(旧 「防水屋台村」建設中)
建築物の漏水対策が必要なとき、まず「なぜ漏るんだろう?」と考えてしまう人のために。  雨仕舞博士と武相荘の茅葺き屋根を見てきました。
今、防水の研究に関する第一人者は東京工業大学の田中享二教授。雨仕舞の分野の第一人者は東海大学の石川廣三名誉教授http://pubweb.cc.u-tokai.ac.jp/hirozo/index.htm。と言って誰からも異論は出ないでしょう。旧白州次郎・正子邸:武相荘の茅葺き屋根を石川廣三先生と見に行きました。幸い良い具合に雨が降っています。
茅葺き屋根から学ぶ雨仕舞の智恵は本ルーフネットの大事なテーマの一つです。その石川先生と一緒に見に行くように薦めてくれたのが、田中享二先生です。田中先生も防水の一環として葺き屋根を研究しておられます。英国の葺き屋根の技術や職人養成の調査報告も有り、「茅葺き屋根を見るのは雨の日に限る。私は調査に行くとき必ず天気予報を見て、雨の日に行きます。」と言っています。田中先生の英国の葺き屋根の楽しいフォトライブラリーは、防水専門雑誌「月刊防水ジャーナル」のバックナンバーで見る事ができます。

写真は武相荘の庇部分です。1本1本の茅を伝って、雨が落ちてくるのが見えます。石川先生の解説によると、どんなに激しい雨の時でも、浸透するのは表面からせいぜい5センチくらいだそうです。約30センチの厚みの内たった5センチが直接雨仕舞として機能している訳ですね。いつも雨が浸透している部分は黒く変色し、波状の筋が見えるのですが、武相荘の屋根は全面葺き替えからまだ1年経っていませんから、 はっきりした筋は見えません。歳がたつと茅がつぶれてフェルト状になり、雨仕舞の機能が無くなってしまいます。
次の雨の日に、この屋根の構造をオーナーに詳しく聞いてきます。ROOF-NET編集室の近辺にはまだ茅ぶき屋根の民家が現役で残っています。今後、両先生の指導を受けながら、取材して行きます。

この写真はH教授こと石川先生が愛車で伊豆を走ったときのもの。次のサイトで詳しくみられます。
http://members.jcom.home.ne.jp/biruge/index.htm

* おすすめ資料:石川・田中対談「これからの屋根のゆくえー勾配屋根と雨仕―」防水ジャーナル1992年4月号。

ROOF-NETなのに なぜ音楽なの?
能に「 絃上(げんじょう)」という名曲があります。どんな内容かというと、
ーーー昔、唐から琵琶の名器が渡ってきた。絃上、獅子丸,青山の三面じゃ。じゃが、 途中、龍神に船を難破させられ、獅子丸を龍宮に奪われてしもうた。無事に日本に着いた三面は、 宮中の宝物にされたのじゃーーー(平凡社「マンが能百番」渡辺睦子より)。
  
 これに増田正造が次のような解説をつけています。
 絃上(玄象):日本の貴族は、 単に権力者ではなかった。文学も音楽も身に着けた、いわば最高の芸術生活の実践者たちであった。中国への留学を志す大臣。 日本にもこんなに優れた音楽家がいるのに、とそれを止める村上天皇夫妻。昔は国威宣揚の能と解釈されていたが、そうではない。芸術の感性の物語であり、龍宮から琵琶の名器を取り寄せて海の演奏会をひらく、雄大な能である。戦争中は天皇夫妻は不敬、光源氏に変えろなどと軍部が介入した。

