(旧 「防水屋台村」建設中)
*声と力と心を合わせた 除夜の鐘
「え~い、ひとーつ」「そーれ」 国内最大級の知恩院の鐘
知恩院除夜の鐘
知恩院名物水平撞き GX200

知恩院の大鐘は1636年鋳造。高さ3メートル、口径2・8メートル、重さ70トン。東大寺(奈良市)や方広寺(東山区)と並ぶ国内最大級の鐘。

 「えーい、ひとーつ」「そーれ」の掛け声で、16人の僧侶が一斉に子綱を引いて撞木(しゅもく)に勢いをつけると、親綱を持った1人の僧侶が全体重をかけて仰向けに真横になって大鐘に打ちつける。(ユーチューブでたくさんの動画がアップされています)

サウンドスケープを研究する音楽学者・ 中川真教授によると、知恩院の鐘の音は 175ヘルツで、日本音階の下無調。中川氏は京都の梵鐘の音程と五行思想との驚くべき関係を見つけた。「平安京 音の宇宙」1992年平凡社。で第14回サントリー学芸賞、第7回京都音楽賞、第4回小泉文夫音楽賞を受賞した。

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*聖書と防水ギャラリー
ノアの方舟

noa
 神はノアに言われた。
 あなたはゴフェルの木の箱舟を作りなさい。箱舟には小部屋をいくつも造り、内側にも外側にも瀝青(アスファルト)を塗りなさい。
創世記6章 9節

 創世記には舟のサイズも記載されている。その大きさは15,000トンクラスの舟にあたるという。

内側にも外側にも塗りなさい。 すなわち 屋根にも壁にもアスファルトを塗りなさい。 と命じたわけですね。


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* 屋根工事関係者のための百人一首 3  式部 めぐりあいて・・・の歌碑は京都 蘆山寺に
57番 めぐり逢ひて 見しやそれともわかぬ間に
 雲がくれにし夜半の月かな


ろざん寺歌碑
この歌碑があるのは京都。御所の前。ルーフネット編集長が通った高校のすぐ隣の蘆山寺。紫式部はここで夫藤原宣孝との生活を送り、一人娘の賢子(かたこ)を育て、源氏物語を執筆したとされています。



式部が一時住んだ[越]前武生には紫式部の住まいの跡が公園になっていて、次の3つの歌碑がある。

ここにかく歌碑
「ここにかく 日野の杉むら 埋む雪 小塩の松に けふやまかえる」  谷崎潤一郎揮毫
日野山は越後富士といわれている。その美しい杉林に雪が積もっているのを見ると京都の小塩山に降り乱れる雪を思い出し

はるなれど歌碑
「はるなれと しらねのみゆき いやつもり とくへきもとのと いつときなきか」
後に夫となる藤原宣孝との贈答歌。当時、敦賀に来ていた宋の国の人たちと会うことを口実にしてでも、越前に下向してプロポーズしたい、という宣孝に対して紫式部は、加賀の白山に積もる雪を読み込んで断る。白山は越前武生からも眺められる。


 身のうさは歌碑
「身のうさは 心のうちに したひきて いま九重に 思ひみだるる」 円地文子揮毫(絶筆)
宮仕えに出ても、心の中についてきて、今宮中であれこれと、心が幾重にも乱れることだ。
夫藤原宣孝に先立たれた式部は、娘賢子を育てながら人気作家となってゆく。 そして一条天皇の中宮彰子のもとに女房として召しだされる。その栄華のさなかで読んだ歌である。


*紫式部親子が住んだ武生で見た 「雲がくれする」前、「夜半の」6時間前の「月」
防水関係者のための百人一首講座 その802話
めぐりあひて 見しやそれとも わかぬ間に 雲がくれにし 夜半の月かな
紫式部
紫式部 夜半の月

