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(旧 「防水屋台村」建設中)
防水マンの運動会
ルーフィング担いでのリレーは

防水運動会の花形競技



同業界運動会3
22キロのルーフィングを担ぎ、50メートル全力で走る

同業界運動会1
リレーの決めてはバトンタッチと言うが、ルーフィングリレーのバトンタッチの難しさはその比ではない。重くて長いルーフィングバトン。まして右利きから左利きへ、左利きから右利きへのバトンタッチとなると、こんな転倒は当たり前。


昭和30年代、社・アスファルト同業会主催の防水運動会は活気に満ちた防水業界の工事店各社が、火花を散らす対決の場であった。そのメインイベントが、会社対抗の「ルーフィングリレー」。各社精鋭の若手4~5人をえらび、1周100メートルのトラックを半周ずつ、「社の名誉をかけて」走る。 担ぐのは22キロのアスファルトルーフィング。バトンはもちろんルーフィング。

通常リレーの花形はアンカーだが、ルーフィングリレーではトップ走者にも強者を配置する。ルーフィングを足元に置き、スタート合図でそれを肩に担いで走りだすからだ。

当時の現場ではフェルトは20キロ、ルーフィングは22キロ。アスファルトコンパウンドは1袋40キロ。
防水工事店の社員たちは職人と一緒に、40キロ袋を2袋、3袋担いで、階段を上り、屋上に荷揚げしていた。

運動会の会場は豊島園。昼飯は神田須田町の有名な稲荷寿司、賞品は鍋、釜、フライパン。
三波 春夫のファンクラブ運動会も隣のグランドで同時開催していたことが、何度かあったという。

三星産業、高山工業、日新建工、日瀝化学、中村瀝青…と言った強豪の中でも、常勝組が高山、中村。両者は当時盛んだった野球大会でも張り合い、野球は中村、運動会は高山が、それぞれややリードしていたそうだ。

ルーフィングを何本持てるか、コンパウンドを何袋担げるか、何分で屋上まで上げるか、現場までバイクで飛ばし何分で着くか、1日で何平米施工できるか…、何かにつけ競い合った、ある意味、活気のある時代であった。

写真提供:日本防水の歴史研究会丸山功さん

* 注:
袋に入ったアスファルトコンパウンドを窯で溶融し、巻いたルーフィングを延ばしながら、溶けたアスファルトで貼り付けてゆくのが、アスファルト防水熱工法。

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防水の歴史を探る*「ルーフネット」は日本の世界の防水に関する記録の初見を求めて日本書紀や聖書などを調べています。日本防水の歴史研究会