(旧 「防水屋台村」建設中)
燃水祭に行こう 
7月1日 黒川燃水祭

油壷 (2)
会場となるシンクルトン記念公園。

7月1日(金) 午前10時30分から『黒川燃水祭』が「越の国黒川臭水遺跡保存会」により開催される。

 「日本書紀」第38代天智天皇7年(西暦668年)の記述に「越の国より燃土・燃水を献ず」とあるのは、黒川(旧黒川村、現胎内市)といわれ、その昔、原油が川のように黒々と流れたことから黒川の地名の由来にもなった。

献上行列 (1)


 この史実を後世に伝えようと毎年行われているのが『黒川燃水祭』で、天智天皇を祀る滋賀県の近江神宮から神官をはじめ石油開発業界、石油販売業界の代表が参列するとともに、地元小学校児童も郷土史の勉強を兼ねて見学し、白装束を身にまとった保存会メンバー等が献上風景を再現して街中を行列する。


献上行列 (2)
 なお、『黒川燃水祭』でカグマ(リョウメンシダ)により古式の方法で採油された油は、近江神宮において7月7日に開催される「燃水祭」に奉献される。
 
 1 日   時  7月1日(金) 午前10時30分~

 2 会   場  シンクルトン記念公園(住所:胎内市下館1622)

 3 献上行列  午前11時45分~
          胎内市役所黒川庁舎前通(胎内市黒川1410)




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明日発行の192号 読み物は:防水関係者にとって「近江神宮燃水祭」とは何か? です
防水関係者にとって「近江神宮燃水祭」とは何か?
人類と防水の歴史  聖書や日本書紀と近代防水を繋ぐもの

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現代の工法につながる近代防水の歴史は約百年といわれています。
明治38年(1905年)、大阪瓦斯本社ビルのベランダ部分に、アスファルトルーフィングをアスファルトで積層するメンブレン防水工法が採用されました。従来のアスファルトミックスによる防水に代わって、ここで現代の防水につながる積層工法が初めて採用されたことをもって東京工業大学小池迪夫名誉教授は、「近代防水の誕生」としました。


明確な記録でたどれる建築防水の出発点が、大阪瓦斯本社の立派なビルであったものの、その施工部位は木下地のベランダの上のわずかな面積でした。しかし土木の分野では、同じころ、巨大な国家プロジェクトにおいて重要な役割をはたしています。それが明治41年の淀橋浄水場の防水工事です。ここで使用されたのが秋田で採掘された天然アスファルトです。その露天掘りの採掘現場写真には「穴原商会」のはっぴを着た人たちが映っています」。

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アスファルトの歴史に関する古典的資料、村岡坦著「アスファルト」に掲載されている東京市水道沈殿池のアスファルト塗布の写真。


日本の近代化とともに登場したアスファルト防水。近代防水の歴史としては100年ですが、ルーフネットで度々紹介しているように、「防水材としてのアスファルトの歴史」は紀元前3000年までさかのぼります。これは聖書の世界だけでなく、日本国内でも、縄文時代の土器の接着補修やコーティング、籃胎(らんたい)への使用などが見られます。
世界史の中で防水に関する記述は聖書や世界最古の叙事詩・古代アッシリアの「ギルガメッシュ叙事詩」や旧約聖書に見られます。
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リルケが「人に衝撃を与える最高傑作」であると絶賛したギルガメッシュ叙事詩を刻んだ粘土板。
私は3シャル(1シャルは3,600ℓ)の瀝青を溶炉に注ぎ、3シャルのアスファルトで方舟を張り巡らした。

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G.ドレによる有名なノアの方舟。

それがノアの方舟、バベルの塔、乳呑児のモーセを入れた籠です。ここにアスファルトが防水という明確な目的のもとに使用されたことが書かれています。

聖書に書かれたこれらの話が、歴史的事実であるかどうか、という点に関しては別の記事に譲りますが、バベルの塔に関しては、神殿の遺構からアスファルトの付着した日干し煉瓦が発掘されています。

