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(旧 「防水屋台村」建設中)
防水業界関係者として「燃土」を献上したいものです。
天智天皇への「燃える水・燃える土=瀝青」献上
を再現。7月7日 滋賀県近江神宮で行われました

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黒川で採取した燃える水(臭水くそうず)を献納する新潟県黒川村の代表者。

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各府県の石油商業組合の代表者がランプを持って献灯

「日本書紀」《天智天皇七年(六六八)七月》◆高麗従越之路遣使進調。風浪高。故不得帰。以栗前王拝筑紫率。』于時近江国講武。又多置牧而放馬。又越国献燃土与燃水。又於浜台之下諸魚覆水而至。又饗蝦夷。又命舍人等、為宴於所々。時人曰。天皇天命将及乎。


7月7日、近江神宮で恒例の 燃水祭 が執り行われました。上の写真は近江神宮から提供いただいた、昨年の様子です。。

防水工事の起源となる天然アスファルト・瀝青は、日本では「日本書紀」、世界では「旧約聖書」さらにメソポタミア、エジプトに遡ります。本サイトの「アーカイブ」メニューからご覧ください。
また7月6日の記事で「防水と天智天皇との深いかかわり」を紹介しました。http://www.roof-net.jp/index.php?%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%9B%B8%E7%B4%80%E3%81%A8%E7%80%9D%E9%9D%92%E3%80%80%EF%BC%882%EF%BC%89

①日本書紀に記された「燃土ー瀝青」献上②漏水で時間を計る日本最初の時計③百人一首の最初の歌「秋の田のーー」で屋根から漏れる雨露を心配する
以上の点で、天智天皇は防水と最も深いかかわりを持つ天皇であり、その天智天皇を祀り、燃水祭を行い、日本最初の時計博物館を持ち、百人一首競技かるたを扱った漫画「ちはやぶる」でかるたの聖地として登場する近江神宮は防水業界にとって特別な存在と思うのです。

近江神宮からは間もなく今年の燃水祭の写真をいただけることになっています。今年はTV取材はなかったそうですから、その写真が楽しみです。近江神宮の担当の方からは「貴ホームページの「日本書紀と瀝青」の記事も拝見させていただき、新たな知識を得ることができました。毎年石油の関係のお祭りを行っていて、石油関係者とお話しする機会があっても、「防水」ということに結びつけて考えたことはありませんでした」とご連絡をいただきました。

ルーフネットでは来年の燃水祭に合わせて防水の歴史ツアーを計画しています。

この燃える水と祭りに関して素晴らしくコンパクトにまとめられた国土交通省飯豊山系砂防事務所の記事があります。http://www.hrr.mlit.go.jp/iide/iide/culture2.html
少しだけ引用します。
 
 現在でも黒川村下館の塩谷地内には油坪が多く残っていますが、このように早い時代に発見され献上されたのは含油層が浅くて、自然に原油が湧き出る状態になっており、人目につきやすかったからでした。
 燃える水の発見という珍しい出来事でしたが、都から遠く隔たった北陸の一地方でのこと。通信手段もない古代においてはなかなか都までは伝わりにくいはずなのですが、燃える水が献上される20年前の大化4年(648)には越の国に磐舟柵がつくられ、都との往来も頻繁にあって、この珍しい燃える水のことは早くから知られていました。
「水が燃えるなどということは、一体有り得ることなのだろうか」
おそらく当時の都ではこんな思いを抱いて不思議がったのではないでしょうか。黒川の燃える水を見たい。それで天智天皇の即位に合わせて献上されたということなのでしょう。
 時代は下って江戸時代、「北越雪譜」で知られる鈴木牧之も、その著述の中で石油のことを臭水とよび、越後七不思議の一つとして紹介しています。
 黒川村の地名は、古くから黒い原油が流れていたことから黒川という地名がつき、中世においてこの地域を支配していた和田氏も、黒々とした燃える水が流れる川から姓を改めて黒川にしたと伝えられています。
 この燃える水にちなんだ儀式も、滋賀県の近江神宮と黒川村で毎年行われています。天智天皇を祀る近江神宮では、「日本書記」に記されている燃える水の献上地は黒川村であるとして、毎年7月7日に燃水祭を行っています。また、黒川村でも献上の故事にならって7月1日に燃水祭を催し、日本で最古といわれる油坪から採取した臭水を近江神宮に献上しています。  この臭水を採取した油坪は国の史跡に指定されて、その場所である公園の名をシンクルトン記念公園と名づけています。この名は明治6年(1873)に黒川村に来て、原油の採掘技術を指導したイギリス人医師の名をとったものです

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