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(旧 「防水屋台村」建設中)
「同潤会大塚女子アパートの歴史から復興における住宅問題を考える
【第124回研修会の開催概要】
演題:「同潤会の歴史から。復興における住宅問題を考える」
講師:計画工房主宰 村上 美奈子 氏

同潤会・大塚女子アパ:村上美奈子

昨年発刊された「同潤会大塚女子アパートメントハウスが語る」で日本生活学会の今 和次郎賞を受賞した、村上美奈子さんが、講演した。

日時:平成24年3月1日(木)午後5時~午後6時30分
会場:日本記者クラブ会議室 プレスセンタービル9階
千代田区内幸町2-2-1


記者メモによる村上講演のキーワード
・ 今和次郎は「考現学」を提唱した。考古学が歴史学史学を補完するように、考現学は社会学を補完する役割を果たす。

・大塚女子アパートは我が国としては初めての職業婦人専用アパートとして竣工した。社会進出を果たした日本人女性の自立を可能にした住まいであり、社会のリーダーを育てる理念があった。

・「同潤会の代表的作品の1つで、わが国の集合住宅の歴史を考える上で極めて貴重な遺構」であるとの理由で、日本建築学会を中心に保存運動が行われ、有志により東京都石原知事に対して解体差止請求と解体後の東京都知事に対する損害賠償請求の訴訟が起こされたが、いずれも敗訴に終わり、2003年に解体された。老朽化と公有資産の有効活用が理由だったが、コンクリートは素晴らしい強度を示し、跡地は未だにブルーシートに覆われたままだ。

・日本ではの建築の保存を考える際、その様式美のみで判断されがち、したがって生活史の記憶を伝えるために集合住宅を保存するという考えはない。

・日本における住宅政策のボタンの掛け違えはどこから始まったか。大塚女子アパートから学べる「ひとと住まいの関係」は大きい。

・戸川昌子の小説『大いなる幻影』の舞台はこのアパートをモデルとし、第8回江戸川乱歩賞を受賞した。東京オリンピックの都市改造ブームの中で大塚女子アパートが4mも曳家された。これをきっかけにデビュー作「大いなる幻影」は書かれたという戸川自身もこのアパートに住んでいた。

・ロシアのヴァイオリニスト小野アンナはここでヴァイオリン教室を開き天才達を育てた。戦後屋上音楽室でコンサートを行った。小野アンナの夫の姪はオノ・ヨーコである。(編集長注:その一人が諏訪根自子。これはミュージックフォーラムで書きたいですね。)


など。


 


大塚女子もの干し

地下には食堂と浴室があり、屋上に屋上庭園やサンルームと音楽室がある。この時代の屋上利用。防水上相当悩まされたはずだが、専門外の村上さんから聞くことはできなかった。後ほど取材の上報告します。


同潤会とは関東大震災の義捐金を原資として1924年(大正13年)5月に設立された団体であり当時、東京を中心に16ヶ所に同様のアパートを建てた。大塚女子アパートはそのうちの1つである。女性専用アパートとして1930年(昭和5年)5月15日竣工。地上5階建て、地下1階。
関東大震災では木造住宅密集の市街地が大きな被害を受けたため、不燃の鉄筋コンクリート造住宅を供給することが求められた。近代日本で最初期の鉄筋コンクリート造集合住宅として同潤会アパートは貴重な存在であり、居住者への配慮が行き届いた先見的できめ細かな計画が評価されている

同潤会建築部には川元良一部長をはじめ、東京帝国大学建築学科出身の鷲巣昌・黒崎英雄・拓殖芳雄・土岐達人らがいた。最初期の中之郷アパートの設計は東大教授内田祥三(同潤会理事)の研究室で行われ、岸田日出刀が関与したという。野田俊彦(「建築非芸術論」で知られる)も一時期大塚女子アパートの設計に関与したという。
1941年(昭和16年)、戦時体制下に住宅営団が発足すると、同潤会はこれに業務を引き継いで解散した。

詳細は 
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%8C%E6%BD%A4%E4%BC%9A%E3%82%A2%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%88
を参照。




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