横浜開港記念館(上)は明治42年、横浜開港50周年を記念して、コンペで建設され大正6年6月竣工。福田重義設計。赤レンガに花崗岩の鉢巻という辰野式フリークラシックスタイル。(横浜歴史資産調査会「都市の記憶」)
大正2年の関東大震災で外壁を残して焼失。昭和2年に再建されたが、予算不足で銅板の屋根とドームは無いままRCの陸屋根を作り、防水された。現在のドームや銅板屋根が復活し、創建当時の姿によみがえったのは平成元年。


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防水の歴史を探る*「ルーフネット」は日本の世界の防水に関する記録の初見を求めて日本書紀や聖書などを調べています。「日本の防水歴史研究会

防水の博士たち RN159号の読み物は大島久次博士の学位論文です
大島久次博士の学位論文
「特殊骨材を用いるコンクリートの使用に関する研究」

大島表紙DSC04764

大島久治
タイトル「特殊骨材を用いるコンクリトの仕様に関する研究」
授与大学:東京工業大
授与年月日:昭和33年6月21日。工学博士



要旨1

要旨3

要旨6 
要旨は6ページですが、このブログ(編集長の取材日記)では1.3.6ページのみ紹介しています。詳細はあすアップ予定の「ルーフネット159号」をご覧ください。

狩野春一、大島久次博士らが昭和20年台後半から将来の山砂不足を予見して、海砂使用に関する研究を行なった。こここから日本での防錆剤の研究が始まったといわれている。予見という意味では、岸谷孝一博士も、すでにこの時期に、海砂を使用した際の「アルカリ骨材反応」を想定した防錆剤の開発にも携わった。しかし、当時は海砂の使用も少なく、研究が注目されることもなかったが、昭和40年代の高度成長期に入り、海砂の使用が広がるとともに、防錆剤の研究も一気に活発化した。大島博士は直接防水の研究を行ったわけではなかったが、多くの防水のJIS制定に関わってきた。


目次
目次1DSC04758

目次3 DSC04760

目次5 DSC04762
概要と同じくここでは目次の第3.5ページのみ紹介しています。

鉄筋コンクリート用天然骨材の払底を確信した著者が、

「細骨材に対しては、従来その使用を顧みられなかった、海砂の利用を計ること、粗骨材に対しては、特に強度を必要とする構造物及び一般的な構造物で、直接土や水に接する低層構造部分に対しては、川砂に代わり砕石の積極的利用を計ること、さらに一般の高層構造部分に対しては、構造物の自重軽減化を計る意味において、天然軽石の積極的利用を計ることを痛感して、これら特殊骨材の適正利用に関する研究を行ってきた


として一連の研究を纏めたもの。


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