(旧 「防水屋台村」建設中)
絵日記 紅葉編6
*武生余話夜半2
竹内さん
蔵軍団のアジトが「木工房・蔵」。そのオーナーがTさん
ピカ一の箪笥職人。クレデンザを作ってしまった。サウンドボックスを取り換え、竹針、鉄針を次々交換しながら聴かせていただく。

蔵2階
SPの枚数を尋ねてみたが、もちろん不明。

2階機械

はりRIMG0216
針の山。ただし閻魔様はいない。

PL中
下の丸いのがサウンドボックス。 LPレコードプレーヤーならトーンアームのカートリッジにあたる。震動板の素材にジュラルミンや雲母画がわれる。ハサミは竹針用のカッター。

kura2階
オーナーよりもコレクションに詳しい武生人Sさん。どこに何があるか、全てインプットされている。武生の生き字引でもある。左は紺野大介軍団長。

ウェルカムミュージックの「キッスオブファイヤー」から、トスカニーニ、フルトヴェングラーで興奮させられ、極め付きは「諏訪根自子」のヴァイオリン。はずかしながら知りませんでした。ねじ子さん。これを聴くためにクレデンザを買ってもいい。 買えないえないけど。ゲッペルスからストラドをプレゼントされたとか、絶世の美女ということを知らなくても、感動しますね。
諏訪根自子のことはSさんが教えてくれた
neji 1
をどうぞ。
neji 2
さらに
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AB%8F%E8%A8%AA%E6%A0%B9%E8%87%AA%E5%AD%90
をどうぞ。

次はクナッパーツブッシュ・ブルリンフィルとのブラームス、とバッハのパルティータをぜひ「蔵」で聴かせていただきたいと思います。

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*小堀・燃土燃水献上図の謎解き
芸大所蔵、小堀「燃土燃水献上下図
kobori 下絵
東京芸術大額所蔵。 小堀鞆音(こぼりともと1864-1931) 「天智帝朝越国燃土燃水/下図」 71.2×99.3
裏面に「大正三年博覧会出品画」と記されている。


「東京芸術大学百年史」第2巻の大正3年の章に「東京大正博覧会」に関する以下の記載がある。

―――――
東京大正博覧会
大正三年三月二十日より同年七月三十一日まで上野公園を中心会場として東京府主催の東京大正博覧会が開催され、本工教官の中にも美術部の審査に加わった人が多かった。
(編集部注:高村光雲教授、黒田清輝教授らと並んで小堀鞆音教授ら17名が審査官を嘱託された)
この博覧会は上野公園と不忍池畔にセセッション式や東洋式の展示館が数多く建てられ、東京府を始め北海道庁、二府四十二県、各省官立諸学校、研究所、試験所、台湾朝鮮両総督府、関東庁、樺太庁、諸外国が出品するという大規模なもので有ったが、美術の部門はあまり振るわず、日本画で平福百穂の「鴨」(六曲半双)が、西洋画で新帰朝者太田喜二郎の「赤い日傘」、彫刻で同じく新帰朝者水谷鉄也の「スペインの踊り子」などが注目されただけであった。本校としては教育学芸館に校名額一、敷地建物平面図一、校舎および各教室写真十一を出陳した。
――――――――

大正博
東京大正博覧会会場(美術館)

小堀鞆音が「燃土燃水献上図」の下図を出品するはずはないから、完成した「燃土燃水献上図」を出品したはずだ。すると出品したが賞も受けず、注目もされなかったのだろうか。

小堀は審査員であるから、賞の対象からは除外するので有ろうか? 

それとも出品するつもりで下図までは画いたが、何らかの理由で出品しなかったのか? 

もうひとつ考えられるのは、この博覧会には日本石油が全社を挙げて展示に注力した。「燃土燃水献上図」は日本石油の展示コーナーに出品されたのか?しかし日本石油が創立70周年で作った記念史の「東京大正博覧会出品一覧」の中に、この画の名はまだ見つけられない。

そもそも大正3年では「日本石油創業30周年を記念して依頼した」という説と相応しない。 30周年はその3年後、大正6年であるから。

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日本橋now
2010.11.29.16:35
nihonnbashi
ケルヒャー社によるボランティア洗浄作業は下流側が終り、上流側も間もなく終了。CX3
*これが日本の防水の起源 小堀鞆音による天智天皇への「燃土燃水献上図」
献燃土与燃水
《天智天皇七年(六六八)七月》◆高麗従越之路遣使進調。風浪高。故不得帰。以栗前王拝筑紫率。』于時近江国講武。又多置牧而放馬。又越国献燃土与燃水。又於浜台之下諸魚覆水而至。又饗蝦夷。又命舍人等、為宴於所々。時人曰。天皇天命将及乎。

