(旧 「防水屋台村」建設中)
2011年の住宅リフォーム市場規模」は、5.2~5.6兆円
「2011年の住宅リフォーム市場規模」は、5.2~5.6兆円
矢野経済研究所が予測

長径18ミリの小さな紅葉
長径18ミリの小さな紅葉

矢野経済研究所が、2011年第2四半期(4~6月)の住宅リフォーム市場調査を行い、その規模は1兆4,626億円、前年同期比で12.3%減。2011年上半期(1~6月)の市場規模は2兆5,143億円、前年同期比で12.6%減と発表した。
 同調査における住宅リフォーム市場とは、「10m2超の増改築工事」・「10 ㎡以下の増改築工事」・「設備修繕・維持関連」・「家具・インテリア等」の4分野をさす。
これは、2011年第2四半期/2011年上期ともに、2000年以降では最も低い数値。調査当時は東日本大震災から3ヶ月以上が経過していたが、被災地の復興が遅れてい たこと、加えて急激な円高や世界的な株安、景気後退を思わせるような指標の数々などが、短期的ではあるが厳しい状況にあったことなどが影響していると分析している。

矢野経済研究所は6月時点では、2011年の市場規模を、5.7~6.0兆円台と予測していた。しかし、上記の上半期の状況を踏まえて5.2~5.6兆円へ下方修正した。

 全体の傾向として、住宅に対する不安からか、リフォームに対する関心は高くなっているものの、原発事故を受けて、全国的に今年の夏は「節電」がひとつのキーワードとなり、消費トレンドとしても財布の紐が固く絞られていた。また 太陽光発電システムや一部には家庭用の蓄電システムなどを導入する動きや、HV/EVによるスマートハウスといったコンセプトもいよいよ現実化しつつある。とはいうものの、実需要には太陽光発電システム以外は今ひとつ。当初考えていた経済の 回復スピードよりも若干遅いため、住宅リフォームへの需要の回復が遅れている。今後も厳しい状況が続くものの、震災前までの企業の生産状況などが完全に回復するのが秋以降と見られることから、年末~来年にかけて本格的な回復に向かうものと予測している。


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あきる野市指定有形文化財 
旧市倉家住宅

あきる野市旧市倉家

あきる野市旧市倉家

あきる野市旧市倉家
 移築再建後、約10年。まだ雨漏りはない。茅のメンテのために毎日囲炉裏に火が入る。 近辺に茅はなく、富士野演習場の茅を刈った。当時茅葺きを指導した、地元唯一の職人も既にいない。未だ一度も屋根に手は入っていない。

あきる野いろり


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山のコンクリート遺産
山の鉄コン遺産


山の鉄コン遺産
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足利学校方丈と穴原商会
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裏側軒裏

足利学校は、室町時代に、イエズス会の宣教師フランシスコ・ザビエルが「坂東のアカデミア」として、ヨーロッパへと伝えたとされる日本最古の学校です。


足利学校方丈

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玄関軒裏


--------------------------------------------------------足利学校


足利学校は、明治元年(1868)京都駐在の足利藩士相場朋厚(あいばともあつ)が、学校の復興を朝廷に願い出て、藩主戸田忠行が学校の管理にあたり、藩学の求道館を併合し、僧侶の庠主制度を改め、教頭・助教などを置き町民にも学校を開校し勉学の場とした。同4年(1871)足利藩は廃止され翌5年(1872)に足利学校は蔵書とともに栃木県に引継がれました。6年(1873)には、もとの校舎等を利用して、足利町民のための学校が開校し、また9年(1876)には、町民の願いにより、土地・建物・蔵書等が県から返還され、有志の間に遺跡保存の気運が高まり、相場朋厚らが奔走して募金し、足利文庫が設けられました。明治36年(1903)足利学校遺蹟図書館が発足し、貴重図書の管理に努めた。
 昭和57年(1982)には、足利学校の東半分にあった小学校の移転を契機に、史跡の保存整備事業に着手し、発掘調査や古絵図・学校記録などの文献調査によって基本設計、実施設計などが各分野の専門家の指導を受け、同63年(1988)に建物の復原工事に着工し、相次いで庭園復原工事も進められ、10年の歳月を要し平成2年(1990)12月江戸時代中期の姿に甦った。

足利学校と防水との縁

明治27年に設立された穴原商会は我が国の建材業界の創始者である。創業者穴原栄治郎は海外との茶の取引がきっかけで建材業界に進出した。慶応元年に足利市に生まれた。 穴原家は足利学校とも関係があったーと「アスファルトルーフィングのルーツを探ねて」(P65、L20)に記されている。
穴原商会で栄治郎と活躍したのが、我が国防水工事店の草分け、木下金蔵(木下謹三商店創始者)、岡田平蔵(岡田建材創始者)であった。木下金蔵はアスファルトルーフィングの輸入元であった穴原商会大阪支店長としての経験を生かし、大正6年1917年創業。アスファルト防水工事、スレート葺き工事の専門店として業務をスタートした。社長の名前が「金蔵」であっても、工事会社の名前が「金蔵」では、いささかまずい、というので、「謹三にしたそうだ。


