(旧 「防水屋台村」建設中)
※ホームレスは優秀な街のガイド
街の裏まで知り尽くした、ホームレスならではの街案内が大人気
ロンドンでうけるなら東京でも。どっこい大阪が先取りか?

M15の秘密刑務所、ビートルズのCDに登場したホームレス宿泊所ーーー、ホームレスほどロンドンをよく知る者はいない。彼らのきめ細かい知識を活用して、ある社会的企業がちょっと変わったウォーキングツアーを売り出した。大都会ならではこのアイデア。東京ならいける!と言えるが、案外柔軟で貪欲なコスモポリタン大阪人のほうが、先に動き出す気がしますね。


ホームレスは優秀な街のガイド
ルーフネットお勧めの2雑誌、日本のスーパーエリート3万人のための「選択」とホームレスが販売する「ビッグイシュー」。そのうちビッグイシュー10月15日号の特集は「若者を襲う貧困~高校中退者の今・未来」。表紙が茂木健一郎だったので、少しだけ躊躇しましたが、やっぱり買ってよかった。

若者を生かすのか?殺すのか?
「10代の若者を襲う貧困は、若者の未来を奪う。そして彼らのを放置し排除してしまった社会は当然のことながら、しだいに疲弊、弱体化の道をたどってゆく。今高校中退者は毎年10万人。中退者は都会の底辺校に、しかも貧困家庭の生徒に圧倒的に多いことが明らかになってきた。~」(ビッグイシュー特集扉より)
mogi

茂木健一郎ホームレスライブトークより
・HL ビッグイシューを買うのは圧倒的に若い女性。僕は今ホームレスでこの本を売っているけど、普通の生活をしていたらたぶん買っていない。若い女の子がこんなおっちゃんから買うのは怖いですよ。
・茂木 そういうことができる女の子って、人生できっといろんなことが開けていくと思うんです。
・会場 なぜサラリーマンが買わへんのか。不思議です。そういう人たちが買うようになったら、日本がずいぶん変わるんちゃうか、とおもってるんです。
・BI 日本のホームレスの95~97%が男性。男はホームレスにめちゃくちゃ厳しい。あんたらが怠けてたから、そうなったんや。俺は怠けてない。つらいけどサラリーマンとして、がんばってるんや。そういう気分、ある種の「近親憎悪」に近いものが男性にはあるのかな。

日本橋大改修now
「歩道の工事は終わったようだ。防水工事はいつなんだろね。」
「さっき予定では来週の火曜日になると言ってたよ」


nihonnbashi hato
2010.10.29.11.55撮影 CX3

nihonn橋立ち上がり
歩道部分の工事が終わったみたい。今何してるの?  歩道の立ち上がり部分をモルタルで仕上げているんだね。 石工事のおじさんに「あの一番下の黒い部分が防水層?」と聞いたら「いや、もう全部撤去したよ」と言っていた。アップ
でも防水層に見えるんだけどねえ。 「じゃこれから防水するんだね?」 
hato oshimai
ああ防水工事の予定を聞いてみた。「予定でいくと来週火曜だね]って。11月2日だ。台風で遅れるかも知れないね。
popoo~。



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*世界が驚嘆した明治の超絶技巧ー天下の名人塚田秀鏡と防水とのかかわり
「天智天皇への瀝青献上図」花盛器は第一展示室の中央ケースに鎮座
ぽすた

専横展示室

塚田/燃土燃水献上図花器全体 shou
燃土燃水献上図花盛器
日本書紀の天智7年(668年)に、越の国(今の新潟県)から燃える土[瀝青]と燃える水(原油)が献上された、と記載されている。明治・大正期の歴史画家小堀鞆音(ともと)は、日本石油から同社創立30周年事業の一環として依頼され、これをモチーフとした画を残している。塚田秀鏡の最晩年のこの作品は小堀の画を極めて忠実に写している。
石油業界は日本書紀の記述を自らの業界の起源とし、日本石油は創立30周年記念にこの画を小堀鞆音画伯に依頼し、大協石油(現コスモ石油)はやはり創立30周年記念として前田青邨に同じテーマの画を依頼した(紹介すみ)。「燃土燃水献上図」は古代から接着、防水などに使用されていた燃土=瀝青=天然アスファルトを出発点とする日本の防水業界にとっても、業界の起源と考えられる。
塚田秀鏡の作品は小堀鞆音の原画の人物の衣装・表情まで忠実に再現しており、防水関係者はそれを間近に見ることのできるこの機会をお見逃しなく。

注:小堀の「燃土燃水献上図」の下画は東京芸術大学が所蔵しており、「大正3年博覧会のため」、とある。この下画は来週紹介します。さて日本石油の盛大な30周年行事はその3年後の大正6年1917年5月5日。1918年に没した秀鏡はいつ原画を見たか?芸大蔵の下絵の「博覧会」とは?


