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(旧 「防水屋台村」建設中)
〇学会大会で防水アーカイブズに関する研究発表
「ひと」情報収集の現状など6編を発表

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「ひと」情報の収集状況を報告する、桑田恵美委員(ネイチャーランド)。


2013 年 4 月から活動を開始している日本建築学会・防水工事運営委員会・防水アーカイブズあ り方検討 WG、防水アーカイブズ資料収集・整理 WG、防水アーカイブズ 調査研究 WGは、9月4日、仙台で開催された日本建築学会大会で、以下5編の研究報告を行った。

①防水アーカイブズに関する研究 その8 シーリング専門工事業関連資料収集状況-1

②防水アーカイブズに関する研究 その9 シーリング専門工事業関連資料収集状況-2

③防水アーカイブズに関する研究 その5 防水アーカイブズ資料としての「ひと」情報収集の現状

④防水アーカイブズに関する研究 その6 アスファルトルーフィング類における原紙・原反の変遷 1原紙

⑤防水アーカイブズに関する研究 その7 アスファルトルーフィング類における原紙・原反の変遷 2 合成繊維不織布原反

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わが国の防水の歴史はすでに 100 年を超えている。こ の間多くの材料・工法が開発され、多くの人が関与し、 現在に至っている。ただこれら情報を保存する習慣、そ れを受け止める仕組みがなかったため、貴重な防水遺産 が散逸・消失し、現在もその状況が続いている。これら を危惧し、次世代へ防水情報を伝達する仕組みとして防 水アーカイブズを構想し、建築学会防水工事運営委員会 内にワーキンググループを設置し活動 を開始した。防 水アーカイブズにおける収集対象は「ひと」、「もの」、「文書」。

WG設置以来毎年「もの「」情報を報告してきたが、「ひと」に関する報告は初めて。 今回は桑田恵美委員(写真)が「防水アーカイブズに関する研究 その5 防水アーカイブズ資料としての「ひと」情報収集の現状」として、~ 現在までに 200 名を超える「ひと」のファイルが完成 しているが、今のところ、情報の得やすい 論文や雑誌等に頻出する「ひと」に偏っており、実際の 工事に携わった実務関係の「ひと」が少ないこと、今後の収集計画、閲覧計画~などを報告した。









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防水の歴史を探る*「ルーフネット」は日本の世界の防水に関する記録の初見を求めて日本書紀や聖書などを調べています。「日本の防水歴史研究会」
2019年の近江神宮燃水祭は7月5日。 黒川燃水祭は7月1日です
奥山化工業 創業100周年記念誌
「水を理解し、水を味方とし、敵としてはならぬ」を社是に100年

奥山100年P6240035


防水メーカであり防水工事店でもある奥山化工業㈱(奥山岩孝社長)は2018年6月15日、創業100周年記念誌を発刊した。
A4版163ページ。


目次
奥山目次2 (1)
奥山目次2 (2)

強い信頼関係で結ばれた日本防水総業や、防水メーカー日新工業トップとの座談会「カッパー防水帯を磨き抜く」や
カッパー防帯を磨きぬくDSC07190

建築学会の会長を務めた吉田享二氏との結びつきなど、 防水の歴史上、貴重な記録である。
吉田享二教授を紐解く

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奥山化工業と日本防水総業・吉田享二氏との関係は、2010年6月にルーフネットで紹介している。以下はその一部。
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奥山化工業と日本防水総業のルーフネット
BOUSUI デジタル アーカイブ 人物編
我が師は菊五郎。≪ルーフネット広場≫


北海道と東京を結ぶ職人の心意気
60年前の建築学会会長がこれほど防水を重視していたとは…。

吉田享二の防水談義
吉田享二の防水談義

これは1957年昭和32年、奥山化工業の会社案内「奥山式総合防水層の栞」の第7ページ。
このページは情報量が多い。昭和31年奥山菊五郎の黄綬褒章。菊五郎と吉田享二教授、十代田三郎教授の合作によるキャッチフレーズ。十代田教授の防水コラム。そして次のページには、21代日本建築学会会長 吉田享二早稲田大学教授の、に対する次のようなメッセージが掲載されている。