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天下に隠れなき琵琶の名手である太政大臣藤原師長(もろなが)が、琵琶の奥義を極めようと渡唐を志し、須磨の浦まで来て、汐を汲んでかえってきた老夫婦に、一夜の宿を頼み、乞われるままに琵琶を弾きます。
にわかに村雨が降りだすと、老夫婦は屋根に苫を葺きます。
??と思った師長が「 雨洩りしている訳でも無いのになぜ? 」と聞くと
おじいさんは「今あなたが弾いている琵琶の曲は「黄鐘(おおしき)調」、屋根の板屋を敲く雨の音は「盤渉(ばんしき)調」、 だから苫を葺いて雨音を整えた」と言います。
師長はこれに感心し、音曲の嗜みがあると見て、一曲所望します。
そこで老夫婦が琵琶と琴をを弾きますが、その見事さに師長は自分の未熟を悟り、家を抜け出します。
老夫婦はこれを引きとめ、 実は村上天皇と梨壺女御であることを明かし、龍宮から名器の琵琶獅子丸を取り寄せ、師長に授けます。師長が奏でると、 天皇も秘曲を奏して舞をまい、 やがて師長は都へ帰っていきます。
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謡曲としては比較的早い段階で習うものですが、初めて謡った時、日本人の音楽的感性、自然と一体化した豊かな知性・感性に何か誇らしい気持ちになりました。
それ以来、屋根という字を見る度にこの曲が浮かんで来るのです。

「ROOF-NET」が次世代に伝承したいと思っているのは、技術、知恵、だけではありません。ヒトらしく生きられる環境、生きるに値する感性です。だから本サイトは屋根の話だけでなく、環境、子どもの教育をテーマとします。食や音楽、その他表現芸術の取材にも重きを置きます。ROOFという言葉はたんに雨露を防ぐ建物の部位を指すだけでないことはお分かりだと思います。

というのが、ROOF-NETになぜ音楽の記事がでるの?という問いの答えですが、 実はそれは言い訳。単に主催者が音楽が無ければ生きられない。という極めて単純な理由です。
ついでにいえばにこのROOF-NETのサーバーの名前は「ネイチャーランド」というくらいですから。





民族楽器は土から離したらいかん!! スーパースター若林忠宏さんに聞きました。
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日本の民族楽器演奏の第一人者、若林忠宏さんは900種類の民族楽器を演奏する。楽器を演奏している時はその国の人間になりきっているようだ。だから、若林さんの演奏は、その国の人に評判がいい。若林さんは今、東京都の夢の島熱帯植物館が6月29日(日)まで開催している企画展「歌と音で楽しむ植物展」に協力している。会場でその秘密を聞いた。一部を紹介しましょう。詳細は是非会場で見てください。
 
楽器と特別な関係を結んでいる若林忠宏さん






「太鼓というのはね、たとえ30年演奏している太鼓でもその日の一発目はいい音が出ないんですよ。」 これは当然のことで、自分の手の乾きやコンディション、楽器のコンディションは毎回違う。でも1発たたくと、「ああそうかい。今日きみはこんな状態なんだね」とわかるんで、2回目ないし3回目からちゃんと鳴らせる。
 アコースティックな楽器、特に民族楽器はそんなもんです。
 楽器には、それと正反対のアプローチもあります。演奏が湿気や環境条件にできるだけ左右されないように、楽器にニスをぬったり、素材を選び、作り方を考える。西洋楽器の考え方ですね。電気楽器やコンピューターミュージックはその延長線上にある。でも面白いことに最先端であるコンピューター音楽は、自然に近づいている。デジカメで解像度があがるとより自然に近いリアルな再現ができるように、コンピューターの技術が進むとより自然に近い音の再現が可能になってきた。生演奏のような不思議な「うねり」が表現できるんです。