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鶴川絵日記
カラスウリの森
カラスウリの森
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燃土燃水献上図をたずねて 2
「燃土燃水献上図」をたずねて ―2―

今回は発見から、本邦初公開までの記録です。


2011年6月。行方不明だった小堀鞆音(ともと)画・「燃土燃水献上図」が、JX日鉱日石エネルギー㈱戸田保管庫で見つかった。動いたのは総合防水メーカーの老舗・田島ルーフィングである。
6月20日午前10時30分、田島国男社長、窓口の綿引友彦氏、ルーフネット編集長立ち会いのもと、東京・岩本町の田島ルーフィング東京営業所会議室において佐野市立吉澤記念美術館・末武さとみ学芸員が画を鑑定した。そして「大和絵の系譜を継く歴史画の父・小堀鞆音の優品である」ことを確認。翌日にはこの作品を10月1日から開催される予定であった佐野市立吉澤記念美術館「小堀鞆音没後80年展」へ追加出品すべく、絵の所有者であるJX日鉱日石エネルギー㈱と出展交渉することが決まった。
田島国男社長、佐野市立吉澤記念美術館
田島ルーフィング東京営業所にて。左・田島国男社長<、右末武学芸員/strong>

動いたのは田島ルーフィングだが、同社に画の捜査協力を依頼したのは丸山 功氏(新バ―レックス工営会長) である。その経緯はこうだ。
昨年2010年10月、縦30センチ、横45センチの美しい織物が新バ―レックス工営㈱丸山さんの元に届いた。日本書記の記載にある「天智天皇に越の国から燃える土(瀝青)と燃水(石油)が献上された」という故事を描いた小堀鞆音画伯の「燃土燃水献上図」を忠実に再現したものである。
これは5年前に死去した、松本工業㈱の佐藤健二社長の妻とよ子さんが、防水業界の歴史に詳しい新バ―レックス工営㈱の丸山 功取締役会長に遺品として額装し贈呈したもの。とよ子さんは「主人の亡父が大切にしていたが、主人は気にも留めずシミだらけにした。主人が亡くなった後、そのことを思い出した。私が持っていても仕方無いので、もらってほしいと思い額装した」そうだ。丸山さんはルーフネットのサイトで小堀画伯の絵を見て、その画と防水業界との深い関わり知っていた。この織物が同じ画柄であることが分かった。そこでとよ子さんに入手経路を尋ねたところ、「義父が日本橋の方の会社からもらったらしい」とのことだった。


その年の年末、新バ―レックスを訪問した田島社長に対して、丸山さんは「日本石油が30周年記念事業の一環として小堀鞆音画伯に日本書紀の天智天皇への瀝青献上の絵を依頼したということであるから、この織物も、日石の関係でつくられ、配られた可能性がある。防水業界にとって貴重なものかも知れない。自分が持っているよりは業界最大手で、アスファルト防水の老舗である田島ルーフィングが持っていた方がよいだろう」とこの織物を寄贈した。 同時に、織物の原図であり、行方不明になっている小堀鞆音画伯による「燃土燃水献上図」の探索を同社社長の田島国男氏に託した。翌月、田島ルーフィングは取引先の株式会社ジェイエックを通じて、JX日鉱日石エネルギ-株式会社(旧日本石油㈱)広報室に調査を依頼した。ジェイエック(旧中西瀝青)は大正8年創業の、田島ルーフィングともつながりの深い日本石油系のディーラーである。

田島ルーフィングからジェイエックを通じてJX日鉱日石に話が行った時期は絶妙のタイミングであった。というのは、平成22年7月1日に誕生した『JX日鉱日石エネルギ-株式会社』は合併による本社移転に伴いそれぞれの財産目録を作成しており、ほぼ作業を終えた時期だった。もちろん美術品も例外ではない。ジェイエック真瀬部長からの調査依頼を受けてリストを調べたJX日鉱日石エネの広報室は、そこに小堀鞆音の名を見つけ、戸田保管庫でケースに入った「燃土燃水献上図」を確認し、6月はじめジェイエックに連絡、ジェイエック真瀬氏から田島ルーフィングに「発見」の知らせが来た。

実は、筆者は前年(2010年)末、JX日鉱日石エネルギー広報室に、これまでの、新潟県胎内市(旧黒川村)教育委員会や、近江神宮などでの調査結果を報告し、画のありかを問い合わせていた。年が開け明け、今年1月7日広報室K氏から連絡があり、「恥ずかしい話だが、会社合併などの混乱により行方不明である」との正式回答を受けて、ルーフネット上で、貴重な画に対する対応の悪さを毒づいていたのである。
燃水祭
小堀鞆音・燃土燃水献上図を模して行われている新潟県の燃水祭