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*平成22「年度」燃水祭祭典のご案内
石油業界は毎年、「アスファルトと石油の祖神」に対して感謝し「石油業界の守護と発展」を祈願している

燃水案内


燃水祭祭典のご案内 文中「燃える土とは今いう泥炭でありーーー」とある。近江神宮の広報誌「志賀」においても燃える土は、瀝青、石炭、泥炭、など表記は一定しないが、平成2年発行の「志賀」第264号の1面で吉田健一宮司は「燃ゆる土とは天然アスファルト」と書いている。一刻も早「燃土=天然アスファルト」という認識を定着させたいものである。


燃水案内



平成22年度 近江神宮燃水祭 参列者名簿
燃水りすと


個人情報を考慮し氏名は削除しました。

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ブローンアスファルトを改良してルーフィング防水事業を育てた 市川良正氏
市川良正先生(アスファルト及びその応用の著者)のこと
池田英一著「日本アスファルト物語」より


アスファルト物語

 我が国の石油アスファルトは、大正の初めに高桑氏が苦心の末、秋田県豊川油田の原油を使用して造りあげ、日本石油株式会社に引き継がれて製造されていた。
 当時輸入されていたアスファルトは、アメリカで発明された高軟化点のブローンアスファルトが殆どであって、建築の防水工事に使用され、国産品が一日も早く出ることが望まれていた。
 大正十二年に日本石油からブローンアスファルトが初めて発売された。長年研究された結果の製品であったが、アメリカ製品に比べると軟化点、感温比などが劣っていた。
 ちょうどその時期に、市川良正氏と名須川秀二氏が日本石油に招請されてアスファルトの研究に携わった。
 当時の石油アスファルトは、生産されても道路舗装の用途は少なく、主として民間のルーフィング、フエルト、アスファルトモルタル舗床などに使用されていたのである。
 昭和四年頃には、ブローンアスファルトも品質が改良されて外国品に劣らない製品になった。市川氏は、輸入されるアスファルトがブローンばかりであるのを知って、研究をブローンの改良に集中し、ついに良質の製品を完成したのである。
 これによって、国内のルーフィング類の製造は急速に発展して、外国製品を完全に駆逐し、また防水工事に使用されていたブローンアスファルトの輸入をもストップさせた。
 それまで高い輸入品を使わせられていた建築防水の工事業者も危険負担はなくなり、経営も安定した良い業種になり、業者も増加して、社団法人日本アスファルト同業会を創り市川氏を会長に推載している。
 その後、日本のブローンアスファルトは各石油会社で製造され、年間三〇万トンから四〇万トンが平均して供給されている。
 筆者は、昭和三十三年夏、市川氏に同行して国内におけるアスファルト製造の現状を調査するため各石油工場をつぶさに視察した。その結果、ストレートアスファルトは加熱時間を短縮して良質の製品を取り出すこと、即ち、蒸気精製は既に過去のものとなって減圧蒸留による製品に代って行くであろうこと、またブローンアスファルトは逆に加熱温度をなるべく低くして長時間をかけ、とくに触媒を使用し、連続式の装置に代って行く傾向にあること、更に製造装置の変化に応じ製品の性質もまた変ってくるであろうから、その使い方についても深く研究する必要があるであろうことなどを確認された。
 その後の市川氏は高桑氏と同様に教育に専念され、日本大学理工学部名誉教授として後輩の指導に専念されている。
ikeda 英一 ぶろんず

1981年発行 日瀝化学工業㈱創立35周年記念出版 著者 池田英一



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*日本書紀・燃土燃水献上ジオラマ。 新潟黒川村伝習館
瀝青(天然アスファルト)を天智天皇に献上した
ジオラマ小堀画伯の「燃土燃水献上図」が黒川郷土文化伝習館に

kurokawa dennshuukann
新潟県胎内市黒川郷土文化伝習館のジオラマ。
小堀画伯が日本石油の依頼により、日本書紀の天智天皇への「撚土「瀝青)・燃水(原油)献上」の故事にちなんで、画いた、あの有名な画をもとに制作されたジオラマ。原図とは逆アングルになっているのに注目。

しいくるとん
このポスター下部の画が小堀画伯による「撚土・燃水献上図」。この図の下絵(下画き)は東京芸術大学が所蔵している。

シンクルトン
毎年7月1日、「臭水くそうず(原油))を黒川村から古式に則り採油し、この画の装束で運ぶ。オリンピックの聖火よろしく7月7日、天智天皇を祀る近江神宮に献上する。石油業界の関係者は、この日本書紀に記録を自らの事業の起源と位置付け、「燃水祭」に大勢参加する。