おもひだしダイアリー
      福井県の武生(たけふ)に行ったのは10月15日。旧暦では長月9月8日。上弦の月だ。武生は越前の国府(首都)だった。天智天皇が「越の国」から燃える土[瀝青]と燃える水[原油)を献上されたのが668年。その直後、「越の国は越前、越中、越後に分割された。武生は紫式部が越前守として赴任した父と一緒に住んだ街である。
上限の月は6時頃に沈む。夕ぐれの蔵の屋根と月はなかなかいい位置関係にある。

百人一首にある式部の歌は
「めぐりあひて 見しやそれとも わかぬ間に 雲がくれにし 夜半の月かな」
久しぶりに逢ったというのに あなたかどうかもわからないうちに 雲の間に隠れてしまう夜更けの
月のようにいなくなってしまった

式部のこの歌は、新古近集からとられたもので、7月10日頃の月を詠んでいる。詞書には「式部は幼友達に
何年ぶりかで会った。久しぶりでと喜んだのもつかの間。友人は早々に帰ってしまった。7月10日ころの月が出ていたのだが、その月が夜半に姿を隠すように(10日頃の月は夜半に入る)味気なくすげないめぐり合いで会った。

防水関係者のためのこじ付けリレーション
紫式部と防水:式部は生涯1度だけ都以外の地に住んだ。それが父の赴任先越前。その国府であった武生に今では式部公園がある。越前は天智天皇の時代からほどなく「越の国」が越前、越中、越後に分割された。要するに「越」つながりという、かなり強引なリレーション。
はずれついでに「狂歌百人一首 紫式部の段」 名ばかりは五十四帖にあらはせる 雲がくれにし夜半の月かな

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第2回韓中日防水シンポジウム(続) 
JWMA中沢裕二技術委員長が日本の防水事情を報告

材料別防水市場占有率と防水施工面積>
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防水工事に用いる材料は多種あるが、大きくはアスファルト系、シート系、塗膜系に分けられる。アスファルト系はかつては絶対的なシェアを占めていたが、現在はこの3種でシェアをほぼ三分。中では塗膜系がやや多い。


防水市場規模
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日本の防水材の市場規模は約8千万平米。ここ10年間ほぼ横ばいである。


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*小倉百人一首  最初の歌は天智天皇の雨漏りの歌
屋根工事関係者のための 百人一首入門

秋の田の 18K
白州かるた

この百人一首の最初の歌。尾崎雅嘉著、岩波文庫「百人一首夕話」の解釈によると…

稲の実りたる秋の田を、鳥獣に荒させじと、仮庵とて仮屋を建てて守り居るが、その庵を葺きたる苫の目があらき故、中にいる我らの袖が朝も夜も露に濡れつつして、苦労なる事ぞといふ心なり。

…とある。尾崎氏によれば、天皇は雨漏りで、自分の衣手=袖が濡れて、嫌だなあ、というのでなく、「土民になり代わりて」、詠んだ「百姓の苦労をいたはらせ給う叡慮の有難きなり」と解釈している。

天智天皇は「雨漏りして大変だね」と、心配してくれていた!!

これは縁が深いどころか、防水神社にお祀りせねばならぬかもしれない。


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鶴川絵日記
袋をかけるのは一つだけ。
なんてん
南天は鳥達の好物だ。正月用に一つだけ袋をかけた主の人柄が覗える。
CX3

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*疏水余話:
水路閣改修調査委員長 石田潤一郎さん について

RIMG0776水路閣
 


 1952年、鹿児島市生まれ。京都大大学院修了。専門は近代建築史。2001年から京都工芸繊維大教授。南禅寺水路閣の改修調査検討委員長や、舞鶴市の赤れんが倉庫群の保存活用検討委員も務める。著書に「関西の近代建築」「都道府県庁舎
あしばすいろかく
応急対策された水路閣

