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(旧 「防水屋台村」建設中)
「本邦最初鉄筋混凝土橋」碑はこうして立てられた。
「そう云うたら、あれはな 日本で最初の鉄筋コンクリートの橋やったんや」
という指導者田辺朔郎の言葉で
完成29年後に「本邦初―――」の石碑を建てた。


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今でこそ、第11号橋は「明治36年7月に作られた鉄筋コンクリート橋」として建設関係者の一部では知られているが、完成当時は話題にもならず、ほとんど忘れ去られた存在だった。
それが約30年もたった後、急に話題になったのは、昭和5年に発生した天智天皇稜裏疏水決壊事故がきっかけだった。翌6年には大改修工事が行われ、琵琶湖疏水建設を指導し、京都大学教授となっていた田辺朔郎も立ち会った。
 平成2年京都市水道局が発行した大著「琵琶湖疏水の100年」(叙述編)によると、
〈大改修工事に立ち会った田辺朔郎が、疏水事務所の職員にこの橋の由来を話したことから、市が昭和7年「本邦最初鉄筋混凝土橋」の石碑を建てて記念するに至った〉とある。

ただし、明治10年(1877年)に江戸で生まれ、工部大学校(現東京工業大学)を卒業した田辺が、京都弁で見出しのような言葉を使ったとは思えない。
そんな想像をしてしまうのは、田辺の人間的魅力に有る。

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