吉田享二先生談
なぜここまで

防水工事は如何なる建築に於いても最も重要視すべきである。而して材料と構造と相俟って完成し得るものである。自己取扱いの材料が建築の一部となって永く其の目的を達する迄、材料製造者及施工者は責任を持つ覚悟をして貰いたい。其為めには熟練者を採用して自己の監督できる法をとって社会を満足せしめてほしいと思う。材料と施工との分かち得ない責任のあるのは防水工事の如きものである。熟練せる監督と現場従業員の必要は無論として、材料選定に関しては次の如きものは実施に際して先ず注意すべき事であろう。
以下略。

吉田享二氏は明治20年(1887)に兵庫県但馬生まれ。明治45年(1912)東京帝国大学工学部建築学科卒業。同時に早稲田大学建築学科講師。助教授を経て大正5年(1916)教授。専門は「建築材料学」であったが、大正14年(1925)から「都市計画」の講義を担当するようになる。東大や京大などに先駆け、大正11年から早稲田では「都市計画」の講義が開設された。当初、内務省官僚の笠原敏郎が講義を担当していたが、翌年におこった関東大震災の後、笠原は復興局へ異動したため、吉田享二が受け継いだ。
建築家として代表的作品、「日本民藝館本館」(登録文化財/昭和11年[1936])、竣工東京工業試験所(1922)、小野田セメント本社(1917-26)、第一菅原ビル(1934)など。

吉田享二氏に関しては、鳥取環境大学浅川研究室のブログが詳しい。
http://asalab.blog11.fc2.com/blog-entry-962.html

なぜ建築学会会長で建築材料学の大御所が防水工事にここまで肩入れしたか。
「奥山-片山のルーフネット」座談会での古谷氏の発言を見てみよう。

わが師は菊五郎


古谷:前に僕の先輩で秋山という取締役がいた。あの方は新制高校と旧制高校の境目だから。今生きていれば82歳くらいかな。昭和25年か26年の卒業ですよ。早稲田の大学院を出ているんですよ。あの当時は珍しいですよ。
片山: その秋山さんは奥山さんにはどういうきっかけで?
古谷: 大学院までいかれたのに。就職がないご時世だった。
片山: 僕もお会いしたことがあるはず。 確か小柄な方で。
古谷: 私が早稲田で、十代田先生から「奥山へ行って来い」と言われたのと同じように、吉田先生から「奥山に行け」って言われたそうですよ。
編集長: 十代田先生の先生が吉田先生。吉田先生と奥山の関係があれば、十代田先生が古谷さんに「奥山へ行け」というのはわかります。でも、その前に吉田先生が秋山さんに「奥山へ行け」というからには、さらに以前から、吉田先生と奥山とは、かなり親密なつながりがあったということですね。
以下略。

北海道と東京を結ぶ技術屋の心意気。


BOUSUIデジタルアーカイブ 人物編
(予告編) 我が師は菊五郎。
≪ルーフネット広場≫
北海道と東京を結ぶ技術屋の心意気。
 *-----*-----*-----*-----*-----*
…久しぶりに、奥山さんの事務所に顔出したら、菊五郎先生がちょうど居たんですよ。こう入り口に立ったら、目と目があって、挨拶したら「来い、保、来い」って、席へ手招きするんですよ。行ったらね、厚紙でエクスパンションを作って、防水の納まりを考えているんですよ。折り紙のようにね。で、僕はそれを見ながら、いろいろと昔話をしました。僕は帰りの飛行機にのって、座席であの楽しそうな顔を思い出しました。あそこまで防水に徹していたんだな。そうすると、僕も懐かしく現場での苦労を思い出し、ああ、こうやって仕事っていうのは、晩年は、自分の仕事に誇り持って楽しく、後輩に何かを残してやれるようだといいなぁと。僕も将来ね、菊五郎先生にこれだけ仕事教わったんだから最後は楽しみながら仕事やるっていうのはいいなぁとしみじみと感じました。私、楽しみながら足場上がったりしているんですけど。
古谷:まぁ、勝手なことやってましたからね、菊五郎先生は。
斉藤:いや、私も今好きなことやらしてもらって… (座談会より)