バベル
ブリューゲル「バベルの塔」1563 ウィーン美術史美術館


世界史の中で防水に関する記述はこのようにわかりやすい形で散見されるのですが、残念ながら日本では、絵本にできるほどのものはありません。しかしながらこれ以上はないというほどの権威ある書物に載っています。それが日本国の正史「日本書紀」です。わずか1行ですが「668年天智天皇即位の年に越後から燃える水と燃える土が献上された」という記述です。
かつて日本でも新潟や秋田では天然アスファルトが露頭し、石油が池になり、川を黒く染めていたのです。越の国の人々が天智天皇即位の年にそれを堀、また汲んで、不思議なモノ、珍しいモノとして献上したわけです。日本書紀にはこう書かれています。

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日本書紀(元治甲子補刻板:日本石油百年史より)6行目2つ目の「又」の後に「越の国より、燃える土と燃える水とをたてまつる」とある。日本書紀は、奈良時代に成立した日本の歴史書。日本における伝存する最古の正史で、舎人親王らの撰で、養老4年(720年)に完成した。神代から持統天皇の時代までを扱う。全三十巻。

小堀拡大
日本書紀の「燃土燃水献上」シーンを我が国歴史画の父・小堀鞆音が大正3年に制作した「燃土燃水献上図」(国宝:鳥獣戯画のシーンを参考にしている)


小堀鞆音の絵において、前で担(かつ)いでいる甕(かめ)にはいっているのが「燃える水=石油」。後ろの唐櫃(からびつ)の中は「燃える土」。 毎年「燃水祭」は盛大に執り行われている。石油業界では昭和53年より多くの人たちが参列しています。新潟県黒川から運んだ燃える水を奉献し、日本書紀の該当部分を奉唱します。石油業界にとって天智天皇は「石油の祖神」であり、「燃水祭」は業界人として「石油の祖神」に感謝の祈りを捧げ、業界の繁栄を祈願する重要な行事となっているのです。(燃水祭世話人・芝野桂太郎氏(滋賀県石油組合理事長)談)

この時代、天然瀝青は接着材、防腐剤、防水材として使われていました。石油業界にとって天智天皇が石油の祖神であるなら、防水業界にとって(道路業界にとってもそうなのだが)燃える土を献上する天智天皇は「防水の祖神」であります。

天智天皇に奉られたのは「燃える水」だけではなく、「燃える土と燃える水」です。しかも日本書紀には「燃える土」の方が「燃える水」より先に書かれている。
近江神宮で行われる「(燃土)燃水祭」は「防水の祖神」に感謝の祈りを捧げ、業界の繁栄を祈願する重要な行事となるべきものではないでしょうか。これが表記テーマの答えです。


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燃土燃水献上図 小堀鞆音(ともと)文久4(1864)年2月19日~昭和6(1931)年10月1日



明治歴史画家小堀鞆音(ともと)は、日本石油から同社創立30周年事業の一環として依頼され、これをモチーフとした画を残しています。ただし実際は、その3年前、大正3年東京大正博覧会に間に合うよう完成させたようです。
石油業界は日本書紀の記述を自らの業界の起源とし、日本石油は創立30周年記念にこの画を小堀鞆音画伯に依頼し、大協石油(現コスモ石油)はやはり創立30周年記念として前田青邨に同じテーマの画を依頼しました(紹介すみ)。
「燃土燃水献上図」は古代から接着、防水などに使用されていた燃土=瀝青=天然アスファルトを出発点とする日本の防水業界にとっても、業界の起源と考えられます。しかし燃水=石油は、アスファルトのみならず塗膜・シート防水材の原材料であることから、むしろ「燃える水」を防水の起源として良いのでは…と考える防水関係者もいます。
いずれにしても「燃える土・燃える水献上」と言う日本書紀の記載が、防水業界にとって、貴重な初見であることに間違いないわけです。
そしてそれを描いた画家が、有職故実に基づく正確な歴史考証による歴史画を得意とした帝室技芸員にして日本の歴史画の父・小堀鞆音であったことは極めて幸運であったと言えます。
200万人が見た「防水・アスファルト」の文字
ツタンカーメン展と防水

1.15大雪翌日の蔦甕
都心を急襲した大雪の翌朝を狙った人の列。2013年1月15日午前9時。前売り券を持った人が80人。当日券販売窓口は9時10分オープン。ここにも20人の列。