燃土燃水献上図発見」の知らせは筆者にも届いた。そして画は一時的に田島ルーフィングに運ばれた。ルーフネットは2011年4月24日の本格的記事発信以来、この画を防水の起源に関わるものとして、各方面から調査していた。発見の知らせが来た頃、読者から、「佐野市の美術館でこの秋「小堀鞆音没後80年展」がある」、という情報をいただいていた。
佐野は小堀鞆音の生地である。その土地の美術館・佐野市立吉澤記念美術館で本邦初公開の画が展示できないかというアイデアが浮かんだ。これまで日本各地で小堀鞆音の展覧会は行われているが、この画の鑑定を依頼するには鞆音ゆかりの佐野市立吉澤記念美術館が最適だ。田島ルーフィングからの連絡をうけて、すぐに佐野市立吉澤記念美術館とコンタクトした。美術館側は興味を示し、すぐに画と対面する日程が決まった。

約束の6月20日、筆者は佐野市立吉澤記念美術館末武学芸員と秋葉原駅で待ち合わせ、東京の田島ルーフィング東京支店会議室で作品を確認した。そこで「小堀鞆音の美術界では知られていない優品である。多少傷はあるが、展示上問題はない。」という評価を得、さらに画の背景に関してはルーフネットの調査の信憑性も確認され、翌日には「燃土燃水献上図」の追加展示決定の連絡が来た。こうして、防水の起源に関わる歴史画の本邦初の一般公開が実現し、2011.10.1~11.13まで佐野市立吉澤記念美術館「小堀鞆音没後80年展」の目玉として展示された。

小堀鞆音発見
落款で制作年代を絞る

当初、スケジュールの点でこの画の図録への追加は難しいとされていたが、田島ルーフィング、ジェイエック、JX日鉱日石エネルギーの協力で、無事図録にも収録され、ポスターにも組み込まれた。また図録の参考文献欄には防水専門サイト「ルーフネット」の名前が掲載され、展示協力者の欄には、田島ルーフィング、JX日鉱日石エネルギー、ルーフネット編集長の名も見られる。美術館側が用意した記者会見のための配布資料には今回の展示会が本邦初の一般公開となる、「燃土燃水献上図」が詳細に大きく紹介されている。


展示会は11月13日で開期を終えたが、この画を模して近江神宮で「燃水祭」を行っている燃水祭世話人代表で滋賀県石油組合芝野桂太郎理事長が滋賀県から、天然1アスファルトの研究者でと秋田県豊川油田をヨイショする会佐々木栄一会長らも美術館を訪れた。
滋賀石油 芝野さん
近江神宮燃水祭世話人代表。滋賀県石油組合芝野理事長

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茅葺き屋根の漏水と「ふるやのむり」
ふるやのむり
藁ぶき小屋

茅葺き屋根の雨仕舞を語る時、この話「ふるやのむり」は絶対外せないだろう。
「ふるや」=古屋の 「むり」=漏り である。

日本全国に民話として伝わっており、、トラが出てきたり、おせっかいなサルの尻尾が短くなったり、孫がいたりいなかったり、神様が出てきたりーーー登場人物や話の展開に地域差がある。全国共通のテーマ、それだけなじみのある話と言うわけだ。
古屋

こんな話だ。
むり


 むかしむかし、雨の降る晩の事だった。おじいさんが孫に話を聞かせていました。
「じいさま、世の中で一番こわいもの、なんだ?」
「・・・そうじゃの、人間ならば、どろぼうが一番こわい」
 ちょうどその時、どろぼうがウマ小屋のウマを盗もうと屋根裏にひそんでいました。
 どろぼうは、これを聞いてニヤリ。
(ほほう。このおれさまが、一番こわいだと)
「じいさま、けもので一番こわいもの、なんだ?」
「けものならば、・・・オオカミじゃの」
「じゃあ、オオカミよりこわいもの、なんだ?」
「そりゃ、ふるやのもりだ」
 ウマを食べようとウマ小屋にひそんでいたオオカミは、それを聞いておどろきました。
 ふるやのもりとは、古い屋根の雨もりの事です。
 でもオオカミは、そんな事とは知りません。
「俺様よりこわいふるやのもりとは、いったいどんな化物だ?」
と、ふるえ出しました。
 屋根裏のどろぼうも話を聞いて、ヒザがガクガクしています。
「ふるやのもりというのは、どんな化物だ?」
と、丁度そのところへ、何かが首にポタリと落ちました。雨粒でした。
「ヒャーーッ! で、でたあー!」
 どろぼうは足をふみはずして、オオカミの上にドスン!
「ギャーーッ! ふ、ふるやのもりだっ!」
 オオカミは、ウマ小屋から飛び出しました。
 振り落とされてはたいへんと、どろぼうは必死にオオカミにしがみつき、オオカミは振り落とそうとり続けます。
 夜明けごろまで走り続けたころ、うまいぐあいに突き出ている木の枝を見つけたどろぼうは、飛びついて、そのまま高い枝にかくれてしまいました。
「たっ、助かった」
 オオカミの方は背中にくっついていた物がとれて、ホッとひといき。