 
いしだ・じゅんいちろう
読売新聞2010年3月10日 に紹介されている。. 京都工芸繊維大教授、石田潤一郎さん(57)は大学生だった頃、京都市内に残る建築家、武田五一(1872~1938)設計の建物を調べたそうだ。1970年代、近代建築についての研究は少なかった。取材の結果、 京大時計台(左京区)、府立図書館(同)、関電京都支店(下京区)、京都市役所(中京区)……。83年までに37軒を確認した。京都観世会館隣りの藤井有鄰館もその一つ。
 「権威的な重々しさがなく、前衛的なデザインを取り入れながらも、親しみやすい」のが武田五一の作品。その代表例が、左京区岡崎の琵琶湖疏水沿いに立つ藤井有鄰館なのだという。(注:有鄰館の鄰の字はヘンとツクリが逆になっている)

ゆうりんかん
藤井有鄰館 滋賀県出身の実業家藤井善助(1873~1941)が設立。中国の殷代~清代の青銅器や仏像彫刻などを展示。85年、京都市登録有形文化財。 開館は毎月第1、3日曜日の正午~午後3時半(1、8月は閉館)。設計した武田五一は、広島県福山市生まれ。東京帝大に進み、図案学研究のため渡欧、装飾 芸術アール・ヌーボーなど最先端のデザインを学んだ。帰国後は、京都高等工芸学校(現・京都工芸繊維大)などの創設に尽力した。 1926年(大正15年)、中国の美術工芸品の展示、保存を目的に建てられた鉄筋コンクリート3階建て。近代の私立美術館の建物としては最古とされる。入り口は、龍が浮き彫りされたアーチ型。3階のバルコニーは、日本建築で使われる「肘木」が支える。館内の天井などには優美なステンドグラスが使われている。


同記事によると
 斬新なデザインだが、美術館や図書館が立ち並ぶ閑静な一帯になじんでいる。「和、洋、中を自由自在に混ぜ合わせているものの、全体的にあっさりとしている。穏やかな新しさが、古都の雰囲気を損ねずに、モダンな京都を演出した」と語る。
 武田は明治後期から昭和初期にかけて、さまざまな建物の設計をしたほか、ステンドグラスや家具のデザイン、本の装丁なども手がけた。建物や作品には随所に柔らかな曲線の装飾が施されており、近年、ファンが増えている。
 「今で言う『かわいい』魅力がある。高層ビルや巨大なマンションなど、すきのない建物に囲まれていると、温かみのあるデザインを懐かしく感じるのでは」と、人気の理由を分析する。
 文化財になっていなかった近代建築も多く、83年までの調査と比べ、武田の設計した建物は少なくとも14軒が姿を消したという。跡地には、マンションなどが建った。「おおらかな設計になっており、現代生活に合わない部分は、一部修理すれば活用が可能なはず」と、取り壊しを残念がる。
 「建築は、時代の美意識を反映する存在。寺社や町家、近代建築が並ぶ万華鏡のような都市空間が、京都の魅力となっている」と話している。



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enikki
クリスマス商戦おしまい、今夜は徹夜で新春セール準備

おわりくりすます
CX3
enikki
* 休日のトランペット吹きはコルネットを愛する
近づいてみるとトランペットではない。「コルネットなんですね」。「ウンこのほうが音が柔らかい」と小澤さん。トランペットは高校生時代から。環境を専攻していた芸大生時代はバンドを組んでいた。レパートリーは100曲以上。
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音楽はパネルを見てもらう手段


本を見せるコルネット吹き圧縮
彰国社から出版した藤森照信氏との共著:東京の街作りでも、この考えを提案している。

構想図
5年前の小澤さんの構想図と同様の案がアムステルダムで事業化されている




5年前2004/08の構造図と同様な案がアムステルダムで事業化(2008発表)へ

概要 都市環境基盤と水環境の再生 構想案 江戸橋上空から日本橋方面を地下構造とともに示した構想図。この地下構造は、環境や安全や利便性などの向上とともに、民間主導によっては税金を使わずに、河川の借地料収入等の税収につながる環境基盤システムとしても提案し、工事・工費・税負担の解決、防災の貢献、環境の貢献、活性化の貢献を前提としている。