防水の歴史研究会による黒川郷土文化伝習館・シンクルトン記念館ツアー計画中です。

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*「土木遺産になった地下鉄銀座線」の防水工事
「日本アスファルト物語」が語る地下鉄防水の歴史

tekkou kamachi
旧新橋駅の鉄鋼框(かまち

kannbann
浅草ー新橋区間は、国内で初めてH型鋼を大量に採用したトンネルや、末広町駅ー神田駅間の神田川の川底を通過するトンネルなど、貴重な土木構造物が多く存在することから、社団法人土木学会より推薦土木遺産として登録された。
maboroshi noshinnbashieki
幻の新橋駅。

日歴化学工業の創始者故池田英一氏は著書「日本アスファルト物語」(1981年発行日瀝化学工業㈱創立35周年記念出版)の中で、こう語っている。
 

地下鉄と駅高架ホームの防水に尽くした人

 昭和初期の大きなアスファルト工事に記録しておきたいものが二つある。一つは地下鉄の防水工事であり、一つは駅高架ホームの防水工事である。
 東京に地下鉄が初めて開通したのは昭和二年である。国鉄上野駅前から浅草雷門まで約五キロ、上野―稲荷町―田原町―浅草の四駅である。
 この地下鉄にアスファルトが大量に使用されて、その防水工事は、当時東京で最も大きな、また初めての地下に埋設されるアスファルト工事であった。
材料は、印度ジュートにアスファルトを加工したヘッシアンクロスを使い、ブローンアスファルトでクロス三層を張り付ける高級なアスファルト防水であった。浅野物産アスファルト部が一手に引受け、アスファルトをアメリカから輸入して施工を行った。
 この工事を施工したのは、当時浅野物産道路部のABC舗装工事を担当していた高野組の高野政造氏である。工事が大きかったので、市内に在住するアスファルト防水工は総出で参加したといわれている。
 高野氏は早くからアスファルト工事に携わり、防水、舗装に活躍した人であり、戦後はアスファルト舗装に大きな貢献した高野建設株式会社の創始者で、今の前田道路株式会社に継承されている。
 地下鉄防水と並んで、駅高架ホームで当時最も大きな工事は、国鉄名古屋駅の工事であった。駅改築のトップを切って、大理石貼りの円柱の高架に改良された現在の駅舎、東海道線、中央線、参宮線の各ホームの工事で、稲沢駅まで続く大工事であった。
 この防水工事は、地下鉄とは反対に全部国産品が採用されて、日本石油のブローンアスファルト、日本麻をかや地のように織った麻糸アスファルトシーチングが使われた。
 工事は大倉、銭高組など五社が請負い、防水工事は田島応用化工、岡田建材が引受け、現場監督は保園源三氏が担当して昭和八年に二年がかりで完成した。当時保園氏は、印度ジュートをアスファルトに浸漬して被覆してしまうと、タンニンが糖分化して繊維が破壊されると主張して、日本麻を使うように勧めていたが、その通りであって、今では印度ジュートは殆ど使われていない。
 当時は、アスファルトの研究が熱心に行われ、官庁におられた西川栄三氏、日本石油の村山健司氏、その他大勢の人々が先輩の後を受けて、アスファルトとアスファルトを応用した製品を改良開発していた時代である。

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enikki
人力のチカラ。
sp
電気なしでCDを凌駕する音空間を創り出す蓄音器。


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*ずいき祭りの主役は 舞妓・芸妓とずいき屋根
舞妓、芸妓が総出で「ずいき神輿」の行列を迎える

上七軒「お初」の左千夫さんから、ずいき祭りの、いい写真です。


10月1日から5日間、北野天満宮のお祭りがありました。
特に4日は巡行を終えた神様が天神さんにお帰りになる日。行列が上七軒通を通ります。
お茶屋さんの前も晴れやかな芸舞妓さんがならびます。
zuiki 1

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ずいき祭り
五穀豊穣を感謝する北野天満宮の秋の例大祭。平安時代後期から記録に残る古い祭礼。4日の還幸祭(かんこうさい)には、天満宮の神輿や、西の京七保神人(ななほじにん)がずいき(芋の茎)などの野菜で作ったずいき神輿が上七軒通を通って天満宮東門に入る。
上七軒の茶屋には祭りの提灯や幕が張られ、芸妓舞妓が総出でこの行列を出迎える。数十年前までは、茶屋も格子を取り外し中から眺めていたが、その風情はなくなった。
(上七軒お初の向かいの有職菓子御進所・老松主人大田達氏ら、による「京の花街」より)