我が師は菊五郎。

 斎藤保(たもつ)75歳(写真左上)。北海道の名門にして最大手防水工事店・日本防水総業株式会社取締役工事担当。昭和25年「給仕」として入社。防水工事現場に魅力を感じ、すぐに現場担当へ移動を願い出る。爾来、現場一筋。かつてスーパーゼネコンの所長その前でが震え上がり「天皇」とも称された三菱地所の星野氏も、防水工事関しては斎藤に絶対の信頼を寄せる。60歳を過ぎても指名が掛かり、「私はもう歳で、現場作業はできません」といっても「いや、とにかく『居るだけ』でいいから」と譲らなかった。
 斎藤さんは今も毎日出社し、作業員から現場の様子を聞く。「会社に何かあったとき、斎藤は体を張って会社を守ろうとするだろう。あれはそういう男」(日本防水総業片山社長)。多くの人が、「何が大事か」を見失っている中、トップと技術屋のこの堅い信頼関係は眩しい。職人の誇り、技術屋のプライドとそれをしっかり受け止めるトップの志。ある時、片山英男社長と話していて「今生き残る会社が持っているもの、建築業界、大きく言えば日本を救うのは、そんな信頼関係ではないか」と意見が一致した。「斎藤さんに是非会いたい」と思った。
 さらに片山氏は「斎藤には師匠がいる」。それが、創業大正7年の奥山化工業、創業者の兄で技術屋の名物男「奥山菊五郎」だという。取材が決まって、斎藤さんに「奥山菊五郎さんとのことでーーー」と言いかけたとき、「あっ菊五郎先生ですか!」電話の向こうで居ずまいを正す気配を感じた。
 北海道と東京の名門防水工事店。技術一筋の奥山菊五郎と斎藤保。なぜ斎藤氏は菊五郎を師と仰ぐのか? 奥山化工業と日本防水総業の浅からぬ因縁とは?
 先日、奥山岩男・片山英男両社長と菊五郎をよく知る奥山化工業古谷隆司前常務、渡辺寛司常務を交えて懇談した。結果は順次掲載予定。 乞うご期待。
2010/06/10(木) 08:25:08|ARCHIVES|
ーーーーーーーー
以上

防水の歴史を探る*「ルーフネット」は日本の世界の防水に関する記録の初見を求めて日本書紀や聖書などを調べています。「日本の防水歴史研究会」
2018年の近江神宮燃水祭は7月5日。 黒川燃水祭は7月2日です。
防水の歴史資料館への序章
防水の象徴「燃える土」を初めて奉献
2018年7月5日 11時 滋賀県近江神宮で燃水祭



17-2スクリーンショット (82)


日本シーリング材工業会機関誌「& SEALANT」の2018年6月10日発行NO.101号より。


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RNY390 「日本の防水と雨仕舞の歴史館」コーナー
「日本の防水と雨仕舞の歴史館」コーナー
          2018年5月30日(水)~6月1日(金)開催

東京ビッグサイトで2018年5月30日(水)~6月1日(金)開催される第23回 R&R建築再生展に、「日本の防水と雨仕舞の歴史館」コーナーが出現します。ルーフネットと「JHWA日本防水の歴史研究会」が古代から現在に至る、防水と雨仕舞の知恵と技をテーマに展示します。
22回の様子


週刊ウェブマガジン「ルーフネット」は2010年4月24日より、防水・屋根・雨仕舞をキーワードに、ルーファーの知恵と技、歴史と文化との深いかかわりに関する情報を発信してきました。まもなく400号となります。「屋根屋はすごい、防水は大事」を言いたいが為に書いた記事の数は大小合わせて3000本を超えました。

その内容は縄文時代の屋根の雨仕舞、ノアの箱舟やバベルの塔の防水とシーリング、日本書紀に記されたアスファルトや石油の話、茅葺き屋根に学ぶ雨仕舞の知恵、さらには省エネ技術と建築再生の精神、そして最新の防水…に関するものでした。