左図(2004/08 小沢尚著作)は絵葉書として、2009/12に印刷し、2005/10/15から開催された水都・東京を考える~国際シンポジウム「東京エコシティ」~でも、研究者等の参加者の何人かに配り、基調講演したケース・ファン・ラウフン(アムステルダム都市計画局)氏にも翌日ボートクルージング等で渡したものである。
絵葉書の配布の目的は、意見等を聞くとともに、考え方の波及を期待していた。4年後2008/09にアムステルダムへ行った際に、偶然にも雑誌(2008夏号)に下図のような図を発見し、同様な構想が具体的事業に展開していることに取りあえず喜び、アムステルダムの関係者に2009年1月に現地ヒアリングを実施し、進めているプラン概要を把握した。
パネル1

パネル3

2パネル
enikki
日本一写真を撮られているツリー

銀座ミキモト CX3
鶴川絵日記
鶴川絵日記
鉄塔を上る月
鉄塔を上る月
XC3


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*yomimonoルーフネットの三大テーマ
Ⅰ 日本書紀にみる日本の防水の起源
―668年 天智天皇に燃土(瀝青)・燃水(石油)を献上―

kobori shikishi
http://www.roof-net.jp/index.php?%E3%80%8C%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%9B%B8%E7%B4%80%E3%81%A8%E7%80%9D%E9%9D%92%E3%80%8D

Ⅱ 聖書と防水三部作 人類の防水の起源は4000年前

―ペルシャ・エジプトと聖書に先立つメソポタミアでの瀝青利用―

ドレのノア

http://roof-net.jp/index.php?%E3%80%8C%E8%81%96%E6%9B%B8%E3%81%A8%E9%98%B2%E6%B0%B4%E3%80%8D%EF%BC%93%E9%83%A8%E4%BD%9C

Ⅲ 日本人の手による近代化の象徴

―琵琶湖疏水にみるコンクリートと防水―

水路閣全景

http://www.roof-net.jp/index.php?%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%88%9D%E3%81%AERC%E6%A9%8B%E3%81%A8%E7%90%B5%E7%90%B6%E6%B9%96%E7%96%8F%E6%B0%B4

今日は2010年最後の満月です。ルーフネットは月のフェイズに合わせて発行します。新月、上限、満月、下限とともに変わります。もちろん編集長の日記は毎日(ほぼ)更新。明日は冬至。 1185年の明日、静御前が吉野で捕縛された日です。今年もあと10日。ご愛読ありがとうございます。

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絵日記
2010.12.20 21:00のnihonnbashi
日本橋NOW 空飛ぶ悪魔 235かける242pic
空とぶ悪魔。CX3
*休日のトランペット吹き
宮城大学小澤尚教授は8年前から土日祝日の昼間はトランペットを吹いて、
日本橋を開かれた運河適な川として活用再生しよう、と訴えている。

torannpetto


街中がクリスマスの日本橋の土曜日。橋の下からjazzyなトランペットが聴こえる。マイファニーかな、と思っているうちに今度はマイウェイだ。いつもの定点観測地点に近づいて行くと、正にその場所に何やらパネルを一杯拡げてコルネットを吹いている人がいた。

パンフレットにはこんな事がかいてあった。
橋
小澤 尚さんによる高速道路を地下化した日本橋のイメージ


展示・配布趣旨 日本橋に限らず街の歴史や水環境の回復へのあり方をともに考えていただければと展示・配布し、ご意見をいただければと2004年から、土日祭日昼活動しています。

上図 将来のあるべき姿、江戸橋から日本橋方面を1997/8(12年前)に構想・作図した。日本橋・八重洲地区の地区計画の際の検討の際に現首都高の地下化を検討し物理的・構造的な可能性を検証した後に将来の姿を想定・提案した図面や模型の中の一つとして描いた葉書サイズの構想図。葉書としても自費印刷。石原知事、扇建設大臣が、検討せよとのことになった図でもある。これを経て、国交省、首都高、学識経験者による2001/04「東京都心における首都高速道路のあり方委員会」を発足した。東京都の2001/05の「震災復興グランドデザイン」p53に図版許可依頼があった図版。