小堀鞆音色紙
小堀鞆音 燃土燃水献上図

天智天皇を祀る近江神宮の広報誌「志賀264号」(平成2年発行)に当時の宮司、吉田健一氏が次のように書いておられる。


 近江大津京に都が遷(うつ)された翌天智七年(668年)は新都において天皇御即位の大典が執り行われた御年であった。その秋七月に、越(こし)の国より「燃ゆる土、燃ゆる水」の献上が近江朝廷にあったことが日本書紀に記されている。「燃ゆる土」とは天然アスファルト、「燃ゆる水」とは原油のことである。献上地である越の国は今日の新潟県北蒲原郡黒川村であったことがほぼ確証されている。ここに見られる「燃ゆる水」の記事が我が国文献における石油の初見である。(*編集長注:同時に瀝青=アスファルトの初見でもある)
 中大兄皇子により断行された大化の改新(645年)以降、越の国は北陸道の主要地として朝廷の重んずるところとなってゆく。・・・以下略


昭和57年10月1日、新潟県黒川村に石油資料館が建設され、竣工式が開催された。小堀鞆音画伯による「燃土燃水献上図は日本石油が所蔵しているものだが、竣工を記念してこの絵を色紙にして500枚制作、関係者に配布された。上の写真は黒川村からいただいたその1枚を撮影したものである。

小堀鞆音の日本画は、日本石油創立30周年を記念して依頼されたことになっている。日本石油は「1917年(大正6年)5月5日に東京両国国技館で創立30周年記念式典挙行」という記録がある。
ところがこの絵の下画が存在し、それは東京芸術大学が所蔵している。下画の裏面には「大正3年博覧会出品画」とある。確かに大正3年に「東京大正博覧会」が実施され、小堀氏はその審査員を命じられたという記録がある。すると、この画は3年の展覧会のために画かれたのか、それとも従来からの説の通り大正6年・日本石油の30周年のために画かれたのか?謎解きのため明日、黒川村に行ってきます。

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*エコポイントで断熱材がブレーク 
上期 塩ビシート・タイル出荷量は 1,220万㎡
東日本ロンシール会首都圏支部総会

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総会であいさつする横山支部長

作っても作っても需要に追い付かない業界
断熱材市場は一気に3倍

そんな話を東日本ロンシール会首都圏支部の横山昌弘支部長が総会で総会で話していました。

同支部は11月26日(金)東京・新宿の京王プラザホテルで総会を開催した。



◎支部長あいさつ(株)奈良屋 代表取締役社長 横山昌弘氏

2008年にリーマンショックから始まり、ドバイショック、私たちにとっては民主党ショックなどもありました。次々にショックがおこり、景気の目を摘み取っていったのではないかと思います。
私たちの業界でも、ゼネコンの指し値などは過ぎて、仲間同士のたたき合いになってきている非常に危惧する状況がなお続いています。仲間同士で話していても、先の見えない、なかなか結論の出ない会話になってしまうのが現状ではないかと思います。
そのような中、作っても作っても、売っても需要に追いつかない業界があります。ご存じのように断熱材のメーカーでエコポイントでキーブレイクし、欠品状態。いつ品物が入るかわからないという状態が続いています。

グラスウールや断熱関係は前から騒がれていたので予想はできなかったのかと話をしたのですが、できていない。新基準、次世代の基準は約10年前に施行されいろいろ優遇されながらその対応に努めてきたということですがいっこうに普及率が上がらずにきたのです。
去年の春からは、3社のメーカーが断熱から撤退ということになり、ダウさんなどは北海道の工場を閉鎖する。数ヶ月前まではそのような見方をしていたというのが本音だと思います。それがエコポイントで30万円の補助金がついた。これで10年間動きのなかった業界が一気にブレイクしてました。次世代の基準では2~3倍の断熱材の厚みが必要となり、市場自体も一気に3倍近くに動き出した。とてもそれに対応できるはずがないという状況です。
輸入という動きも出ているようですが、JIS認可、不燃というところでそう簡単にはいかないようで、しばらくはこういう状況が続くと思います。
数ヶ月前まで思いもしなかったところで動きの無かったところが急にブレイクするということは興味深いところです。
われわれ床材メーカーでもそういうところを探す価値があるのではないかと思っています。皆さんもサプライズのタネ探しに興味をもって、値段を下げるというばかりでなく、そういう面でうごいた方が下を向いていた顔が上を向くようになるのではないかと思っています。
われわれ首都圏の支部の方は、22年度も事務局の絶大な支援もあり事業そのものはすべて成し遂げられました。
新商品も何点か出ており、今後も会員同士の結束を固めながらロンシール工業の製品を拡販するという目的に向かって結束をしてほしと思います。