ふつうはここで終わりですが。 島根県バージョンははまだ続きがあります。


「だが、まだ安心はできん。ふるやのもりは、きっとどこかにかくれているはず。友だちの強いトラに退治してもらおう」と、トラのところへ出かけました。
 話を聞いてトラも恐ろしくなりましたが、いつもいばっているオオカミの前でそんな事は言えません。「ふるやのもりという化け物、必ずわしが退治してやる。安心しろ」 トラとオオカミは一緒に、ふるやのもりを探しに出かけました。 すると高い木のてっペんに、なにやらしがみついています。 オオカミはそれを見て、ふるえ出しました。「あ、あれだ。あ、あれが、ふるやのもりだ」「なに、あれがそうか。なるほど、恐ろしい顔つきをしておるわい」 トラは、こわいのを隠して、「ウォーッ! ウォーッ!」と、ほえながら木をゆさぶりました。 するとどろぼうが、二匹の上にドスン! と落ちてきました。「キャーン!」「ニャーン!」 トラとオオカミは悲鳴をあげながら、逃げて行きました。
 どろぼうは地面に腰を打ちつけて大けがをし、オオカミは遠い山奥に逃げ、そしてトラは海を渡って遠い国まで逃げて行って二度と帰ってはきませんでした。 おしまい

またある地域では

泥棒が一休みしたお堂の中で神様が出てきて「今から悪いことすんでねえぞ」というので、改心して謝った。狼から話を聞いた猿は笑い飛ばして仇を取りに行ってやると泥棒の寝ているところへ尻尾をいれていたずらしていたが、寝たふりをしている泥棒に尻尾を切られた。帰ってきた猿から話を聞いた狼は「やっぱり古家のむりはおっかない」と、猿と一緒に海を渡ることにしたが、猿の方は短く切られた尻尾の傷口が傷んでしかたなく帰ってきたが狼は遠くにいった。
だからここらには猿はいるが、狼はめったにいないとさ。



とまあこんな話です。
むりどん

ユーチューブで動画も見られる。
まんが日本昔ばなし 「古屋のもり」
http://www.youtube.com/watch?v=hcLJVnQCh08&noredirect=1


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ひこばえ
鶴川絵日記

麦可と思えば「ひこばえ」
「麦ですか?」と聞いたら。「ひこばえだよ」と笑われた。2011.11.23.07:30
ひこばえ2
本当だ。実まで付いている!

木の根もとから出てくる脇芽のことだと思っていたら、稲を刈り終わった株から、新しい稲の葉が出てくることも「ひこばえ」と言うらしい。秋田の農家の人が、ブログでこんなことを言っていた。秋田はその年によってひこばえの多く出る年と少なくしか出ない年があるが今年は少ない方だ。このひこばえ、早場米地帯の九州南部などでは穂を出し、実るそうだ。収穫量は10アール当たり多くても120kg程度らしいが稲の力は本当に凄い!!!

鶴川村の「ひこばえ」にもかなり実がついていた。しかし近年は九州でもひこばえは収穫されていないとのこと。
それは、稲の丈が短いから機械化された近頃では短い丈のひこばえを収穫機械で収穫できないためらしい。

日中韓防水シンポ その4 JWMA技術委員長中沢さんからの写真です

日本からは41名参加、全体では200人近くの参加が有った。例年通り午前中はそれぞれが、自国の防水事情・市場動向を、午後からは取組んでいる研究内容を報告した。発表によると、まず中国はまだまだ急成長中であり、勢いは衰えていない。日本は横ばい。これは改修工事の伸びが新築の低迷を補っている。韓国は必死に技術を高めようとしており、限りなく日本に近づいているようだ。(田中教授談)


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次回は2013年、東京で開催。早稲田大学の輿石先生[写真)を中心に開催予定です。

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杭州東駅の現場見学。

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カメラマン(中沢JWMA技術委員長)とっておきのショット。似顔絵ならぬ似顔像を作ってもらう田中先生。 代金は約2000円。「家に持って帰ったら、妻に≪気持ち悪~い≫と言われました」(田中)。

以上 写真提供 JWMA中沢技術委員長。


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両中門作り 秋田県豪農の家 
秋田県 旧奈良家   重要文化財秋田・旧奈良家


奈良家解説
旧奈良家・杉皮
コの字型にくぼんだ部分の屋根の庇付近は茅葺きではなく杉皮で葺かれ、美しい模様を描いている。単調なデザインを避ける遊びかと思ったら、実用的な理由があった。
1月から2月にかけて、つららが出来る。それが落ちる時、茅を引っ張ってゆこうとする。そのため力がかかる部は桧皮ならぬ秋田の杉皮で葺くそうだ。


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「カプセルタワーの外観がとても悲しいことになっているんだ」
「メタボリズムが日本の戦後建築様式の中に歴史として固定された」田中長徳

カプセルタワー:メタボ建築展
「カプセルタワーの外観がとても悲しいことになっているんだ」という話をしていたら、知人が「今六本木の、森アートミュージアムで開催中だよ」と言って、メタボリズム建築の歴史を回顧する展覧会の図録をくれた。

チョートク銀座八丁庵・中銀カプセルタワー

その夜、日課になっているの「PEN PEN チョートクカメラ日記」という、田中長徳さんのブログをクリックすると、昨日2011年11月18日 (金)の記事は「銀座八丁庵のこと」だった。彼は若い時代2年ほど、カプセルタワーの一室を間借りしていたそうだ。彼がカプセルの事を書いたのは2度目。