ずいきまつり
ずいき神輿の屋根は「ずいき葺き」


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朝の雨も嘘の様に晴れ、お祭りも大賑わい。みなさまおつかれさまでした。
http://ameblo.jp/sachioohathu/(左千夫)




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*武生余話  話の前のはなし
キーワードは「越の国 越前」、「武生蔵軍団の志」、「秋の田のーーー」、「竹」、「紫式部」
gakuhi  700
「楽飛」
今回、越前 武生(たけふ)行きを誘ってくれたのが、本「ルーフネット」サイトの「ミュージックフォーラム」で紹介している中国清華大学招聘教授の紺野大介さん。号が「楽飛」。これは甲骨文字。越前が生んだ幕末の先覚 橋本左内は南宋の将軍「岳飛」を景慕し、自ら「景岳」と号した。
紺野さんは母方の祖母の遠縁にあたる橋本左内が15歳の時著した「啓発録」に感銘、自ら「樂飛」と号し、これを英訳して世界に発信し、絶賛された。
武生余話ー国府
「越前国府」
かつて「越の国」は敦賀から新潟以遠に及ぶ広い範囲であった。この越の国は、7世紀末には越前、越中、越後の三国に分割されたが、当時の越前はのちの加賀、能登を含んでいた。大国「越前」の国府が置かれた「武生」は永く政治、経済の中心として栄えてきた。
越の国と言えば、あの日本書紀の記載。7世紀末、越の国が分割される前、668年天智天皇7年に、この越の国から「燃える土(瀝青・アスファルト)と燃える水(原油)が天地天皇に献上された」という防水の(アスファルトの)起源を思い出さずにはいられない。


防水の祖神天智天皇ここにも在り
武生余話 かるた
「秋の田のかりほの庵の苫をあらみ わが衣手は露に濡れつつ」。
は百人1首の第1首 。雨露をしのげない屋根に心を痛める、防水の祖神 天智天皇の歌。 
 蔵ギャラリーのコレクション。次も。
武生よわ指揮部
「紫式部」
蔵の街の蔵はカフェになり、バーやレストラン、ギャラリーとして生きている。
美術品には紫式部にかかわるものも多い。式部の父藤原為時が996年越前の守として武生に赴任、式部もその生涯で唯一都を離れ、この地で暮らしたからである。
shikibu マンション
式部は996年、24歳で父について行ったが、翌997年には京に帰っている。このマンションに住んでいた訳ではない。

jinnja neko
総社大神宮(おそんじゃさん)

失われた地名「武生たけふ」
武生市(たけふし)は、福井県中部にあった市。福井市に次いで福井県第2の都市であった。 2005年10月1日、今立町と合併し越前市の新設に伴い廃止となった。「越前市」という新市名については、隣接する自治体に元来より存在する越前町、越前市以前に設立された南越前町と紛らわしく、旧武生市民・旧今立町民および隣接自治体住民の反発を買っているという。古くは市街地の町名に「源氏物語の各巻名」が使われ、その後の地名変更に際しても「能の演目名」から命名される(蓬莱、堀川、住吉、御幸など)(ウィキ)

こう嘆く「武生人」も少なくない。: H17.10.1の合併により、平安時代からの「たけふ」という地名を失なったことで、全国的な知名度とまちの求心力が失われていることを危ぶんでいます。明治2年に先人達が知恵を絞って「武生・たけふ」と命名しました。歴史を認識しない一部の合併協議会の者たちでよくも簡単に変更できたものかと嘆いています。市民としてまぬけの状態でした。私はいつも「武生」人です。
 
              
蔵軍団のSPコンサート
武生蔵軍団のSPコンサート。
電気を使わない蓄音器はトライボロジーのエッセンス。全国一のメガネ生産地で、丸メガネ作りにこだわるオヤジは紺野大介教授の著した「ミュージックトライボロジー」の本を手に、いまだデジタルオーディオが再生しきれない濃密な音を楽しむ。
「ものづくり」の心を語り、蔵のオーナーが手塩にかけて調整し、作りだした蓄音器で軍団が世界中から集めたSPを聴く。蔵の中心に橋本左内に因んで甲骨文字の「啓発」の書。落款にはホツマ文字。(つづく)

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スーパーカミオカンデの防水
(取材中)


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*日石・コスモの社史は日本書紀「燃土・燃水献上」から始まる
アスファルト(瀝青)・原油の起源は日本書紀で

nisseki  hyoushi
昭和12年に日本石油が発行した記念誌「日石50年」


橋本圭三郎社長は「巻頭に題す」で…「草創当時、山師(やまし)仕事と賤(いや)しまれた此の事業も、今では国防上に、産業上に、また交通上に、重大な役割を演じ、その消長は直ちに国運の隆替(りゅうたい)と相関するやうになった。…と述べている。
そして本文第1ページ「創業と第1次進展」の章は、いきなり