◎ロンシール工業取締役社長 星一也氏
今年は非常に夏が暑かった。長い長いと思っても1年が終わるのは早い。
長いと思うのはそういう渦中にあるからで、景気が悪いと長いが景気が良くなれば終わってしまったと言うことになるのではないかと思います。
政権も景気対策どころではなくバタバタしていているが、早く景気が戻ってきてほしいと思っています。新設住宅着工個数なども408,050万戸、対前年比6%、で年度の見通しも84万戸なので 昨年の78万戸に比べると8%、ただその落差が前年は30%くらい落ち込んでいますからまだまだ回復した状態といえない厳しい状態です。
このように市場が収縮している中で、先ほどの会長のお話にもありましたが拡販していこうということになって価格競争になると全体のマーケットを小さくしてします。
同じマーケットの中で競争するわけでより苦しくなる。そういった世の中でどれだけ売れるものになっていくのか。素材だけの面では及ばぬものがあり、皆様と一体になり施工も含んだ床材、工事、仕上げを含んでよい仕事にしてくことが必要。また、新規商品、高付加価値、高機能商品をどんどん上市していく。メーカーが独自で開発してもひとりよがりになってしまいますから、マーケットにニーズにあったものを皆様と連携し開発していく。そういう努力をしていくことが必要と思っています。

◎講演会「プロ野球は人生・社会の縮図」 
プロ野球コメンテーター 野崎靖博氏

◎懇親会挨拶
ロンシール工業建装事業部長 平山氏
IFAという制度の内装メーカーが集まっている団体で、今期の上期は非常に状況が厳しいといわれておりました。
上期は塩ビシートやコンポジションタイルが約1220万㎡の出荷実績があり、これは昨年度とほぼ同等のレベルなのですが、一昨年と比べると1割くらいダウンしています。
断熱材、ロックウールは品不足で、非常に忙しいという状況なのに、内装は非常に苦しかったという状態で、これからの見通しも大変不透明なところがあります。
下期の動向として、着工状況は順調と思っていますが、なかなかコストにはすぐに戻ってきてはいないというのが現状です。この状態はしばらく続くのではないかと思っています。
ロンシール会の皆様共々乗り切っていかなければいけないとと思っています。


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琵琶湖疏水絵日記 紅葉編5
琵琶湖疏水画日記 紅葉編4
*水コンペ 入賞作品に 審査委員からのコメントとアドバイス
賞状授与
1等賞状を受け取る佐々木さん

審査委員長六鹿正治日本設計社長の総評
今回のテーマは「落水荘」。建築に関わる人間ならライトのカウフマン邸、自然の中で水が落ちている景色を思い浮かべ、それと空間をどう絡めるかという展開が正攻法と考えられる。今回は、それに対して正面からでなく側面、裏側から取り組んだ人が多かった。 それは皆さんの世代が日常生活で自然の中で、野山の落水を実体験する機会が少ないからだろう。そのせいか、落水というテーマから「雨」を引っ張りだした人が多かった。

佐々木1等作品
 1位作品 佐々木俊一郎氏(東京理科大学大学院)
「山の持つ水の循環システムを建築で作り出せないかと考えた。ただ水の流れ自体には手を加えたく無かった。」


パーティー
入賞作品が並んだパーティー会場

1等作品に対する六鹿委員長の講評
水の循環の大きなサイクルをとらえ、都会の巨大な積み上げ・集合体に降り注いだ雨のがさまざまに形を変えながら、落水となり最後に河となる 壮大なストーリーにメタファーさせてしてゆく、今回のテーマを最も包括的に表現していた。ただ具体的な落水と空間の絡まりについては主張がない。若干の議論は有ったが最終的にはスケール感が評価された。



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疏水絵日記紅葉編ー3
初々しい紅葉
疏水絵日記
CX3
疏水絵日記 紅葉編2
冬仕度 2010.11
fuyujitaku
CX3

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水路閣のひび割れ対策、いまだ方針固まらず。
南禅寺水路閣のひび割れ対策、いまだ方針固まらず。
第2回委員会は年明け。年度内には開催。