カプセルタワーにあったチョートクさんの部屋が取材された時に黒川さんも来たそうで、その際、最上階の裏手にあった黒川さんの部屋も見せてもらった、と書いている。ついでにこの記事とは無関係なのだが、「黒川さん亡き後は、息子さんが建築事務所を継いでおられる。その未来夫さんに父上のお住まいを見せてもらったことがあった。黒川さんは大変なカメラ人類でライカなどずらりと揃っていた。」とのこと。



P9300038.jpg
別にこの建物が、好きな訳ではないんだけれど、「防水アンタッチャブル建築」の優勝候補という点では興味深いし、アーキテクトはアーティストなんだと実感させてくれた建物だから、ずっと存在していて欲しいと思う。残念ながらすでに取り壊しは決まっているが、こんなものを作りだした、黒川紀章も施主もえらいと思う。それだけに、このカプセルタワーが満身創痍の姿をさらしているのを見るのはつらい。そんな姿を放置しているオーナーの姿勢にも?を感じますね。


P9300052 kapuseru
漏水?カプセル間の隙間をステンレスシートで塞いでいる。苦肉の策だろうが、設計者が生きていたら泣くだろうなあ。

P9300059kauseru.jpg
ユニットの劣化は激しく、応急処置の見本市だ。黒川さんの強い保存の要望にもかかわらず、2007年に取り壊し、建て替えが決まったそうだ。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
<メタボリズムの未来都市展:戦後日本・今甦る復興の夢とビジョン>
六本木ヒルズ・森美術館  9月17日(土)から来年1月15日(日)まで

恥ずかしながら、記者はこの展示会のテーマを聞いた時、「デブ建築か?」と思った。森美術館は「メタボリズムとメタボとは違います」という異例のステートメントを出している。

日本の現代建築史上、重要な一時代を築いた「メタボリズム」についての展覧会。
1960年代――第二次世界大戦で荒廃した日本が復興し、高度経済成長期へ移行した時代、日本で発祥し世界へと広まった建築運動「メタボリズム」。
運 動の発端は、1960年の<世界デザイン会議>で丹下健三が提唱したメタボリズム思想に遡る。それは、「メタボリズム」という言葉が生物学用語で 「新陳代謝」を意味しているように、“生き物が環境にすばやく適応しながら次々と姿を変え増殖していくのと同様に、建築や都市も有機的にデザインされるべ きである”というものだった。


カプセルタワービル:
 きわめて解りやすいメタボ建築。世界初の実用カプセル建築。メタボリズム運動のシンボルとして国際的に知られているというのだが。でもそれはユニットを一度でも交換していれば確かにメタボ建築といえるが、結局それはないまま取り壊される。メタボを目指した建築ですね。1カプセルのコストは1960年代の国民車「カローラ」1台分以下だった。もちろん取り換えコストの方がはるかに高いことは解るが、もし交換すれば、この建物が間違いなくメタボリズム建築の象徴であると言える。カプセルのオーナーさん、ご自分のカプセルを交換してほしかったなあ。歴史に名を残せましたよ。

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2011.11.18. 1640

38回目の水コンペ 1等(賞金百万円)は北島さん
2人の芸術家の関係を豊かにする空間の提案
38会水コンペ1等・北島
六鹿正治(日本設計社長)審査委員長より賞状と賞金が贈られた。


総合防水メーカーの日新工業が主催する第38回日新工業建築設計競技(通称・水コンペ)の入賞者表彰式が11月16日、東京港区の国際文化会館で行われた。
今回のテーマは「ふたりのアーティストの家」国内外から2152件の登録と676点の作品応募があった。 さる10月21日に審査を行い、当日11点の作品を表彰した。1等は京都工芸繊維大学大学院の北島瑛登さん。
表彰式の席上、主催者を代表して日新工業相臺公豊社長が「水コンペはアイデアコンペ。形にはまらない豊かな発想で、世界に羽ばたいてほしい。水コンペがその手助けができれば嬉しい」と述べた。続いて表彰。六鹿委員長が「今回は676という多くの応募があった。まず審査委員がそれぞれ10~15点を選ぶ。アイデアコンペの常で、これがなかなか重ならない。1次審査で60点が選ばれ、2次で20点、ここから11点を選んだ。順位はついたが僅差だった。審査員によって期待するものには幅があるのだが、共通して「ふたり」の関係を豊かにするものを求めていた。濃密な関係を思い浮かべることは、今の人たちは不得意かもしれないが」といいつつ総評、各委員の論評のあと記念写真撮影を挟んで、パーティーに移り、恒例の審査委員と受賞者の率直な質問・講評があった。(講評は次回。)