美術館を会場に開かれた大イベントの延長された会期も残すところ6日。1月11日午後時点でツタンカーメン展の大阪・東京合計入場者数が200万人を超えたそうです。図録を見ていれば十分だよ、というアドヴァイスに同感したものの、やはり何か防水に関する情報があるのでは、と落ち着かず、行って来ました。

3300年前のエジプトの少年王ツタンカーメン。同展ではミイラにする際摘出されたツタンカーメンの内臓が保管されていた器である、黄金のカノポスをはじめ、王のミイラが身にまとっていた黄金の襟飾りや短剣など、王墓から見つかった副葬品約50点を含む全122点が展示されている。

有名な黄金のマスクは展示されないが、防水やアスファルト関係者にとっては見逃せない3点がある。それが展示番号2:アメンヘテプ2世立像、同32:ライオンの頭部をもつ女神の座像、同46:チュウヤのカノポス厨子。いずれも木に瀝青すなわち天然アスファルトでコーティングされている。すべて紀元前1500年頃の作品。(ルーフネット既報)


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Photograph© Sandro Vannini
高さ79.5cm、幅22cm、奥行き30cm。

木彫(杉)瀝青で表面コーティング。天然アスファルトの黒は肥沃な大地と死者の王国に結びつく色とされる。アメンヘテプ2世の治世は紀元前1454ー1419年頃。


今回のツタンカーメン展に対して様々な批判がある。しかし防水業界にとってこの展示は大きな意義があった。それは会場に入って最初のケースにはられた幅30センチの解説パネル ↓。

瀝青:ビチュメンともいう。天然アスファルトのこと。高温で液体化し常温で固着化する。防水や補強、あるいは表面保護のために塗布された。またその粘着性を利用して、接着剤としても用いられた。


今回の展覧会を監修した、エジプトの考古学者ザヒ・ハワス博士は、図録の用語解説で、瀝青(れきせい)をこうに説明し、その説明パネルが、アスファルトで覆われたアメンヘテプ2世像(写真上)のケースの上部に貼られているていました。
寒空の下数時間待たされ、やっと入って、初めて目にするケース内の作品が、天然アスファルトで覆われたツタンカーメンの高祖父アメンヘテプ2世。その説明に防水・アスファルト・瀝青の文字。200万人の400万個の目玉にしっかり焼付いたことでしょう。


防水とツタンカーメン展のまとめは「ルーフネット10月30日の記事」↓
http://www.roof-net.jp/index.php?%E3%83%84%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%A1%E3%83%B3%E5%B1%95%E3%81%A8%E9%98%B2%E6%B0%B4%E3%81%AE%E6%8E%A5%E7%82%B9
をご覧ください。

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ツタンカーメン展の貴重な写真到着
来年1月20日まで会期延長の上野・ツタンカーメン展
アスファルト関係展示の詳細をホームページ「ルーフネット」120号でアップしました。
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主催者から提供いただいた貴重な3点の写真を紹介しています。そして会場で、古代エジプトとアスファルトや防水を味わってください。

蔦甕図録






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*近江神宮 宮司が語る「燃水祭」
越国、燃土と燃水とを献る

      ―――書紀天智天皇七年


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「志賀」

天智天皇を祀る近江神宮にとって、「燃える土(瀝青・アスファルト)と燃える水(石油)を天智天皇に献上した」という日本書紀の記録は、極めて重要である。我が国文献中に見る、アスファルト・石油の初見であるこの記述にもとづき、近江神宮は毎年7月7日、燃水祭を斉行している。
毎月発行されていた近江神宮の広報誌である「志賀」の7月号には、例年燃水祭に関する記事が掲載される。

ルーフネット編集部では、近江神宮からいただいたこの資料のうち、数点を選び順次紹介します。昭和63年7月1日号の「志賀」です。表紙の絵には前田青邨が画いた「燃水献上図」が掲載されています。

本文中「所見」は「初見」、「清水」は「清砂」のことだと思われます。もちろん見出しの書記は御愛嬌。
(Y.M.)






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