日本書紀に依ると、天智天皇の七年(今より1269年前)七月の條に、越の国より燃土燃水を献ず、とある。燃土はピッチかアスファルトであろう。燃水は原油に相違ない。之れ我が国の石油に関する最古記録である。然るにその後約六百年、絶えて文献の徴すべきなく、…
と始まる。

niseki 1P



daikyou hyoushi
昭和55年に発行された「大協石油40年史」(現在のコスモ石油)

こちら第1ページの序章はこう始まる
大協石油の発祥の地は新潟県である。新潟県はまた、我が国石油産業の誕生の地であり、
天智天皇の7年、西暦668年に越の国から「燃ゆる土、燃ゆる水」を献上したという日本書紀の記述は有名であるが…

daikyou nakami

そして両社とも、すでに本「ルーフネット」のサイトで紹介しているように、創立30年の際に、日本画の大家に「燃土・燃水献上」の画を依頼している。
創立の記念誌が「日本書紀の燃土・燃水から始まり、創立30周年事業として、大家に画を依頼する。防水業界にアスファルトを供給していた石油会社は、この「688年天智天皇7年越の国よりーー」の故事をいかに重要視していたかがうかがえる。
残念な現実:日本書紀に記載は「燃土燃水献上」 である。燃土は瀝青、燃水は原油。画は「燃土・燃水献上図」。 燃土「瀝青」が先に書かれている。でも近江神宮の祭りは「燃水祭」。石油業界の人たちが、
祭りをもりたてる。近江神宮の宮司さんに防水業界とのかかわりを話した時、「そんな業界があるのですね」と驚かれた。


大協石油の記念誌では、もう1枚ページをめくると、前田青邨画伯による画が現れる。
1maimekuruto  前田セイソン


彫金
10月16日より六本木。泉屋美術館で展示中。10月16日~12月12日 東京六本木泉屋博古館で天智天皇・燃土燃水献上花盛器(彫金)展示
塚田秀鏡: 銀地赤銅朧銀素銅象嵌片切彫
直径42.8センチ。高さ39.3センチ。清水三年坂美術館所蔵

防水の歴史研究会の調査では、この作品は小堀画伯の「燃土・燃水献上図」を極めて忠実に写しており、制作年代は塚田秀鏡最晩年、没年もしくは前年と推定される。

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絵日記
蔵の町の夕焼け
今日は土用。十三夜 栗名月。
たけふ
2010.10.15takefu
CX3
*スレート屋根改修の提案
日本金属屋根協会JMRAが、一般向け手引き発行 
老化したスレート屋根の改修
金属会長
10月18日に開催した理事会の後の懇親会で挨拶する吉田信彦会長
sure-to pannfu
このほど発行されたA4、12ページの一般ユーザー向けパンフ

パンフレットのに用は次の通り
・老朽化したスレート屋根の問題点
・改修ビフォー&アフター
・スレート屋根 改修の方法
・〃      カバー工法
・カバー工法のメリット
・屋内の作業環境の改善
・太陽光発電パネルの設置
・耐風安全性
・屋根面・室内温度シミュレーション
・照度計算シミュレーション
・スレート屋根改修における石綿対策

sure-to改修

同協会の改修専門ページは以下をクリック
http://www.kinzoku-yane.or.jp/roof_repair

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*ノーベル賞と防水とニュートリノ
地下1000メートルの防水工事

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5万トンの水をためるスーパーカミオカンデの建設。
空洞の外壁に吹き付け防水を施工し、中に5万トン純水をためるステンレスタンクをつくる。タンクの外側にも水をためる。この外側の水が、本来の宇宙から来るニュートリノ観察のノイズとなる岩盤からの放射線をガードする。ガードするといっても、直接防ぐ訳ではない。

ニュートリノをどう観測するのか?2002年にノーベル物理学賞を受賞した小柴昌俊が、研究のみちのり、ニュートリノ物理学、神岡との出会い、朝永振一郎さんや弟子の戸塚さんへの思いなどを、岩波ジュニア新書「ニュートリノの夢」の中でやさしく語っています。
小柴先生によると、太陽からは大量のニュートリノが地球に降り注いでいますが、太陽ニュートリノがカミオカンデの水中で電子をコツンと叩く頻度は、1週間に1回程度。一方周りの岩から来る放射線は1秒に数回もあります。周りからの雑音を桁違いに落とさないと、太陽ニュートリノが起こす事象は埋もれてしまって見ることができないのです。そこで鉄のタンクと周りの岩の間にも水を満たし、水の層をもう1層作りました。そして内向きのフォトマル(光電子倍増管)とは別に、外向きのフォトマルを取り付け、周りの岩から外側の水の層に来る放射線を観測することによって、雑音をデータから取り除くようにしました。