12年前から上図のような構想を発意し呼びかけ、それは、中央区、東京都、国と話題が広がってきました。しかし、公共側の現在の有力案は、日本橋の付近の景観のみのために、川辺の建物を付近に飛ばし(容積率移転の運用)て、そこの浅い地下に首都高を移す案で、建物の高層化とともに、首都高用地を確保するという前途の見えない段階です。この呼びかけの案は、江戸開府の歴史とともに開かれた運河的な川として活用再生する案ですが、この実現は、お金や技術に関しては解決可能ですが、問題は、川の管轄や道の管轄等、縦割りの問題を超えて考えて行動すること、互いの意識を高めることかなと考えています。ご一緒に考えて頂ければ幸いです。


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nihonnbashi
日本橋 20101218の月
日本橋の月22010.12.18.21.30の月
CX3




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enikki
nihonnbashi

enikki nihonnbashi kurisumasu
2010.12.19 土曜の夜  CX3




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絵日記
東京都下 あるマンションの餅つき
mochitsuki
mochitsuki 2


マンション改修工事の成不成功はそのコミュニティーの熟成度に負うところが多い。住人間のつながりを深めるために、また子どもの教育を兼ねて日本の四季折々の伝統行事が良く利用される。中でも餅つき・花火大会は筆頭だろう。決めては世話役の大人が楽しめること。普段顔を見せないお父さんを楽しませ働かせ、忙しいお母さんに楽をさせ満足させ、子どもは楽しみながらいろんなことを学んでゆく。そんなコミュニティーでディスカスされる改修計画は悪かろはずがない。ここのところをかぎ取る感性を改修工事会社が持っているかどうか。営業とはそういうものだろう。

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えにっき
BQ蕎麦グルメのご挨拶
メリークリスマス
CX3
*第2回 韓中日 防水シンポ ソウルで開催
日中韓3国協力で技術高め世界の防水技術向上に貢献したい。
2kai  シンポ
日中韓それぞれの防水事情初め19編の論文が発表された。

2かい シイポ 呉 しょうこん先生
呉 祥根組織委員長(写真は2009/11/25東京で行われた第1回日中韓防水シンポジウムで挨拶中のもの)

「アジアの3国が協力して技術を高め、世界に発信し、世界の防水技術向上に貢献しよう」という東京工業大学田中享二教授や韓国ソウル科学技術大学呉 祥根教授の熱意で昨年はじまった、日中韓防水シンポジウムの第2回大会が10月25日、ソウル科学技術大学校で開催された。日本からは防水に関して田中教授の後継者として学会のリーダー役を担いつつある早稲田大学輿石直幸教授初め42人が参加した。

今回の主催はソウル科学技術大学校住宅大学院建設技術研究所。会議の冒頭、主催者と組織委員を代表してソウル科学技術大学校住宅大学院長で建設技術研究所長の呉 祥根教授が挨拶した。

建築構造物において水を制御することは簡単ではないが、各国それぞれ多くの材料・工法・施工の領域でレベルを高めつつある。それに加え最近は地球環境に対する配慮等従来とは異なった視点も重要視されている。これに応えるには、まず近い仲間である韓国・中国・日本3国間での防水技術に関する綿密な連携が必要である。
このような背景の中で、第2回韓国・中国・日本防水シンポジウムを韓国のソウル科学技術大学校住宅大学院・建設技術研究所(呉祥根教授)、韓国建設生活環境試験研究院(金栄根團園長)、大韓専門建設協会美装防水組積工事協議会(朴済徳会長)との共同主催により、開催することになった。
今回は論文も22編(編集部注:各国防水事情を含む)と増え、また海外からの出席者も増えた。このシンポジウムを通して3国の強い結びつきと、防水分野のさらなる発展を強く願う。(要旨)