水ロ各立ち入り禁止
緊急対策工事は2008年7月31日から8月8日まで行われ、橋台に鋼材を組み立て倒壊を防いだもの。現在もそのままの状態である

  本日記8月25日の記事で報告した水路閣のひび割れ対策は、年内の方針決定も難しい見通しようですね。
水路閣の基礎部分は東京丸の内の丸ビルがそうであったように、一かかえもあるような松杭がもちいられている。水路閣の下は京都市の土地、水路閣は勿論京都市の財産。阪神大震災でもびくともしなかった水路閣の、ひび割れが一昨年に見つかったのは、観光客の報告が切っ掛け。原因は近くの樹木の根、地盤沈下などが考えられるものの、詳細は基礎部分を掘って調べるしかない。松杭の調査も必要なのだが、掘り出すことによる劣化促進を心配する文化庁との意見の調整が進まず、究明作業が滞っているようだ。


京都市上下水道局が所有する疏水路にある水路閣は老朽化しており,橋脚のアーチレンガ部分の一部に亀裂が生じているのを受け,平成20年の夏に緊急防護工事を実施し,被害が拡大することを応急的に防いでいるところ。水路閣は琵琶湖疏水の疏水分線の一部で,全長93メートル,幅4メートル,高さ5~8メートル。レンガと花崗岩で築かれた水路橋であり,国の史跡に指定されており,近代京都の歴史的な文化財としても,象徴的な存在。琵琶湖疏水は,明治23年に竣工し,現在では約147万市民の上水道の水源や水力発電のほか,多目的に利用されている,京都におけるライフラインにおける基幹施設である。

suirokaku hito oozei
水路閣は、1888(明治21)年の完成。観光名所として知られるが、亀裂の見つかった場所は普段人の往来がほとんどない上の写真の右端部分。市上下水道局は「今後の調査や補修で立ち入り禁止とするかどうか、南禅寺と相談して決めたい」としており、現在は一部立ち入り禁止状態。当初08年度中に構造を調査し、次年度から本格的な補修工事をする予定となっていた。

これを受けて、平成22年京都工芸繊維大学石田潤一郎教授を委員長とする水路閣改修調査検討委員会
http://www.city.kyoto.lg.jp/suido/cmsfiles/contents/0000078/78845/1shiryo.pdf
が設置され、1月22日京都市国際交流会館において、第1回検討委員会が開催され、この議事録はウェブ上で公表されている。
http://www.city.kyoto.lg.jp/suido/cmsfiles/contents/0000078/78845/1kaigiroku.pdf




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絵日記 2010.11.23
疏水絵日記紅葉編

疏水絵日記紅葉編ー1
CX3
「1等はいもりの研究」―第7回こどもしぜん科学大賞
ノーベル賞学者小柴昌俊さんの 科学教育賞を受賞
のきっかけになった「こどもしぜん科学大賞」


いもり発表
今年は「いもりの不思議な力」天気予報能力、帰巣能力、再生能力の研究が
最優秀賞と、プレゼン賞の両方を獲得。


小林会長挨拶
小柴賞の盾を前にあいさつする、子どもたちと夢を創る会小林重昭会長
「まず疑問を感じることが大切。あれ?なぜ?という疑問から、そうなった仕組みを考える。そこから探求する心科学する心が育つ」

27点の応募作品の中から10点が賞を受け、全作品に講評が加えられ、報告書にまとめられる。これまで毎年報告書が発行され、その製作には防水メーカーなどが協力している。
しぜんかがく大賞5冊52K
ルーフネット編集長もこの「子どもたちと夢を創る会」の設立発起人の一人で、今回の表彰式で、そのいきさつを説明しました。

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建築に関する民事訴訟、東京都では844件
NPO匠の10年を振り返り
建築訴訟の実態を報告

匠つるた
設立時からの理事で「匠塾」の講師を務める鶴田裕さん。

「協会設立の10年前、品確法が制定され、良い物を作り消費者を守るという時代の流れができた。同時に裁判所も建築学会と協力するというスタンスができた。たまたま昨日、建築学会で住まいに関する報告があったので、この概要を紹介する」と述べた。(以下要約)


7月23日現在の数字で、東京都の建築に関する民事訴訟は844件。
このうち 戸建252件(33.7%)
     集合住宅149件(19.9%)。
     事務所46件(6.1%) 集合住宅は

内 、防水に関するクレームは集合住宅で10%強。戸建では10%

実務作業上の瑕疵(かし)より契約時の契約時の口約束がトラブルのもとになっている。現場で「ここもやっといて」「はいわかりました}が多いが、その結果「頼んでいない」「イヤ頼まれてた」のトラブルは後を断たない。

驚くべきことにリフォーム時に契約書なしで工事がおかなわれている例が半数以上あった!