そして太陽ニュートリノの観測に成功したのです。外側の岩盤とタンクとの間に水をためるために施した、地下大空間での防水工事。防水工事が小柴先生のノーベル賞受賞のお役に立てた、というのはちょっと嬉しいですね。
その防水工事を行ったのが、福井県武生(たけふ)の明光建商。


明光ふたり
ソバの花が満開です。写真左・塩谷昭文社長。右は技術部長の山口さん。
地下1000メートルの防水工事の様子を聴きました(つづく)

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鶴川絵日記
武相荘の森に飲み込まれる月
つき1

つき2
2010.10.18 00:47 50D 18-270 

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enikki
格安GTR
GTR
今GTRの相場は1000万円超え。程度のよいのは1500万円で取引されるそうだ。
50D  EF28/1.8
絵日記
何か言いたそうなイチョウの木
いちょう
銀杏の幹の模様は面白いが、特に国会議事堂前の数本はひと際複雑。
古代文字に見える。CX3
絵日記
雨の夜の日本橋改修工事
夜の日本橋
両側に足場がかかった
50D 18-180
*日本橋の橋脚をシダで緑化?
お江戸日本橋が漏水で劣化。
防水と注入、路面大改修が始まりました。


nihonnbashi
防水層が劣化。 回った水が橋脚の壁面を汚しその水が緑を育てる?

日本橋改修
東海道53次の起点、日本橋は明治44年(1911年)4月の架橋から数えて来年100年を迎えます。関東大震災や東京大空襲にも耐え、平成11年(1999年)重要文化財に指定されました。下の写真に歩道に残った焼夷弾の後があります。橋面、側壁の劣化がひどくなったため3年間の検討を経て、工事が始まりました。工事は11月19日まで。清水建設が行います。

橋面の補修方法
橋面の補修方法
橋の表面は御影石。降った雨の一部が御影石の隙間から石の基礎部分に浸透します。本来はその下の防水層が水を食い止めるのですが、経年劣化した防水層は水は止められず、水は橋内部の隙間を通って橋の側壁や裏面から漏水となって現れます。放置しておけば路面の陥没を起こします。漏水に伴うシミは橋の美観を損ないます。
(続く)

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絵日記
記録的猛暑を乗り切ったジブリの草屋根
じぶりなつ
自慢の潜望鏡が伸びた草で見ない!skargomobile
*ヘブライ語版「聖書と防水」ダイジェスト
世界最大のベストセラー「聖書」に防水(ここでは瀝青=アスファルト)出てくるのは3か所。




①ノアの方舟、②バベルの塔、③モーセをナイルに浮かべた籠。いずれも旧約聖書の「創世記」と「出エジプト記」。聖書(キリスト教)は世界各国で発行され、さまざまな版、訳があり、時間の経過も有る。何しろ日本にザビエルが日本にキリスト教を伝えたのは1549年だ。
防水の該当部分は日本語では「瀝青」「アスファルト」「タール」「ピッチ」「ヤニ」「樹脂」などと訳されている。旧約聖書はユダヤの聖典だから、ヘブライ語版をさがして、当たってみた。1990年8月10日初版発行。ミルトス・ヘブライ文化研究所編のヘブライ語対訳聖書。その結果が、10月2日の記事です。
http://www.roof-net.jp/index.php?%E8%81%96%E6%9B%B8%E4%B8%AD%E3%81%AE%E3%80%8C%E7%80%9D%E9%9D%92%E3%80%8D%E3%80%82%E3%83%98%E3%83%96%E3%83%A9%E3%82%A4%E8%AA%9E%E7%89%88%E3%81%A7%E3%81%AF%E3%81%93%E3%81%86%E8%A1%A8%E8%A8%98

忙しい人のために、思いっきり短くまとめてみました。



1.神は40日間の嵐によるノア洪水で、世界を水に沈めた。その時ノアが神に命じられて、方舟の内外側に塗ったのは「コフェル」でこの本では「タール」と訳されている。
創世記 6-1

2.さあ天まで届く塔をつくろう、と言って人々は、石の代わりにレンガを用い、接着と防水の為に、しっくいの代わりに「ヘマル」を使った。これは「瀝青」と訳されている。
創世記 11-3

3.エジプト王によるユダヤの赤ん坊抹殺命令からモーセを守るため、モーセは籠に入れられ、ナイル川に流された。その時、籠(カゴ)の防水の為に「ヘマル」と「ザフェト」が塗られた。この本ではそれぞれ「アスファルト」と「ピッチ」と訳されている。
出エジプト記 11-3