  
 小さいときから虫が大好きで、ずっと観察していました。僕は土いじりがとても好きだし、「民族音楽は土から離したらいかん」ということを去年岩波から出した「スローミュージックでいこう」という本の中でも書きました。
 それはこんな経験があったからです。九州である料理人をじっくり観察したことがあったんです。その弟子は師匠の包丁の先を見ていますが、僕は料理を学ぶわけじゃないから、肘と腰を見る。これが音楽の勉強になるんです。
楽器もそう。指先じゃなくて、体全体をどう使っているか?立ち位置はどうか?楽器から音が出ているんじゃなくて、楽器と演奏家が一体になって、そこから音楽が出ているわけです。楽器を自分で作っていると楽器の重心が良く分かるじゃないですか。すると、どう持つといいかと言うことは自然に分かってくる。
 その料理人の大将が「野菜は土から離したら味が落ちる」と言うわけです。
 民族楽器も同じです。この何気ない一言は、民族音楽にとって文化、風土、歴史、伝統、人、想い、心、繋がり、は「土」だということを気づかせてくれました。
 その土に根ざした「民族音楽」の楽器は、自然素材、すなわち植物で出来ているものが大半です。民族楽器は、私たち人間が自然や生き物たちと豊かな心で暮らしていた時の面影を響かせてくれます。
 
 
 若林忠宏(わかばやし・ただひろ)●1956年、東京生まれ。中学生の頃にラジオ番組で民族音楽と出合い、中学卒業記念演劇祭での自作民族楽器演奏を初演。高校入学直前にインドで弦楽器シタールを入手し、渋谷じゃんじゃんで演奏。1978年には日本初の民族音楽ライブスポットを開店。1986年にはサイケデリック・ロック・バンド「七福神」のメンバーとなる。その後、細野晴臣氏、妹尾河童氏、本條秀太郎氏などと共演。
「タモリの音楽は世界だ」「世界不思議発見」「開運なんでも鑑定団」「ナビゲーター99」「タモリクラブ」「題名のない音楽会」など。
世界各地の数十人の師匠に学び、約900種以上の楽器を演奏し2500点以上の楽器を所有。
1999年には世界の民族音楽のCD全集45枚、2000年には続編45枚をリリース。
モーツァルトとベートーベンはコーヒー中毒だった!!指揮者:石塚貴士さんに聞く

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 『バッハ、モーツァルト、ベートーヴェンこの3人の共通点は何でしょう?》いずれもクラシックの有名作曲家。そう当たり。しかもベスト3かもしれませんね。でもそれだけじゃないんです。実はこの3人、大のコーヒー好き。今、東京都夢の島熱帯植物間で開催中の「歌と音楽で楽しむ植物展」で「植物とかかわりのある音楽」を選んだ石塚貴士さんのとっておきの話の一部を紹介しましょう。

バッハが活躍した当時、ドイツ(プロイセン)を統治していたフリードリヒ大王は、経済政策の一環として貨幣の国外流出を防ぐため、主な輸入品であったコーヒーの消費を抑えようと、いわゆる「コーヒー禁止令」を布告します。バッハはそれに反発し、椰楡する内容の「コーヒーカンタータ」を作りました。この曲中では、コーヒーが何より好きな娘が、父親からコーヒーを飲み続ける限り結婚もさせないし外出も許さないと言われてしまいます。そこで娘の執った態度とは…続きはイベント期間中の夢熱で!
 また、モーツァルトもコーヒーを愛し、殊に妻コンスタンツェに淹れてもらったものが大好きだったそうです。彼の遺産リストの中には「コーヒーミル2台」なんて項目もあったようですよ。
 そして誰よりもコーヒーに執着したのはべートーヴェンでしょう。彼は毎朝、好みの豆を自ら挽いて飲んでいました。そして「一杯のコーヒーにつき、豆はきっかり60粒でなくてはならない」と述べています!彼の生活の中でとても重要な位置をコーヒーが占めていたことがうかがえる言葉ですね。ひょっとしたらコーヒーがなければ「運命」も「第九」も生まれなかったかも知れません。


石塚貴士(いしづか・たかし)●フルート奏者、指揮者。夢の島熱帯植物館コンサートイベントでは音楽監督を務め、年間30回に上るコンサートを企画、監修。いずれも好評を博している。