契約書なしの工事が東京では50%強、 大阪で25%。
見積もり書なしが東京で50%弱、大阪で65%に達する。



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絵日記
九段炎上?
yuuyake





kudann noyuuyake hinnto
CX3のISO3200はつらい。
*速報・第37回 日新水コンペ 1等は佐々木氏
審査員の講評は厳しくも温かい。
「落水荘」テーマに553点の応募。
konnpe kouhyou1
左は1等の佐々木俊一郎さん(東京理科大大学院)。右端は六鹿審査委員長。

せじま講評
講評を述べる審査委員の妹島和代さん。このほど建築界のノーベル賞と称されるプリツカー賞を受賞。取材が頻繁でこの日もインタビューが入り一足先に講評を述べた。

プリツカー賞:とは、米国のホテルチェーンハイアットホテルアンドリゾーツのオーナーであるプリツカー家が運営するハイアット財団から建築家に対して授与される賞。1979年にアメリカ人実業家のジェイ・プリツカーによって設立された。一年に一人の建築家を表彰し、副賞として10万ドルとブロンズのメダルが授与される。IBAゴールドメダル(王立英国建築家協会)やAIAゴールドメダル(アメリカ建築家協会)に比べて歴史は浅いが、建築界のノーベル賞に例えられる日本人では丹下健三、安藤忠雄が受賞。

講評は次号で。


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*「やむにやまれぬ大和魂」に寄せて
蓮台寺の松陰 昭和42年 前田青邨 

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紙本淡彩 山種美術館

1854年ペーリーは軍艦7隻を率いて幕府に開港を迫った。25歳の松陰は3月27日下田で米艦に乗り込み、密航を願うも拒絶される。翌日自首し、萩に幽閉された。

決行直前の一週間、松陰は下田に近い蓮台寺温泉の村上医師宅に潜んでいた。机の本は「唐詩選掌故」。
村上家には今もこの机や行灯が保存されており、青邨はこれらを見て、画想を得たといわれる。
青邨が「燃土燃水献上図」を画いたのはこの2年後。

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*防水メーカーが作った美術館。  ~なぜ作ったの?~
アスファルト乳剤が創った美術館

ikeda 夫妻

池田英一が「日本アスファルト物語」を書く気持ちになったのは「妻チヨコの突然の死である」と同書のあとがきで述べている。池田20世紀美術館の入り口には池田夫妻のブロンズ像が並んでいる。

著者は「日本アスファルト物語」の最終章で、美術館開設の経緯を語っている。その中で当時のアスファルト業界の様子を簡潔にまとめているので、その部分を紹介する



 
池田二十世紀美術館が伊東市一碧湖畔に開館したのは、昭和五十年五月一日である。
 高松宮様が妃殿下とお揃いでテープカットをして下さることとなり、当日、伊東までお出ましいただいた。いよいよ本館のテープをカットしていただく直前になって、宮様は突然私の家内に鋏を手渡されて、「貴女が陰の最大の功労者なんだから。それに、婦人が二人でテープカットすると、入場者が多いのです。妃殿下とお二人でカットしなさい」と仰有られたので、家内は図らずも妃殿下とご一緒にテープをカットする光栄に浴した。この宮様の暖かいご配慮によるハプニングは、家内にとっても私にとっても、生涯忘れ難い感激と名誉の思い出となった。
 さて、このようなことがあったためか、池田二十世紀美術館はお陰で毎年一万人くらいずつ入場者が増えて、今では日本の美術館でも何番目かにランクされるようになった。
 アスファルト物語のなかに美術館が登場するのはおかしいことであるが、関連があるので記載することとした。
美術館を創立するに当って特記したいことは
 一つは、美術館設立資金の出所である。この美術館建設と美術作品は総て池田個人の金で賄われ、他からの寄進は一切受けなかった。日瀝化学からも受けなかった。
 一つは、金の調達である。日瀝化学の株式上場の際、値付株として百万株を出して七億円を入手した。その後、無償増資割当を数回うけ、これを取引銀行に持株してもらい総額二〇億円になった。これをすべて美術品の購入と美術館の建設に当てた。従って、これは事業利益の金でなく、株式上場と増資株式譲渡による入金であった。
 一つは、美術館の名称である。池田二十世紀美術館と「池田」の名を付けたのは、サンケイ新聞の鹿内社長の勧めにより美術館にだけ池田の名前を残した。
 一つは、家内や子供の諒解をえて美術館を財団法人とし、これに美術品も建物も寄付し、かりに法人解散の時もすべての財産が国に帰属されるよう規定し、家族に後顧の心配をなくしたことである。
 一つは、アスファルト事業に五〇年携り、会社上場で得た社会評価の金で創ることが出来た美術館なので、アスファルトが創った美術館と思っていることである。



