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(旧 「防水屋台村」建設中)
133号から 銅板屋根工事の生き字引、斉木益栄さんのお話 始まります 
斎木益栄さん

雪割大根P1190024
雪割り大根2013.1撮影。 写真は記事とは関係ありません。

昭和の初め、神社仏閣や公共建築を除くと、都市圏の一般住宅の屋根は瓦、山村では茅葺き、板葺き屋根の家が一般的でした。今回東京する斎木益栄さんは、昭和7年、新潟県の十日町から3 里ほど山村で昭和7 年、木羽(こば)葺きの職人の家に生まれました。昭和23 年に尋常小学校高等科を2 年で終えて親方に弟子入り、ルーファーとしての歩みを始めます。

日本では昭和27・8 年ごろ、トタンが市場に出回わってきました。木羽と比べてトタン葺きのの作業効率は5倍以上。さらに木羽に割れるような良い木も減ってきたので、屋根は急激にトタンに変わっていきました。

そんな時期に出稼ぎで上京、板金の仕事を覚えてゆきます。屋根を葺くという作業を知りつくした斎木さんは,
長年にわたり(株) 小野エ業所の技術部門の責任者をつとめてきただけでなく、日本銅センターや日本建築学会において銅板屋根に関するマニュアルや仕様書の作成も担当してきました。小野工業所は多くの板金技能士を育成し、また同社が最も得意とする社寺建築の新築屋根をはじめとし、歴史的重要建築物の史実に基づいた屋根修復、改修エ事にも数多く携わってきました。

その斉木さんに、社団法人日本金属屋根協会の大江源一編集委員長は、銅板屋根をめぐって印象に残る建築物や出来事についてインタビューしました。その話は機関誌「施工と管理」に掲載されました。これから 回にわたって転載します。

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防水の歴史を探る*「ルーフネット」は日本の、世界の防水に関する記録の初見を求めて日本書紀や聖書などを調べています。「日本の防水歴史研究会


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