2等以下の入賞者は次の通り(敬称略)
2等:崔 恭輔(金沢工業大学大学院)・野田直希(CAAK)・中村有利・佐藤有未(金沢工業大学)
3等:赤井菜々子・酒井駿一(立命館大学大学院)
佳作:松瀬秀隆(大阪工業大学大学院)・福井麻友(奈良女子大学大学院)、竹田和行(東京理科大学大学院)、森 英之(エッグデザイン)、 滝下朋和(千葉大学)・谷 征紀・西村 馨(千葉大学大学院)、森川啓介(フリー)、滝川寛明(石上純也建築設計事務所)、阿部 匠・木原紗知(東京都市大学大学院)、斎藤信吾・李 恵利(早稲田大学大学院)


審査委員(敬称略)
審査委員長 六鹿正治(日本設計代表取締役社長)
審査委員 青木 淳(青木淳建築計画事務所代表)
妹島和世(慶応義塾大学教授)
藤本壮介(藤本壮介建築設計事務所代表)
山本敏夫(鹿島建設専務執行役員・建築設計担当)
相臺公豊(日新工業代表取締役社長) 


38会水コンペ 記念撮影の後3審査員
表彰式会場は前川らの名建築。六本木鳥居坂の国際文化会館。
表彰式を終えパーティーの前に、受賞者達と庭での記念撮影を待つ六鹿正治、山本敏夫、藤本壮介審査委員

庭は植治の旧岩崎邸庭園
例年パーティーの席でコーディネーターの馬場璋造さんが、会場となった建物の解説をするのだが、今回は時間がなかったので代わりに↓

~~岩崎邸は昭和20年5月の空襲で消失、その後昭和30年に国際文化会館が建設された。 設計は前川国男、吉村順三、坂倉準三の三氏共同による。戦後日本の優れた建築であり、旧岩崎邸の庭園との調和を最大限に考慮する姿勢が認められる。~~
との解説が施設の入口にある。


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水平に70センチツルを伸ばす琉球アサガオ
鶴川絵日記
琉球朝顔は真横に70センチ鶴を伸ばす。
琉球朝顔は、まだ満開。葉は青々とし、ツルはぐんぐん上に伸び、すでにマンションの3階に達し,さらに上階を覗っている。なるほど4階建ての家を覆ってしまうというのもうなづける。上に伸びそびれたツルは行き場を求めて真横にピンと首をのばす。真っ直ぐ伸びたツルを測ると70センチ。曲がったものなら90センチ越えもある。恐ろしい力だ。

リュウキュウあさがお


燃土燃水献上図刺繍作品は70周年記念のテーブルセンターだった
日本石油100年史編さん室長[当時]に会う

日石・生野・武田

「あれ(燃土燃水献上図刺繍作品)は創立70周年記念として社員全員に配ったテーブルセンターでした。このほか、全員に配布したわけではないがこの絵(燃土燃水献上図)を金属板レリーフをあしらったタバコ入れも作られたはずです。」と生野さん(写真右。 左はARK武田事務局長)
刺繍



生野・たけだ 
11月14日桜木町の日石横浜ビルの倶楽部で。生野さんは現在80歳。100年史は3万部印刷された。責任者の生野さんには、皮装丁の特別バージョンが贈られたそうだ。


生野・武田
ルーフネットの記事を見ながら当時を思い出す


日本石油創立百周年記念誌が発行されたのは昭和63年 3月。 当時社史編纂室長を務めた生野 寛 さんに逢うことができた。生野さんは 社内報「こうもり」に長年随筆を投稿していたことから、100年史の仕上げを任された。

生野さんを紹介してくれたのは、昭和30年日石入社のARK武田事務局長。刺繍作品の謎は生野さんの言葉で解けましたが、それにしても当時の日石の社員はほぼ5000人。全員に配ったはず、とのことだから燃土燃水献上図」の刺繍は5千枚存在したわけだ。


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働く車はなぜ可愛い
働く車はなぜ可愛いー2
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防水の歴史を探る*「ルーフネット」は日本の世界の防水に関する記録の初見を求めて日本書紀や聖書などを調べています。「日本防水の歴史研究会



前川国男と文化会館
11月22日(火曜日)まで。東京上野文化会館で、模型や書簡等展示
前川国男と東京文化会館
前川先生は防水とはなにかと縁の深い建築家ですね。

東京文化会館50周年記念展として、「前川国男と東京文化会館」・木下晃写真展「20世紀のマエストロ100」が開かれている。
前川国男が手掛けた建物は200以上に上るが、上野の森の東京文化会館はその代表作の一つである。師・ル・コルビジェ設計による「国立西洋美術館」に向かいあう文化会館は海外の音楽家からも高い評価を受けている。
文化会館の落成式は1961年。 その式展のためのパンフレット用の原稿として、執筆された「設計者のことば」、スケッチなどが展示されている。

前川国男模型
小ホールロビーでの展示。 入場無料です。



前川国男(まえかわくにお)(1905-86)
建築家。新潟市に生まれる。1928年東京帝国大学工学部建築学科を卒業後に渡仏、1928-30年、ル・コルビュジエに師事した後、帰国。1930-35年レーモンド建築設計事務所に勤務。1935年、前川國男建築設計事務所を設立。設計作品に、紀伊國屋書店、神奈川県立図書館・音楽堂、京都会館、東京文化会館、埼玉県立博物館、東京都美術館、東京海上ビル、熊本県立美術館など。日本建築学会大賞、毎日芸術賞、朝日賞などを受賞。