 以上は、美術館に関してよく人に質問されるので、はっきりさせるために書いたのである。美術館ができた成行きは次のような経過である



 池田がアスファルトに関係したのは昭和四年であった。今年で五二年の歳月をアスファルト一途に世話になった。最初の一五年間は、建築関係のアスファルト、製品、防水工事に従事してアスファルトを知ったのである。
 昭和二十一年から現在までは、主として土木、道路に関連したアスファルト、製品、舗装に従事し、製品開発と会社経営に全力をあげ、創った会社は一五社であった。
 アスファルト製品の製造を始めたのは、昭和二十三年当時は道路工事に使われていた製品が粗雑な製品でありすぎたので、これを規格に合った製品にするため工場を造ったのが切っかけであった。
 
 代用アスファルトによる防水と舗装 最初は、秋田県土崎町に建てた代用アスファルトの工場であった。アスファルトが不足していたので、硫酸ピッチを活用して約三千トンの代用アスファルトを造り、防水、道路に使用した。二十五年に石油アスファルトの製造が再開されて出回り始めたので製造を停止した。

 昭和二十三年に浅草田中町の倉庫の敷地の一角でアスファルト乳剤と目地材の製造を始めた。その後、二十五年に東京尾久町にアスファルト製品工場を建設し、アスファルト乳剤の製造を本格的に開始した。この乳剤製造の切っかけは、市内の道路舗装に加熱用の燃料がなかったのでアスファルト乳剤を使用していた。乳剤はアスファルトが不足していたので、五五パーセント分のアスファルトを出して製造してもらっていた。ところが、試験をしてみると、アスファルト分が三八パーセント程度しかないことが度々であった。当時のアスファルト乳剤の規格は四八パーセントであった。アスファルトは結合材として大切な役目をするもので、これが出たら目ではよい道路舗装は出来ない。正確な規格をもった製品を造って使用してもらおうと製造を開始したのである。

 アスファルト目地材の開発 セメントコンクリート目地材の製造を始めたのは二十八年であった。市販されているアスファルト目地材は手流し作業で作られるため、中央部が収縮して二〇パーセントくらい薄くなる。これは高温で造るとき起る現象で、これを改良して日本で初めてのエキスパンタイト製造設備を考案し、低温で機械製造した。
 昭和三十二年、建設省道路関係技術者からコンクリート目地が膨張によってはみ出し、自動車の走行に大きなショックを与えて困るので、何とか改良できないかと相談された。早速研究を始めて多孔質の防腐性繊維板、セロタイトと防水密封剤としてゴム化アスファルト、セロシールを開発した。この製品の値段は在来品の二倍であったが、完全に近いほどに走行ショックをなくして好評を得、従来のアスファルト目地材に取って代った。

 アルミ箔ルーフィングの開発 アルミ箔ルーフィングの開発は、陸屋根のアスファルト防水層が老化現象を起すことが判明したためである。終戦後、焼失を免れた建物の防水修理工事において、防水層の上に厚く塗布したアスファルトに老化による収縮で大きな割目が発生していることが分った。
 これを防止するには、アルミ箔が効果的であることが研究の結果で分った。太陽光線がよく当たる面のアスファルトの老化は進むが、アルミ箔の下層までは老化は進行しないのである。下層用にアルミ箔を基材としたメタロイド、上層用に同じくスーパーアルソイドルーフィングを開発した。

 ドル箱 カチオン系アスファルト乳剤 カチオン系アスファルト乳剤の開発は昭和三十四年のことである。アスファルト乳剤の原料であるアスファルト基原油が輸入されないことになったのである。これは会社にとって大事件であった。乳剤は売上金額の六〇パーセントを占める製品である。中東原油から採ったパラフィン系アスファルトを何とか製品化しないと、会社を閉鎖するか、業務を縮小するしかなかった。幸いに一年余で研究を完成して、日本で初めてのカチオン系アスファルト乳剤を発明開発した。このアスファルト乳剤は売れに売れて、首題の池田二十世紀美術館を創る原動力になったのである。