「日本の防水と雨仕舞の歴史館」コーナーでは、ピカイチの茅葺職人の技や、めったに聞けない話、バベルの塔の音楽演奏や、日本書紀の記録を図像化した貴重な絵(模写)も最新の防水情報との関係性の中で紹介します。

このために、神戸から茅葺職人を招聘し、小屋組みを整え、竹と茅を準備します。日本でただ一人の茅葺き博士にとっておきの話をお願いし、中世音楽の若きドクターであり人気演奏家の菅沼起一氏に演奏を依頼しました。大津市の近江神宮から貴重な絵のレプリカを、日本書紀に記された新潟県黒川村からは、燃える土と燃える水の資料をお借りしました。



展示内容は以下の通りです。――――――――――――――
① 茅葺の技と知恵=再生・省エネの原点、今に生きる茅葺。世界茅葺き大会と日本茅葺き文化協会の紹介
② 天野彰氏制作のプレハブに茅葺きラッピング。茅葺きと苫編みの実演。
③ 日本茅葺き文化協会会長安藤邦廣氏(筑波大名誉教授)、天野彰氏のミニセミナー
④ 旧約聖書の世界と防水。ノアの方舟・バベル塔、フェルメール パネル
⑤ 縄文時代のアスファルト利用と防水。 パネルと土瀝青展示。
⑥ 日本書紀・燃える土、黒川燃水祭と近江神宮燃水祭。写真と黒川近江冊子。
⑦ 近江神宮博物館に「燃える土」と燃水祭資料展示計画実行委員会。
⑧ 石原沙織千葉工大准教授。 なぜ茅葺・杮葺きで雨が漏らないか。
⑨ 菅沼起一と中世古楽アンサンブル演奏
⑩ 日本建築学会防水アーカイブズWGの活動報告。パネル
⑪ 近代前夜の防水:淀橋浄水場、蓑虫山人が描く屋根防水
⑫ 現代の防水:協賛企業のカタログ展示など。
⑬ 金属屋根の美と知恵  一社・日本金属屋根協会のパネル(初めて学ぶも)
⑭ JADA日本建築ドローン協会のパネル。 ドローンが開く調査診断の可能性
⑮ その他、ビッグイシュ―、 日本熊森協会


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2018防水と雨仕舞の歴史展」2018.5.30ー6.1 東京ビッグサイト建築再生展にて
協力者募集中!
RNY388 アンドシーラント100号 松本洋一氏追悼文

日本シーリング材工業会機関誌「&SEAIANT」100号 
工業会は55年目を迎える

S100号 PG9P1506

2018年3月10日、日本シーリング材工業会機関誌「&SEAIANT」100号 が発行された。長年広報委員長を務める飯島義仁氏が発行の経緯や苦労話、創刊時の様子など、「機関誌の変遷」を記している。


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2017年11月13日、74歳で逝去した松本洋一氏の追悼文を、元清水建設 小野正氏が記している。
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2018防水と雨仕舞の歴史展」2018.5.30ー6.1 東京ビッグサイト建築再生展にて
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RNY 359 防水関連の文献資料を分類する

「BOUSUIデジタルアーカイブ」防水歴史図書館


防水歴史図書館

2010年4月24日に発信を開始した「ルーフネット」の最大の目的は「屋根・防水・雨仕舞」に関する材料・技術・知恵と技・分献等の資料を残すことです。
まず取り掛かったのが文献紹介で、最初の記事が、~「BOUSUIデジタルアーカイブ」防水歴史図書館 開館 ~というものでした。

防水歴史図書館(BOUSUIデジタルアーカイブ)では、文献を1冊ずつ選び、本が書かれた当時の様子、おもな内容、その本のどこが「すごい」のか、現在生きる人たちにとって、どんな価値があるのか、それぞれの資料を担当するキュレーターが、時には執筆関係者への取材を交えて、分かりやすく解説します。


と気合が入っていました。もちろん今も同じです。
http://www.roof-net.jp/index.php?ARCHIVES
で、それらの文献と資料をご覧ください。

月のフェイズに合わせ、ほぼ週刊でアップしてきた「ルーフネット」 も現在358号となりました。 350を超えたのを機に、このあたりで、今後のために、文献の整理方法を考えてみました。