同書の重要な脚注:モーセの入れられた「籠(カゴ)」とノアの巨大な「方舟」は同じ言葉が用いられている。
ヘマル 小

ルーフネット編集長の注 :「コフェル」と「ヘマル」と「ザフェト」は別の物か?ヘブライ語の他の版ではどうか?旧約聖書だからと言ってヘブライ語版を基準にして良いのか?日本語版でノアの方舟に塗られたものとして、「瀝青」「アスファルト」「タール」「ピッチ」「ヤニ」「樹脂」などがある。これらは聖書の訳の中だけでなく、日常的に混同して使用されている。検証課題が多くて楽しみです。

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絵日記
主役交代 布袋アオイからミズヒキへ
水引き
mobile
鶴川絵日記
カラスウリは中国の赤 「唐朱」 瓜

唐朱瓜
つるべをとられたわけじゃないけど「カラス瓜に ホース取られて 鉢枯らし」(手前のブドウのような葉っぱがカラスウリ)と言い訳をしていたら、「カラス瓜は 本当は 唐朱瓜。だから カラシュウリと言うのが正しいと、ある人が言った。
天智天皇に献上された「燃土=瀝青」が刺繍になった
小堀鞆音(ともと)「燃土燃水献上図」刺繍作品発見の経緯


  新バ―レックス工営(株) 丸山功会長に聞く


sh集全体
小堀鞆音原画「燃土燃水献上図」刺繍作品 

刺繍燃水燃土部分
燃土(瀝青)献上のため近江宮に運ぶ左:燃水。右:燃土

刺繍ドアップ
燃土(瀝青)部分の拡大



縦30センチ、横45センチの刺繍作品。日本書記の記載にある「天智天皇に越の国から燃える土(瀝青)と燃水(石油)が献上された」という故事を描いた小堀画伯の「燃土燃水献上図」を忠実に再現している。

これは5年前に死去した、松本工業㈱の佐藤健二社長の妻とよ子さんが、防水業界の歴史に詳しい新バ―レックス工営の取締役会長に遺品として額装し贈呈したもの。

丸山さんによると「主人の亡父が大切にしていたが、主人は気にも留めずシミだらけにした。主人が亡くなった後、そのことを思い出した。私が持っていても仕方無いので、もらってほしいと思い額装した」そうだ。

丸山さんはルーフネットのサイトで小堀画伯の絵を見て同じ画柄であることから、入手経路を尋ねたところ、「義父が日本橋の方の会社からもらったらしい」とのことだった。

「日本石油が30周年記念事業の一環として小堀鞆音画伯に日本書紀の天智天皇への瀝青献上の絵を依頼したということであるから、この織物も、日石の関係でつくられ、配られたのかもしれない。でも私は画のことも、織物のことも全く聞いたことが無い。ご存知の方がいたら、教えてほしい」
と話していた。



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防水の歴史を探る*「ルーフネット」は日本の世界の防水に関する記録の初見を求めて日本書紀や聖書などを調べています。「日本防水の歴史研究会






絵日記
気がつけば霧の中

kiri
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*日本書記と防水 そのその 防水関係者のための美術講座 彫金
撚土(瀝青)献上図 彫金作品鑑賞の前に

nenndo choukinn
10月16日~12月12日 東京六本木泉屋博古館で天智天皇・燃土燃水献上花盛器(彫金)展示
塚田秀鏡: 銀地赤銅朧銀素銅象嵌片切彫
直径42.8センチ。高さ39.3センチ。清水三年坂美術館所蔵

作品につぃては9月17日の以下の記事を見て下さい。
>>日本の防水の原点「日本書紀~燃土燃水献上図」を見に行こう!
http://www.roof-net.jp/index.php?%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E9%98%B2%E6%B0%B4%E3%81%AE%E5%8E%9F%E7%82%B9%E3%80%8C%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%9B%B8%E7%B4%80%EF%BD%9E%E7%87%83%E5%9C%9F%E7%87%83%E6%B0%B4%E7%8C%AE%E4%B8%8A%E5%9B%B3%E3%80%8D%E3%82%92%E8%A6%8B%E3%81%AB%E8%A1%8C%E3%81%93%E3%81%86%EF%BC%81