 日瀝化学工業株式会社は、カチオン系アスファルト乳剤の発明開発と育成で八百万円の資本金が一三億二千万円余になり、工場数三六工場、土地は全国国道すじに一四万五千余坪、自己資金六〇億円余を持つ株式会社に成長し、東京証券取引所に上場する会社になった。
 池田英一個人も貯金通帳すらなかった身から、このカチオン系アスファルト乳剤のお陰で余生をのんびりと送れるようになり、苦労を共にした周囲の人々にも返礼が出来たと喜んでいる。

 以上のように、アスファルトに生き、アスファルトによって社会評価を得たのだから、何か社会にお返し出来る施設を残したいと考え美術館を創ったのである。 従って、私はこの池田二十世紀美術館を「アスファルト乳剤が創った美術館」と思っている

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*日本書紀の燃土「瀝青=アスファルト)献上」。塚田秀鏡はこう彫った
日本書紀、天智天皇に献上したのは燃土(瀝青=天然アスファルト)と燃水(=石油)。
防水の起源を間近で見られるチャンス
67秀鏡 燃土部分拡大b
「燃土=瀝青」を運んでいる部分の拡大。

67K秀鏡 展示室 
六本木泉屋博古館の許可を得て撮影しました。
[天智天皇と防水]に関してはルーフネットホームページ、トップメニューの「日本書紀と防水」をクリックしてください。
http://www.roof-net.jp/

ルーフネットの仮説 其の2
塚田秀鏡のこの作品「燃土燃水献上図花容器」は最晩年の作品で、かつこのテーマとなる献上図を残すための記念作品として依頼されたものではないか。

最晩年の作品であることは、ルーフネットホームページ日本の防水の原点「日本書紀~燃土燃水献上図」を見に行こう!に示した。
彫金作品をじっくり鑑賞する機会はこれまで少なかった。もちろん塚田秀鏡なんて名も知らなかった。今回ま近に作品を見て、その精密かつ強靭な線に驚きました。人物の表情など小堀鞆音の原図よりリアルな気がする。しかし同時に展示されている塚田の他の作品と比較したとき、この献上図花容器は作品の完成度として一歩譲るのかな、と感じてしまいました。絵柄に対して花容器がずいぶん大きいのです。人物の彫りは見事なだけに、気になる。モチーフの方にウェイトがかかっていますね。そう言えば特別に大きい作品なのに、ポスターには採用されていない。
学芸員によるギャラリートークの際「花容器は、これまでの作品に比べて、かなり大きい、おそらく輸出用を想定している。通常こうした作品は一対で製作されることが多い・・・」と解説していた。その他の様子を考えると、秀鏡は、「この絵を表現すること」を最大の目的としたのではないでしょうか。



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*「保護層なんか要らない」というコンクリート屋さんがいたならば、こう言いましょう
匠リニュアル10周年で、田中享二教授(右)が、記念講演
takumi田中鶴田
左は同じく匠リニュアル技術支援協会理事の鶴田裕氏。

匠リニュアル技術支援協会 (http://www.npo-takumi.or.jp/outline/index.html) は11月13日、14日の両日、練馬区大泉学園の勤労福祉会館で、10周年記念技術フォーラムを開催した。
田中教授の講演テーマはこれ。 
tanaka 匠タイトル

コンクリートは丈夫な建築材であるが、宿命的にひび割れる。このほかジャンカ、打継、コールドジョイントなど施工過程で弱い部分が生じ、ここからコンクリートの劣化が始まる。 誇り高いコンクリート技術者は「コンクリートの表面を保護する」と言うと、快く思わない。われわれの仕事をそんな彼らにどう説明すればよいか。今日はその方法をお知らせします。

RC保護の意味

講義は、木、鉄、コンクリートはそれぞれ空気中・土中でどんな具合に劣化してゆくのか、ひび割れはなぜコンクリートの耐久性に大きく作用するのか、など極めて分かりやすい写真や図を示しながら、丁寧に解説した。
これなら現場作業者が自信を持って自分の仕事の内容を、コンクリート屋さんや、管理組合の人たちに語れますね。詳細はホームページの「躯体保護と防水」メニューにアップします。

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*慎重かつ長時間の審査
こどもしぜん科学大賞審査 表彰式は11月20日
kodomo kagakutaishou