30 図書分類法img051 (1)
30図書分類法img051 (2)

我が国の図書館で利用される分類法は、多くの図書館で利用される①日本十進分類法。②国立国会図書館分類法。 ③国際十進分類法(UDCコード)に基ずく日本建築学会図書館の分類です。

30建築学会図書館分類(国際分類 (1)
30建築学会図書館分類(国際分類 (2)
30建築学会図書館分類(国際分類 (3 ) 


防水に関わる文献資料ですから、建築学会分類によるべきでしょうが、何分細かすぎる。 そこで、建築学会図書館分類にできるだけ沿った形で、分類を試みてみました。
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RNY346 明治の近代化を支えた巨大土木事業
RNY346 明治の近代化を支えた巨大土木事業
明治41年の新宿淀橋浄水場防水工事。

ワールド工芸真鍮
大量の土瀝青を運んだのが英国製のこのSL。(模型写真提供:ワールド工芸。HOゲージ、1/80 。)

1892年、東京市が新宿西口付近の淀橋浄水場建設工事用としてベイヤー・ピーコック社に発注した2輌のCタンク。浄水場工事が終わると機関車は鉄道庁に譲渡され、その後臨時台湾鉄道隊に転用された。
近代防水の始まりは1905年。その13年前、明治の近代化を支える巨大インフラ 淀橋浄水場に、秋田県の土瀝青(天然アスファルト)が大量に、運ばれ、防水施工された。掘り出したのは 穴原商会。ここから木下金蔵、岡田平蔵が別れた。多くの資材とともに、アスファルトを運んだのがこの機関車だ。

2017年5月31日~6月2日。東京ビッグサイト西1 で開催される「R&R 建築再生展の」“JWHA 日本防水の歴史研究会ブース”で近代前夜日本の巨大プロジェクト、淀橋浄水場の防水工事で大量に使用された天然アスファルトに関する展示があります。それを運んだSLの話も。(入館は招待状または http://rrshow.jp/ 事前登録)で無料。



淀橋浄水場
淀橋浄水場。アスファルトの歴史に関する古典的資料、村岡坦著「アスファルト」に掲載されている東京市水道沈殿池のアスファルト塗布の写真である。明治32年12月17日、淀橋浄水場内で落成式開催と書かれている。


この有名な写真は、各所で引用されているが、写真に写っている工事に関する裏付けがなかった。村岡は明治43年8月発行の「アスファルト」のp.121に写真第十一としてこの写真を掲載し、「東京市水道沈殿池アスファルト塗布実況」と写真説明を添えているだけである。しかし、その前ページには「池槽の漏水防御」として防水仕様を示している。

東京都水道局が昭和41年に発行した「淀橋浄水場史(非売品)」。この資料から、この有名な写真の施工時期は明治41年末と推定できる。明治25年から始まった工事は32年に完成、給水を始めたが、直ぐに使用水量が増加し2期工事が計画された。

実は第1期工事では防水工事は施工されなかった。第2期工事の実施設計に対して「既設の沈澄池、ろ池はいずれも粘土張りの防水工だったが、増設分には結成石表面に厚さ五分のアスファルトを塗るよう設計変更し、明治39年10月の市会の議決を得た」(同書53ページ)とある。

あの見慣れた写真は、まさにこの第2期工事のものであろう。諸般の事情で工期は遅れ、秋田から大量に運ばれた天然アスファルトによるによる防水工(土木野分野では建築と違って「防水工事」とは呼ばず、「防水工」、といいます)が施工されたのは41年末から42年初めである。こうして2期工事は明治42年3月末竣工、直ぐに使用開始された。「アスファルト塗り工事のおかげで漏水等の試験結果は良好だった」(同54ページ)と記されている。

 江戸中期の景勝地は明治には浄水場となり、新宿再開発で東京が爆発する直前、超高層ビル群に膨大な電力を供給するために地下16メートルの変電所が建設される。地下5階の逆打ちの突貫工事。それを追っかけて夜を徹しての熱アス防水の工事が1年半続いた。


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