発表論文の概要は次号
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絵日記
とmと
頑張り過ぎのとまと
CX3
絵日記
日本橋NOW
日本橋なう
2010.12.11 18:50
CX3
日本書紀と防水
日本の防水の原点を求めて「燃土燃水献上の地・黒川村」へ
pokopoko
シンクルトン石油記念館の周辺ではあちこちで天然ガスが浸み出し「ポコポコ」音を立てている。
油坪
原油が浸み出す油壺。毎年ここから採取され、近江神宮に献上される
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記念館担当の伊東さん。

燃水案内
近江神宮の燃水祭で使者として臭水(燃水=原油)を献上する伊東さん

伊東さんが石油シンポジウムで報告した。資料をホームページで紹介します。

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絵日記
2010.12.06の河童橋通り
河童橋通りから
CX3
鶴川絵日記
さざんか
酔っ払いに手折られたサザンカ。サザンカのいい香りは案外知られていない。
5D2 EF100/2.8L



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*「アスファルト及びその応用」そして「ニチレキ」の生き証人
「アスファルト及びその応用」「日本アスファルト物語」の真の編集者は
山本哲朗さんです。 (丸山功キュレーター談)

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1931年 長野県諏訪中学入学。1946年復員。1983年 日瀝科学工業[株)常務取締役退職。現在(社)日本カンボジア協会常務理事。駐日カンボジア王国大使館特別補佐官、池田20世紀美術館役員。著作:コーランの世界


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左が1983年に日瀝化学工業常務取締役を退職した山本哲朗さん。
右は防水歴史図書館の丸山 功キュレーター。


丸山:日瀝化学工業池田英一社長の片腕として、山本哲朗さんは同業会(社団法人日本アスファルト同業会)の会合にはほとんど出てらっしゃいましたね。アスファルト同業会編の「アスファルト及びその応用」編集の際も八重洲のアスファルト会館にはいつも山本さんの顔が見えたし、池田英一さんの「日本アスファルト物語」も実際のまとめは山本さんがなさったと聴いています。


山本:
このルーフネットでも編集長の森田喜晴さんがよく調べておられるように、アスファルトが日本で初めて記録に現れたのは、日本書紀の記述にあるように西暦668年です。その後の記録はほとんどありませんが、寛政年間から明治にかけての長い年月、天然アスファルトが利用されて油煙が製造され、墨その他に活用されていたことはほとんど知られていない。僅か数トンの天然アスファルトの使用から始まった需要が、石油アスファルトが開発された大正時代を経て」、「日本アスファルト物語」が書かれた頃、昭和53年には年間522万トンを越える巨大な量に成長している。にもかかわらず、アスファルト関係者ですら、アスファルトの歴史、性質、全体像などの認識は極めて低かった。池田さんは本当に慾の無い人でしたが、常々「歴史を知った人がいなくなること」を心配していた。その不安が池田さんを、「アスファルト及びその応用」や「日本アスファルト物語」の製作に駆り立てたのだと思いますよ。

森田:「アスファルト及びその応用」では市川良正さんが監修者のような位置づけになっていますが、実際のところどうだったんでしょう。

山本:編集会議で、実務スタッフがよく頑張りました。先生は寡黙な方で、最終段階でお伺いをたてると、先生は「ウン」と一言だけ言われましたね。(笑)

丸山:最晩年、市川先生はは少し具合が悪かったようですね。総会の席で会長としては、妙な挨拶をされ、会場が騒然とした記憶があります。

森田「日本アスファルト物語」の方は池田英一さん個人の著作ですから、山本さんはさらに深くかかわられたのでしょうね?


山本:
池田さんは編集後記で何度か私への謝辞を書いてくれました。校正の際、その度私がその部分を消すのですが、池田さんはまた書く。そんなことが何度もあって、最後に池田さんが根負けされた。だから私の名前は残っていません(笑)。

丸山:社団法人全国防水工事業協会の100周年記念誌で私も匿名記事を幾つか書いています。名前を消した、という気持ちはよくわかります。

・・・・・・(2010.12.1東京・神楽坂鳥茶屋別亭での取材記録より)この日の対談の様子はデジタルアーカイブスで順次紹介します。

大川塾

山本さんが2009年に9月22日にまとめた296ページの労作。



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