子どもたちの理科離れ、自然離れを何とかしようという思いで始めた「子どもたちと夢を創る会」のこの活動、もう7年目になります。
今年も力作が集まり、夢の島熱帯植物館の会議室で」この日、審査を始めたのが午後5時、8時半までかかりました。イモリやドジョウや気象に関するユニークな研究です。20日の表彰式をお楽しみに。
 そして今年はとても嬉しいことがありました。我々のこの活動が、ノーベル物理学賞を受賞した小柴昌俊先生が創設した小柴昌俊科学教育賞を受賞したことです。
小柴賞
授賞式の様子 中央小柴昌俊東京大学特別栄誉教教授。 右端が「子どもたちと夢を創る会」代表で夢の島熱帯植物館玉木恭介館長。

 小柴昌俊科学教育賞は基礎科学、純粋科学に光をあて、基礎科学のおもしろさがわかる教育の普及、意欲と夢をもった若者を育てることを目標として、小・中・高校レベルの理科や算数・数学教育に功績のあった個人や団体に、財団法人平成基礎科学財団が贈る賞。同財団はノーベル物理学賞を受賞した東京大学名誉教授・小柴昌俊がその賞金全額を投じて2003年に設立した。

小柴賞選考のポイントは

(1)生徒の科学的思考を深め、生徒の創意や主体性を促進し、生徒の創造性や独創性を高めるための指導を行っている、

(2)効果的な教材・教具などを開発し、それらを利用して楽しく、かつ、奥深い授業を実践している、

(3)授業内容や観察・実験の準備や実施方法などで、教える事柄をくふうしている、

(4)自然科学に対する興味と関心を高め、科学的な能力・態度の育成に重点を置いた良好な学習環境を整備している、の4点である。

 選考委員は筑波大学名誉教授でノーベル化学賞受賞者の白川英樹や、東海大学教育開発研究所次長の秋山仁ら5人の科学者。
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これまでの報告書の作成に対して防水メーカーである、田島ルーフィング、日新工業、ダイフレックス、ロンシール工業、早川ゴム,全アロン防水組合などが協力している。

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絵日記
足場ほぼ撤去

議事堂改修完了 足場ほぼ撤去
CX3
鶴川絵日記
橋本左内処刑  1859年 11月12日(旧暦神無月七日)
三条実萬と密談する橋本景岳(左内)  井上白楊 筆 安政五年二月九日の夜。三条邸にて。

sanai
橋本左内(景岳)1834ー1859幕末の先覚。15歳で「啓発録」を著す。
これを英訳し世界各国で絶賛された紺野大介氏は雑誌「選択」への連載で左内に触れている。
大村益次郎、福沢諭吉などを輩出した「適塾」創始者・緒方洪庵が、居並ぶ英傑の中でも、橋本左内を「他日わが塾名を掲げん池中の蛤龍(こうろう)」と評し、別格の扱いをした。蛤龍(こうろう)とは、池の中に潜んでやがては龍となる機会じっと待っている大物ーという意味である。  勝海舟は「この世に怖い者を二人見た。一人は西郷隆盛、一人が横井小楠」。その西郷隆盛は「吾の才学器識、逆立ちしても勝てない男が二人いる。それは藤田東湖、一人は橋本左内」と言った。

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紺野大介英完訳「啓発録」より三条実萬への呈書控
安政五年(1852)二月から四月にかけて、公卿間を周旋して将軍継嗣・対米条約問題の解決に向けて奔走していた景岳は、「今天神」とその英明さを噂され、一橋派に好意的であた実萬に対面し説得にあたった。景岳の議論に感動した実萬は、その内容を書面にして提出するよう命じた。上はその書面の控え。
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a href="http://blog-imgs-38.fc2.com/r/o/o/roofnet/20101112013742ead.jpg" target="_blank">左内konno
島田墨仙筆 橋本左内先生

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tsurukawa絵日記
三日月も帰宅
三日月の入り
5D2/70-200F4
鶴川絵日記
夕焼け
yuuyake 三日月
5D2 /70-200F4
*匠リニュアル10周年で、田中教授がRC長寿命化基調講演
11月13日に匠リニュアル協会10周年フォーラム
田中享ニ教授が基調講演
「鉄筋コンクリート建造物の長寿命化を支援する」

塚田/燃土燃水献上図花器全体 shou


詳細は以下のNPO匠リニューアル技術支援協会のHPで
http://www.npo-takumi.or.jp/topics/pdf/takumi_10th_20101113.pdf

同協会のメッセージです
takumi messe-ji

写真は本記事とは無関係ですが、日本の防水の起源となる、天智天皇7年、688年日本書紀の記述「燃土燃水献上図」を彫金作品に仕上げた名品です。 六本木泉屋博古館で12月12日まで展示されています

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