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(旧 「防水屋台村」建設中)
*「聖書と防水」ギャラリー
シャガールが描いた「ノアの方舟」
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40日たって、ノアは自分が造った方舟の窓を開け、鳩を放って水が引いたかどうか確かめようとした。

残念ながらシャガールが描く「ノアの方舟」は、アスファルト防水を施した方舟の外観を見ることはできません。
(防水の歴史研究会:森田喜晴)

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*お初の上七軒だより 8
お献茶副席の上七軒のお茶席に行ってきました.
(左千夫)


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「お献茶」
正式には北野天満宮献茶祭と言います。
献茶祭は、約400年前(天正15年の旧暦10月1日)に豊臣秀吉が、千利休・今井宗久らに催させた「北野大茶湯」がはじまりです。現在では毎年11月26日に茶師が春に製造した抹茶の原料になる碾茶(てんちゃ)を茶壷に詰めて奉納(御茶壷奉献祭)し、その口切式の神事を行ったものを濃茶、薄茶用に挽いて用いています。
この献茶祭は京都の4家元と2宗匠(薮内・表千家・裏千家・武者小路千家・堀内・久田)が輪番で6年目ごとに奉仕、神前で献茶式を行うことになっています。当日は、拝服席、境内の明月舎・松向軒の茶室、社務所等をはじめ、上七軒の歌舞練場・西方寺で副席が設けられます。初めの写真はその副席です。

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献茶祭に先立ち御茶壺奉献祭・口切式
(おちゃつぼほうけんさい・くちきりしき)
が11月26日 午前11時から約1時間天神さんの本殿でありました。御茶壷行列は、午前10時45分 一の鳥居前出発。当日、午前11時一の烏居内西側の松向軒前を発した御茶壷行列が本殿到着後、御茶壷奉献祭を斎行し、続いて古式ゆかしく茶壷の口切式が神前にて行われる。奉献に使用される御茶壷は各々由緒ある物ばかりで、唐櫃に入れられて御神前まで運ばれます。この日の御茶壷奉献祭・口切式に始まり12月1日の献茶祭と続く一連の行事が「北野大茶湯」の縁による独特のもので400年余りの歴史をもっているそうです。


「上七軒」は北野天満宮の東、千本釈迦堂の西にある花街です。京都の花街では最も古く、室町時代に北野天満宮の造営に使った残木で、7軒の水茶屋を作ったのが起こりとされているので、天神さんとは特別の関係です。

副席でのお手前は勝江ちゃん、しかも私(左千夫)が真正面
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お知らせ:お初の看板が替わりました。
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*「お初の上七軒だより」は「花街は文化と知恵の伝承システムとして、有効かつ効果的に機能しているのではないか」という点で意見が一致したルーフネットと上七軒「お初」の若主人田中左千夫さん
http://ameblo.jp/sachioohathu/
とのコラボ企画です。



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鶴川絵日記
tsurukawa enikki
頑張るトマト
gannbarutomato
CX3
*疏水余話4

なぜ水路閣はかくも挑戦的に南禅寺境内を横切るか



計画段階から、建設当時の京都府と宮内庁、南禅寺、三井寺間のつばぜり合いがあったという。

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問題の水路閣のひび割れはこの写真の右側

いくらなんでもよその家の玄関のまん前に橋を作るか? しかもそれが天下の南禅寺。今でこそ南禅寺にとって水路閣は重要な見どころであるが、建設計画を聴かされた時、激怒したのは当然だろう。

当初計画では水路は山の中を通るはずであった。トンネル工事も特段難工事でもなく、計画は順調に進んでいた。ところが着工直前、計画部分に亀山天皇の分骨場がある事が判明し、宮内庁からストップがかかった。そこで、急遽浮上したのが現在のコース。当時建設場所は今より谷が深かったという。 その谷を少し埋め戻し、更にローマの水道よろしく橋をかけ水路としたわけだ。

関係者の話によると、三井寺、南禅寺と京都市(当初は京都府)との争いは裁判に持ち込まれ、三井寺とは8年前にやっと話し合いが成立したそうだ。
さらに、南禅寺側に立った福沢諭吉は「南禅寺は京都にとって重要な観光資源。その境内に水道橋を通すとは正気の沙汰では無い。 末代の恥。さらに京都の伝統産業にとって疏水がどれほどの役に立つか」と反対したという。

諭吉の言葉とは思えませんねえ。激怒する南禅寺に「それじゃ亀山天皇の分骨場に穴をあけろと言うのかい」と迫る京都府。世紀の大工事計画の中でさまざまな思惑が入り乱れ、虚虚実実の駆け引きが有ったようですね。
後ろからは、写真を撮りながら「京都府は宗教界を抑え込むために、わざと南禅寺を怒らす為に、現在のコースを選んだ。そしていかに反対しようと、近代化の為に事業を推し進めるという、行政側の力を示したんだ」と同行者に解説する学者風の老紳士の声も聞こえました。
ところで観光客の興味は、有名な山門や法堂よりもテレビや映画で有名な水路閣の方が上回っているようです。


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鶴川絵日記
鶴川のイトカワ
いとかわ1

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CX3

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*燃土燃水研究の貴重書入手!
献上地が黒川村であることの決めてになった本
燃土が瀝青であることも解説

錦織
日本書紀に記された天智天皇への献上地として有力候補は3か所あった。その中で黒川村が抜きんでたのは、この編者である錦織平蔵さんや、戦前の郷土史家金塚友之丞氏らの研究成果による。「燃ゆる水燃ゆる土献上地の研究」は昭和58年に錦織さんがまとめた、貴重な資料である。
11月30日シンクルトン石油記念館のシーズン最終開館日に訪問し、教育委員会の担当者Iさんから、話を聞くことができた。それは本サイト左メニューの「 日本書紀と防水」のコーナーで順次詳しく紹介してゆきます。

伊東さん
敷地内に残る臭水坪(石油井戸)を案内していただいた教育委員会のIさん。

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「日本書紀ト防水」クイズ
防水業界にとって極めて重要な絵の一部です。
さて何の「絵」?

jiorama
ヒント:
一昨日の予告通り、昨日新潟県胎内市(旧黒川村)のシンクルトン記念館に行ってきました。当然、黒川郷土文化伝習館にも行きました。伝習館は「天智天皇に燃える土(瀝青)を献上した」と言う日本書紀の記述をもとに書かれたある絵をジオラマ化し、展示しています。

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絵日記 紅葉編5