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「燃土燃水献上図刺繍」の謎が一部解けました
「佐野市立吉澤記念美術館小堀鞆音没後80年展」勝手に応援企画

本日11月13日 「小堀鞆音没後80年展」最終日です
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小堀鞆音原画「燃土燃水献上図」刺繍作品 


燃土献上刺繍
縦30センチ、横45センチの刺繍作品。日本書記の記載にある「天智天皇に越の国から燃える土(瀝青)と燃水(石油)が献上された」という故事を描いた小堀画伯の「燃土燃水献上図」を忠実に再現している。


刺繍燃水燃土部分
燃土(瀝青)献上のため近江宮に運ぶ

刺繍ドアップ
燃土(瀝青)部分の拡大

既に紹介したように、これは6年前に死去した、松本工業㈱の佐藤健二社長の妻とよ子さんが、防水業界の歴史に詳しい新バ―レックス工営の取締役会長に遺品として額装し贈呈したもの。

丸山さんによると「主人の亡父が大切にしていたが、主人は気にも留めずシミだらけにした。主人が亡くなった後、そのことを思い出した。私が持っていても仕方無いので、もらってほしいと思い額装した」そうだ。

丸山さんはルーフネットのサイトで小堀画伯の絵を見て同じ画柄であることに気がついた。 そして、とよこさんに入手経路を尋ねたところ、「義父が日本橋の方の会社からもらったらしい」とのことだった。

丸山さんは「日本石油が30周年記念事業の一環として小堀鞆音画伯に日本書紀の天智天皇への瀝青献上の絵を依頼したということであるから、この織物も、日石の関係でつくられ、配られたのかもしれない。でも私は画のことも、刺繍物のことも全く聞いたことが無い。ご存知の方がいたら、教えてほしい」
と話していた。その後、丸山さんはこれを、田島ルーフィングに寄贈し、現在東京・秋葉原にある同社東京営業所の応接室に飾られている。
 
このほどこの刺繍作品の謎が一部判明した。そのきっかけは、灯台もと暗し、こんな近くにあった。
ARK.jpg
アスファルトルーフィング工業会事務局長の武田さん。「日本石油の社史で、この画をみたことがある。」と記念誌を探してくれた。

武田さんは昭和30年に日本石油に入社した。退社後アスファルト同業会事務局、1年後、ARKアスファルトルーフィング工業会事務局長に就任。武田さんによると入社3年目に、会社から記念品として「こんな布をもらった」という。 それだ! その年は創立70周年のはず。更に100周年記念誌の編纂室長はかつての上司で、今でも定期的にあっているというではないか。明日、かつての日石100周年記念誌社史編纂室長と会えることになりました。

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清少納言が呼んでいる。源為朝が待っている。
防水の起源に関わる日本書紀の歴史画
小堀鞆音「燃土燃水献上図」展示は明日11月13日まで
清少納言がよんでいる

為朝が待っている
佐野美術館プレスリリース

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新聞広告クリエーティブコンテスト作品展示会
これが最優秀賞
最優秀賞
東京・内幸町プレスセンタービル ロビーにて

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優秀賞はこれ
コピー賞

でもこれが、気になりました
選外


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世界が注目する建築ユニットの最新プロジェクトのポスターに防水工事?
建築、アートがつくりだす新しい環境   ーこれからの ”感じ”

gennbi 記者会見
10月28日の記者会見

妹島和世・西沢立衛。2010年にプリツカー賞を受賞し、現代建築界をリードする建築ユニットと、現代美術界注目の人気キュレーター長谷川祐子によるコラボレーションが今回この企画。

東京都現代美術館の展示ポスターの「防水工事らしき」絵柄に吸い寄せられた記者は、 ~~アーティストの提案は新しい世界感のメタファーとして建築家の実践的提案と響き合い、来るべき「人間性」についてのイメージを複数の角度から指し示します。~~
なんていうパンフのキャッチコピーをみても、体育会系の頭の記者には、ちっともどんな”感じ”なのか掴めません。そこで記者会見で聞いてみました。
現美ポスター

Q:ルーフネット編集長  建築がアートであり、「新しい環境をつくりだす」ということも理解できます。理念がクローズアップされる近年の建築プロジェクトのなかで、この企画展のポスターには、建築工事の中でもひときわ地味な防水工事らしき作業が大きく写っています。これは驚きでした。新しい環境を環境をつくりだす~といっても、理念を提案するだけでなく、本気でとりくむには、生々しい作業が伴うと思います。これは勝手な解釈ですが、ポスターの写真に防水工事という汗くさい実務作業を採用した理由には、何かそのようなメッセージが込められているのでしょうか?

