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(旧 「防水屋台村」建設中)
足利学校方丈と穴原商会
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裏側軒裏

足利学校は、室町時代に、イエズス会の宣教師フランシスコ・ザビエルが「坂東のアカデミア」として、ヨーロッパへと伝えたとされる日本最古の学校です。


足利学校方丈

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玄関軒裏


--------------------------------------------------------足利学校


足利学校は、明治元年(1868)京都駐在の足利藩士相場朋厚(あいばともあつ)が、学校の復興を朝廷に願い出て、藩主戸田忠行が学校の管理にあたり、藩学の求道館を併合し、僧侶の庠主制度を改め、教頭・助教などを置き町民にも学校を開校し勉学の場とした。同4年(1871)足利藩は廃止され翌5年(1872)に足利学校は蔵書とともに栃木県に引継がれました。6年(1873)には、もとの校舎等を利用して、足利町民のための学校が開校し、また9年(1876)には、町民の願いにより、土地・建物・蔵書等が県から返還され、有志の間に遺跡保存の気運が高まり、相場朋厚らが奔走して募金し、足利文庫が設けられました。明治36年(1903)足利学校遺蹟図書館が発足し、貴重図書の管理に努めた。
 昭和57年(1982)には、足利学校の東半分にあった小学校の移転を契機に、史跡の保存整備事業に着手し、発掘調査や古絵図・学校記録などの文献調査によって基本設計、実施設計などが各分野の専門家の指導を受け、同63年(1988)に建物の復原工事に着工し、相次いで庭園復原工事も進められ、10年の歳月を要し平成2年(1990)12月江戸時代中期の姿に甦った。

足利学校と防水との縁

明治27年に設立された穴原商会は我が国の建材業界の創始者である。創業者穴原栄治郎は海外との茶の取引がきっかけで建材業界に進出した。慶応元年に足利市に生まれた。 穴原家は足利学校とも関係があったーと「アスファルトルーフィングのルーツを探ねて」(P65、L20)に記されている。
穴原商会で栄治郎と活躍したのが、我が国防水工事店の草分け、木下金蔵(木下謹三商店創始者)、岡田平蔵(岡田建材創始者)であった。木下金蔵はアスファルトルーフィングの輸入元であった穴原商会大阪支店長としての経験を生かし、大正6年1917年創業。アスファルト防水工事、スレート葺き工事の専門店として業務をスタートした。社長の名前が「金蔵」であっても、工事会社の名前が「金蔵」では、いささかまずい、というので、「謹三にしたそうだ。


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防水の歴史を探る*「ルーフネット」は日本の世界の防水に関する記録の初見を求めて日本書紀や聖書などを調べています。「日本防水の歴史研究会