 
塚田秀鏡(つかだしゅうきょう)    嘉永元年~大正7年12月29日(1848-1918)
江戸(東京都)出身。号は真雄斎。 明治大正期の彫金界の巨匠。父、上州館林秋元藩の藩士で和泉流鞘巻の大家(彫金家)土肥義周(よしちか)(二男)。東京神田出身。養父、鐸師塚田直鏡(つかだなおかね)。幕末に近世金工界に賛嘆たる足跡を遺した加納夏雄に師事。絵画を柴田是真(しばたぜしん)に学ぶ。26歳で天皇太刀の彫刻。明治14年(1881)第2回勧業博に鉄地に蟹を彫った作品でセントルイス博覧会で金賞。明治23年(1890)に皇室による美術作家の保護と制作の奨励を目的として制定された「帝室技芸員」の工芸分野の一人に選出。湯島の自宅で没。71
代表作に「鶺鴒躑蠋図煙草箱」など。
tsukada haka
塚田秀鏡の墓地は谷中にある。

彫金て何?
 彫金(ちょうきん)は、宗教関係の金工品をはじめ、室内の飾(かざり)金具や襖(ふすま)の取手(とって)金具などの建築関係、装身具、家具などの金具、鎧(よろい)や兜(かぶと)などの武具等、に用いられてきた。江戸時代には、彫金技法は高度に発達し、特に刀装(とうそう)金具は、幕府や藩の手厚い庇護のもと優秀な工人が育ち、複雑で多彩な技法による繊細で優れた作品が生み出された。
 明治になると、これまでの庇護者層が没落し、彫金界は大きな変革を迫られた。鐔(つば)や目貫(めむき)、小柄(こづか)などの刀装金具は、廃刀令(はいとうれい)などによって彫金家たちの主要な活躍の場であった需要がなくなったからである。

「片切彫」について白石和己 山梨県立美術館長の解説です。
明治の困難な時期に、新しい表現を開拓して活躍した彫金家に加納夏雄(かのう・なつお)がいる。彼は江戸から明治にかけての第一の名工といわれ、片切彫の技法を得意とした。片切彫は肥痩(ひそう)のある線が表現できる技法で、円山四条派風(まるやましじょうは)の図を、筆跡よく金属に表し、花瓶(かびん)や額(がく)などの大作から帯留(おびどめ)、煙草(たばこ)箱などの小品にいたるまで各種の作品を制作した。1890年(明治23)には初の帝室技芸員となった。塚田秀鏡(つかだ・しゅうきょう)、香川勝廣(かがわ・かつひろ)ら明治の代表的彫金家は、ともに彫金を加納夏雄に学び、絵画を柴田是真(しばた・ぜしん)に学んだ


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*聖書中の「瀝青」。ヘブライ語版ではこう表記
①ノアの方舟(創世記6-15)
神はノアに言われた。「あなたはゴフェルの木の方舟を造りなさい。方舟の内側にも外側にもタールを塗りなさい」

yama ni tsuita  hakobune
ノア :ヴァ「コフェル」=「タール」で

ヘブライ語はアラビア語と同様、右から左に読むので、この対訳もその流れになっています



ノア ヘブライ聖書



②バベルの塔(創世記11-3)
石の代わりにレンガを、しっくいの代わりにアスファルトを用いた。さあ天まで届く塔の有る街をつくり、有名になろう。


ばべる立て
バベル ヴェハ「ヘマル」


baberu 20K





③モーセ川に流される(出エジプト記2-3)>
パピルスの籠(かご)を用意して、アスファルトとピッチで防水し、その中に男の子を入れ、ナイル河畔の葦(あし)の茂みの間に置いた。

mo-se dore kago
モーセ・ ヴァ「ヘマル」=「アスファルト」で  ウヴァ「ザフェト」=と 「ピッチ」で


mose50%



* 1990年8月10日初版発行。ミルトス・ヘブライ文化研究所編の ヘブライ語対訳聖書より
これを読むのがいやに人には、、来週ダイジェスト版をアップします。
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舞妓さんの うちわプレゼント! だそうです。
ohatsu uchiwa
上七軒 「お初」左千夫さんからのお知らせ


夏が終わり、飾っていた芸舞妓さんのうちわも外すことになりました。

せっかくですので、ブログを見て頂いてるかたにプレゼントしたいと思っております。

数は15枚とさせていただきます。
下記の私のブログ

http://ameblo.jp/sachioohathu/


「メールはこちら」
住所、氏名、年齢をお書き添えの上送ってください。
どの芸舞妓さんのうちわかは選べませんのでご了承ください。

送料はうちのお店で負担させていただきます。
応募が多い場合は抽選とさせていただきます。

ご記入頂いた個人情報は厳重に管理いたします。

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ずいき祭り。神輿の屋根は芋茎葺き(ずいきぶき)
この屋根はなんですか?「 へ~。ズイキ どす」

ずいき葺き野屋根
ずいき祭り10月1日~5日


ずいきまつり
芋茎・ずいき・は里芋の茎。

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