妹島和世さんはこう答えてくれました

 「これからの"感じ”」と言う何かあいまいなテーマであるが、今回のテーマには、コラボレーション、「作る」と言う具体的な行為、形態の問題、ニーダーマイヤーさんの作品が醸し出す空気感、そんな色んな方たちの想いをふくらませるような写真を探した。
チーフキュレーターの長谷川裕子さん:作品を切ったり、一部をカットしたり、まして横の物を縦にするなんて事はキュレーターとしては有り得ない事だ。ポスターでは縦位置の写真が必要だった。 妹島・西沢お二人に相談したら「じゃ写真を縦にしたらいいじゃないと言われた」。「お!これは建築家だ」と感動した。
西沢立衛さん:ニーダーマイヤーも縦が良いじゃないと言ってましたよ~。

残念ながら、防水とは限らないまでも、専門工事への特別なメッセージはなかったようです。

内覧会で作品解説する西沢立衛さん
内覧会で作品解説する西沢立衛さん

*この展覧会の招待券を差し上げます。(先着10名)。下のホームページ「連絡用フォーム」からお申込みください。

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 建築学会で第6 回防水シンポジウム
今日は 立冬。十三夜
日本橋高島屋玄関壁の便器[uso)
どうして日本橋高島屋の玄関入口の壁にbennki があるんだろう


「建築防水分野における新たな取り組み」
主催:社団法人日本建築学会 材料施工委員会 防水工事運営委員会
日時:2011 年11 月8 日(火)13:00~16:30
会場:建築会館ホール (東京都港区芝 5-26-20)
P2011_1108_124206.jpg

雨水・地下水を建築物に入れないための防水技術は、最も基本となるものであり、建築物への要求性能や材料・工法の発展と連動して進化するものである。 昨今では、環境問題や長寿命建築物への要求、自然災害対応等、屋上防水を取り巻く状況の変化が著しい。このような現状認識に立ち、2 年毎に開催され、今回第6 回目となる防水シンポジウムでは、防水工事運営委員会傘下の委員会活動成果の中から、「機械的固定工法防水層の耐風性評価試験方法」、「高日射反射率防水材の屋外暴露試験結果」、及び「ウレタンゴム系塗膜防水に用いる通気緩衝シートの評価試験方法」の計3つのテーマについて活動内容を公開し、また活発な意見交換から得た要望・意見について、今後の学会委員会活動に反映することを目的として開催。

<プログラム>1.主旨説明 堀 長生(大林組)
2.機械的固定工法防水層の耐風性評価試験方法
田中享二(東京工業大学名誉教授)、中村修治(住ベシート防水)、
山部亮一(アーキヤマデ)、石原沙織(東京工業大学)
3.高日射反射率防水材の屋外暴露試験結果
輿石直幸(早稲田大学)、東海林隆史(田島ルーフィング)、清水市郎(建材試験センター)
<休 憩>
4.ウレタンゴム系塗膜防水に用いる通気緩衝シートの評価試験方法
田中享二(前掲)、渡辺光(レオン工業)、古澤洋祐(AGC ポリマー建材)


本当はこうです
本当はこの形でした。


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am KIOSK
日本石油史も展示されています..11月13日まで
小堀鞆音「燃土燃水献上図」は
大正3年8月25日以前に完成していた
日本石油史展示

佐野市立吉澤記念美術館。 小堀鞆音「燃土燃水献上図」の前のケースに「日本石油史」が展示された。

PB062175.jpg


同書の目次後に見開きカラー図版があり、「天智天皇の御宇燃水燃土を越の国より献上の図」
同書凡例の末尾に「本書の装丁は小川千甕氏,燃ゆる水、燃ゆる土献上の図は小堀鞆音氏の筆に成りたるものなり」と記されている。

小堀鞆音燃土燃水献上図、原画 140

PB062181.jpg


この本を日石は3月の大正博覧会に合わせて発刊したかったはずだ。できなかった理由は前書きに書かれている。
本来大正元年までの分で記念誌は編集を終え、大正3年春に印刷に回ったのだが、業界の様子はその後激変、さらに5月にはかつてない大噴油があり、記事を追加せざるを得なくなったからであろう。



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防水の起源を描く画を見る前に
「小堀鞆音没後80年展」は佐野市立吉澤記念美術館と佐野市郷土博物館との共同企画です。
郷土博物館は佐野厄除け大師から車で5分。

佐野厄除大師
佐野厄除け大師にて

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佐野は実は蔵の街
佐野は実は蔵の街。厄除け大師から、郷土博物館への移動中、蔵が続いている。


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am キオスク

am 11.5
2011.11.5 18:30
第3回 日中韓防水シンポ 石原さんより
第3回日中韓防水シンポジウム だより
東工大・石原さんの写真とコメントです

受付の様子
受付の様子


2009年に始まった日中韓防水シンポジウムも、今年で3回目を迎えました。
今年は中国杭州の浙江工業大学にて、楊先生を組織委員長として開催されました。
日本からも40名強参加し、中国,韓国の研究者,技術者と交流を深めました。
次回は2013年、早稲田大学の輿石先生を中心に開催予定です。
ーーーーー石原沙織(東京工業大学 応用セラミックス研究所)

会場の様子
会場の様子

組織委員長の楊先生からのご挨拶
組織委員長の楊先生からのご挨拶
---------------------------------------------------   写真撮影:石原沙織(↓右端)
石原沙織[前列右端)



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